イシス人インタビュー☆イシスのイシツ 【魔法使いな植田フサ子】Vol.10

2021/08/01(日)09:44
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スマホの中に大切に保管している写真がある。

第75回感門之盟の最中にとつぜん届いたチャットメッセージを写したもので、差出人は今回のイシツ人だった。

本連載記事のファンだと書かれていたダイレクトメッセージは、こう続いていた。

「羽根田さんには人を描くための魔法の粉があるように思います」。

 

本業ではライター・エディターとして言葉に遊びをかけ、イシスでは「評匠」というロールで言葉の冒険に誘うイシツ人。折々に出会ってきた言葉たちを胸のポケットに、熊本からやってきたカルデラ娘は、伝えたいの一心で相手との距離もひらり超え、きらきらした編集という魔法を周囲にふりまく。

 

広大な言葉の宇宙にささやか過ぎる連載10回という小さな句読点を打てたのは、話したこともないイシツ人から届いた言葉の魔法のおかげだったかもしれない。

 

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【イシツ人File No.10】植田フサ子

31[守]、30、39[破]師範代、34~35[守]、40~42[破]師範、43~46[破]評匠、11[離]。熊本生まれ熊本育ちで阿蘇山のように熱きライター・エディター。東京学芸大学進学後、熊本でのタウン誌編集やフリーランスのエディターを経て再び上京。現在は東京で編集制作プロダクションに勤務する。「言葉」と「編集」と「熊本」への情熱が時として暴走する熱血カルデラっ娘。NARASIAやISIS FESTAなど多くのイシスプロジェクトにも携わる。夫は師範の岡村豊彦。馴れ初めについてだけは言葉を濁す照れ屋な一面も。

 

 

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《ゲンキョー カラノ タビダチ》

 

言葉への感度は幼いころから抜群だった。

 

国語の教科書に載っていた詩や音楽の歌詞をノートに書き溜め、いい言葉に出会うと「ゾクゾク」していた。

 

高校時代の彼はちょっと変わった人で、誕生日に『星の王子様』と24色の水彩色鉛筆をくれるようなヤツ。早朝の校舎で偶然死んだ鳩に遭遇し、友人とキャーキャー騒いでいたら、慰めてくれると思った彼はこう言い放った。

「死をまっすぐに見つめないやつはいい死に方をしない」。

何か気に食わないんだけど、でもハッとして、揺さぶられた。胸のポケットにまたひとつ言葉を入れる。

 

何でも国語的に読み替えるクセがあり、三次関数のグラフは右上がりの人生に喩え、ベンゼンの環状構造が結合していく様は有機化合物が友だちをつくっていると妄想した。物理のテストでようやく〇(マル)をもらえたと思ったら0点のゼロだったというくらい理数系は苦手だったが、のちに知った岡潔の〝数学は頭ではなく情緒でするもの〟という言葉をあの頃に知りたかったと思う。

 

言葉への関心は自然とマスコミ志望の女子大生を育てたが、就職したのは地元の信用金庫。人の一生には必ず「お金」と「医療」が纏わると考えどちらにも興味はあったものの、決め手となったのは信金の人事部長が言った言葉だった。

 

「本当は雑誌制作の現場に興味があるんだと伝えると、うちに就職してからでもそれは目指せるじゃないか、お金は世の中の仕組みだから知っておいたほうがいいよ、と。そういうこと言う人って珍しいなと思って。

それに、ここで学んだことが後々編集者となってどれだけ活きているか」

 

窓口に座っていると様々な業種の人がその日の売り上げを入金しにやって来る。精肉店のお金は生肉の匂いがし、ドーナツ店の麻袋からはぷんと油が香る。鮮魚店の入金は時おり機械にエラーがでるが、たくさんの小銭といっしょに魚の鱗が混じっているからだ。小さな窓口から感じる小さな生活の匂い。

 

外回りを任されるようになると、その手触りはさらに確かなものになる。預けるお金はないけどこれ持っていってと大根をくれる農家の老人。植田さんといっしょに聞こうと思ってと、録音していたラジオ番組のスイッチを押す百歳近いおじいちゃん。「お昼ご飯ば食べて行きなっせ」と多めの塩を入れた納豆とご飯で精一杯もてなしてくれるおばあさん。ささやかな暮らしを丁寧に守る人たちがここにいる。

 

「出会った人のことぜんぶお伝えしたいくらいで、こういう魅力的な方たちのことを発信する具体的な手段はやっぱり雑誌作りだよなと、機が熟した思いでタウン誌の編集制作会社に転職しました。3年ほど働いてフリーとなり地元の熊本日日新聞の仕事をするように。その辺りから徐々に松岡正剛という名が生活の中に入ってくるようになったんです」

 

本人曰く、目の前に流れてきた流木に次々につかまり漂っている人生。しかし流木を見極める目は確かで、興味に対して純粋につき進んできた。

「ああ確かにそれはそうかもしれません。わたし、本物じゃなきゃ嫌なんです」。

 

 

感門之盟のために誂えたという浴衣の紋様は鍵と鍵穴。

 

 

《コンナン トノ ソウグウ》

 

