「薔薇の名前」の意味
1980年の出版以来、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は40を超える言語に翻訳され、5,000万部以上を売り上げてきた。この本は、史上最も売れた小説のひとつであり、エーコの作家としての地位を確固たるものにした。
欧州の中世文学において「薔薇」は、神秘、美、秘密、そして手の届かない真理の象徴として頻繁に用いられてきた。エーコにとっての「薔薇」は、小説で探求された禁書や秘密のテーマとなる象徴である。『薔薇の名前』の最後の一文、“Stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus”は、「古の薔薇の真髄はもとの名前にある。今の我々には裸の名前しかない」と訳出することができる。これは、真実、記憶、知識の保存の本質を反映しており、歴史を跨いできた書物そのものを暗示する絶妙なメタファーでもあった。
この最後の一文は、言葉と書物、残存する記号の解読を示唆するものとして見ることができる。エーコのような記号学者にとっては魅力的な結論である。しかし、エーコは後のインタビューで、この詩は、12世紀フランスのベネディクト会修道士ベルナ−ル・ド・クリュニー(別名ベルナ−ル・ド・モルレー)が書いたラテン語の長編風刺詩『世界の軽蔑について』(De contemptu mundi)からの誤植的な引用だったと述懐している。
この詩は、12世紀における道徳的腐敗(特にカトリック教会)に対する風刺で、この世の快楽や栄光の儚さを強調しており、過去の偉大な都市ローマを例として挙げていた。つまりエーコは、ローマ(Roma:ローマ)をローザ(Rosa:薔薇)に意図的に変えたのだ。元の詩は、「古代ローマの真髄は元の名前にある。今の我々には空虚な名だけが残っている。(Stat ROMA pristina nomine, nomina nuda tenemus)」である。
小説全体を通して、エーコは言語が現実を形作り、我々はいかに現実を理解するのかを探究した。「薔薇の名前」というタイトルは、言語の誤読や不安定さを反映し、物事の本質を捉えようとするが、その困難性を表現していた。読者である私たちは、情報の断片を把握し、意味を再構築するが、裸の名前、つまり本質を剥ぎ取られながらも、思考や記憶を呼び起こす能力において、依然として力を秘める言葉だけが生き残る。そのことを、エーコは「薔薇の名前」に込めたのである。
エーコの最後の一文は、真理についての思索だけでなく、書物についての比喩でもある。書物は薔薇のように、真理と知識の種子を内包しているが、真理に永続的にアクセスできるわけではない。書物が不滅であるとするなら、その解釈を人々に鼓舞する能力にある。特定の本やその「本来」の真実が消え去ったとしても、その本が表現する本質は、読むこと、思い出すこと、再解釈することによって生き続けることができるのだ。
電子書籍の台頭と紙の書物の意味
粘土板、象形文字、フェニキア文字、中国の巻物など、書面での知識の共有は私たちの社会に欠かせない要素だった。電子書籍が一般化し、読書の形式が変化する中でも、印刷本は引き続き世界の書籍市場を支配しており、2023年には643億5,000万ドル以上の収益を生み出し、2022年から2.24%増加した。また、Z世代が印刷本を好むことも注目に値する。デジタル時代は、さまざまな業界に本質的な変化をもたらした。ビデオテープ、カセット、CD、DVDなどが、テクノロジーの進歩により時代遅れになることは想像できるが、物理的な書物については同じように考えることは困難である。
1994 年、英国のベストセラー作家ピーター ジェームズは、2枚のフロッピー ディスクで最初の電子小説『ホスト』を出版した。当時、ジャーナリストや出版業界は彼のアイデアを嘲笑した。彼は、電子書籍は簡単にアクセスできる限り、楽しめるものになるだろうと述べた。その13年後、Amazonが 2007 年に最初のKindleデバイスをリリースすると、出版社は背筋が凍るような思いをした。電子書籍が安価に販売され、すぐに紙の書物を凌駕する勢いだったからである。しかし、紙の書物が支配されることはなかった。電子書籍の唯一の利点は、その非物質的な利便性だった。デバイスにコレクションのライブラリ全体を入れて持ち歩くことができた。紙の書物には当然、持ち運びの限界はあったが、むしろ物理的なオブジェクトとしての役割と書店や図書館の意味を再確認させてくれた。
歴史を生き延びた書物が儚いものであることを『薔薇の名前』で指摘したウンベルト・エーコは、それでも物理的な紙の書物の強力な擁護者だった。彼は、フランスの脚本家ジャン=クロード・カリエールとともに、進化する書物の性質とデジタルメディアの台頭における書物の存続について語り、書物の耐久性と永続的な意義について