果たして松岡正剛は本物だった。

熊日新聞の仕事で、熊本出身という縁もあり美智子皇后(当時)の専属デザイナーを務めた植田いつ子氏を取材した。数年後、熊本を離れ上京したイシツ人は、草月会館で行われた『植田いつ子50周年特別記念展』に赴く。総合監修は松岡正剛。

そうとは知らず展覧し、以前のお礼を伝えようと会場の脇にいた植田氏に駆け寄ると、偶然居合わせたのが松岡正剛その人だった。

 

「わたし引っ込み思案で人見知りなんですけど、面の皮だけは厚いので、植田先生いつぞやは…と挨拶に伺ったら先生と歓談されていたお相手が松岡校長で。わー松岡さんだーと、植田先生への取材体験まで話してアピールしました。校長は、へー、ああそう~ってすごく優しくて。

 

おこがましいのを承知で言わせていただくと、〝世の中〟と呼ばれるあらゆる体制に迎合しない自律的思考や見方を醸成するのが編集工学というメソッドで、校長はそのメソッドを使って私たちが小さき生をどれだけ燃やし尽くし未知に挑戦していくか、純粋な期待と発破をかけてくださる。校長自身、雑誌『遊』などで〝この人〟という人物に会い〝この言葉をこそ引き出したかった〟と情緒が悶えるような時間を重ねて来られました。そういう編集者としてのカマエが横で見ていて本当に刺激になりますし、本物の振舞いを垣間見ることで百も千も知ることができるような気がしているんです。それならもっと生かせよって話なんですけど」

 

分類編集が美しく施された展覧会のちらしを今も大切に持つ。

 

 

徐々に近づいてきていた編集学校が実態となって立ち表れ、2012年に入門。

[守]の学衆時、当時学匠だった冨澤陽一郎(現道匠)が「植田さんはキラキラしてるから師範代になってくれるといいよね」と、当時の担当師範代だった吉村堅樹に耳打ちしたというくらい、言葉の感受性は際立っていた。

 

その後の活躍は周知のとおり。と書きたいところだが、イシツ人であれば紆余も曲折もある。

 

吉村師範代がマネージする教室がおもしろすぎて、[破]に進む際も同じ教室がいいと駄々をこね、叶うはずもなくクロニクル編集術で脱落。数年後に再チャレンジし突破。師範代になる気はさらさらなかったが数年後、人が足りないと吉村に誘われ、師範代にならなくてもいいと聞いて[ISIS花伝所]に入伝する。

架空の学衆相手にエア指南を繰り返す錬成稽古に、「指南がキライになりました」と怨言を放つと、当時の担当錬成師範から「キライになるまで指南に向き合ってくださってありがとう」という返事が返ってきた。

ポケットに言葉がつもっていく。

 

「何かね、憑き物がばーっと落ちたような気がしました。こういう言葉はやっぱりずっと心に残っているし、自分の仕事やプライベートでも見方の差し込みが増えるようになります。学生時代含めこういう言葉を差し出してくれる人がいつも周りにいっぱいいて、人に恵まれて今の自分が育まれていったんですね」

 

 

《モクテキ ノ サッチ》

 

ポケットの言葉たちを胸に師範代デビューを果たすと、周囲から代名詞のように「アツい」と言われるようになった。イシツ人がもつ指南のカマエやハコビがそう云わせることもあるが、じつは裏で細やかに3Aの準備をすることも怠らない。

担当教室の学衆が発表されると毎回、一人ひとりの名前を筆ペンで丁寧に清書し、机の前に貼り出す。「お会いする前からその人へお手紙を書いているような気持ち」で。丁寧に丁寧に書いていると、3Aとともに自ずと敬意が立ち上がってくる。

 

「最近はいつもアツいと言われるから落ち込んでるんです。わたしってアツいだけの女なのか?って。[守]の師範を終えて校長からいただいた書も「燃」だったんですけど火種《灬》が2倍も書かれていたんです! 自分ではアツくしているつもりなんてないんですけどね」

 

そうは言いつつエピソードを聞くと、やはりアツい。

39[破]で師範代を務めた教室に、最年長の学衆がいた。とても真面目な稽古ぶりで、1度目のAT賞ではモードの違う2種類の知文を作成し、精一杯を見せてくれた。しかし十分な推敲までいかず、まだまだ高みへ行けるのにと悔しい思いもした。

翌日の夜遅く、教室仲間のエントリー感想に連なって、その学衆が酔って書いたらしい切実な思いを綴ったメールが届いた。

 

「まるで深夜のラジオから響いてくるような長く質朴な文面に、この後の稽古がつらいと思わせてしまっていたらどうしよう、なんて言葉をかければいいのだろう、と慌てました。師範に助け舟を出してもらうか悩みながらも、そうだええーい、わたしもこの方と同じように酔っぱらえばいいんだと、がーっとお酒を飲んで、がーっと熊本弁で返事を書いて。後で学衆さんたちにこの時のメッセージが一番印象に残っていると言われました」

 

とにかく返事がしたかった、とにかく言葉を届けたかった、それだけだった。

熊本弁には訳も付けたが、メールを投稿する前に寝落ちし、のちのち「寝落ち」もイシツ人の代名詞となる。

学衆はその後見事な物語を書き上げ突破。突破後、ある職に挑戦することにした、思い切り走らせてもらったことが決断を支えた、と連絡をくれた。

 

二倍のれっかが雄弁に何かを語る校長直筆の書。

 

 

《カナタ デノ トウソウ》

 

イシツ人のアツさは一本気とも言い換えられる。

源泉は中学時代のシカト体験。

 

幼いころの心臓手術で体が弱く、中学から運動を始めた。入った部活でキャプテンを選出する際、満場一致で推挙されたが、じつは皆で口裏を合わせ責任あるポジションを押し付けられたのだと後でわかった。

 

「生来ぽかんとしている」のでそんなこととは気づかず、キャプテンとして練習を仕切り始めるとある日突然、無視が始まった。お金を盗まれたりと状況は悪質化したが、イシツ人のアツさと一本気がこのままでは終わらせない。無視する側に大義があるなら自分の悪いところは直せばいい、何も言われずシカトされ続けるのは気持ちが悪いと、ある日、皆が集まっている場で聞いた。

 

「ねえなんで?って。返ってきたのは笑ってしまうような理由で、じゃあ部活辞めますと言うとそこは皆まだ子供なので、えっ?ちょっと待って…いやいやそんなつもりじゃ…これからうまくやっていこうよ、という感じになって。

翌日から何が変わったかというと、私を無視していた子たちが一斉に別の子の悪口を私に言うようになったんです。捉えようによっては社会の縮図のような話で学んだことは大きかった。この時、社会にただ迎合するような生き方だけはやめようと心に決めました」

 

 

《カナタ カラノ キカン》

 

ロールに欠かせない「アツさ」と「言葉」という武器を携え、[破]評匠としての活躍は4期目に入る。

この記事が公開される頃には、46[破]物語AT賞の講評が学衆たちのもとに届いていることだろう。

 

「講評は大きな責任を伴いますから、その学衆さんを一生応援するつもりで書きます。わたしが大切にしているのはその人の持つワールドモデルを知ろうとすること。なぜこの学衆さんからこの作品が生まれたのか、出来る限りの課程も拝見して臨みます。

以前、夫である岡村師範も講評を書いていたことがあるのですが、プロセスは見ずそこに表れたものを講評するスタンスで、静かな中にも永遠の響きを持つような言葉を届けていました。

そういうスタイルにも憧れながら、やっぱり私はその人が抱えているワールドモデルを知りたい。その上で書けそうもないものに立ち向かっている学衆さんの闘いにはつい涙が出てしまいます」

 

言葉遣いを褒められることはあっても、言葉そのものに意識や集中を向けることはターゲットではないと言い切る。

 

「この作品を書いたことで何が見えましたか?ということをいつも問うようにしています。大賞であっても選外であっても同じ気持ちで向かいますし、学衆さんが私の書いた講評をいつか読み返す日が来るかもしれない。稽古が終わってもさらに続いていく人生の編集道に咲く宿世のお題をいっしょに探す気持ちで、刹那な二人三脚をしていきたいんです。 

 

最近は皆さん文章を読みなれて言葉もこなれていてスゴイなと思うんですが、ストックの中から言葉を出すのではなく、自分にないもどかしさの中から探してくるということをもっとして欲しい。エラソーですけど、書いたことでスッキリしない人は本当にあっぱれで、そこで感じたザワザワやモヤモヤを宿題としてずっと一緒に持ち続けていきましょうと伝えたいですね」

 

イシツ人にとってイシスは「発電所」だと言う。

その人が本来持っている編集力に光りを当て、個人としての小さき生をどれだけ燃やせるか。

 

「久保田早紀の『異邦人』じゃないですけど、そういう手助けができる通りすがりの人だったらいいなって感じです。あなたは本来、光輝く編集の種を持っている、そのことに気づいて欲しいと、ただそれだけをひたすら願っています」

 

そしていつか皆で熊本汁講(会合)を開催したい。何が旨いとかどこが名所だとかいうだけでなく、熊本のアツき人たちに触れてほしい。

 

積み上げて来たアツさを背景に、きゅっきゅっと整え、ぱんぱんとはたいて、そうしてようやく言葉を送り出す。今期もまた、魔法をかけられた幸運な学衆たちが巣立っていく。

 

仕事でゆかりのある町、神保町の学士会館にて。

 

 

【おまけ◎イシツ人と相撲】

名にし負う相撲女子。推しは第52代横綱で大相撲解説者の北の富士勝昭氏(79歳)。彼の解説はノートと鉛筆を用意しメモを取りながら聞く。相撲は型。その型に対して繰り出す言葉にしびれる。稽古せず準備ができていない力士には厳しく、砂で滑ったは言い訳と容赦しない。「師範代も同じですよね。私生活がクロスしてくるのでそっちが甘いと教室運営も甘くなる」。くるくると動くリスのような目が一瞬、止まった。

 

《※過去の連載シリーズはこちら

 

※本連載は今回をもちまして一旦休載いたします。

1年間ご愛読ありがとうございました!

 


  • 羽根田月香

    編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。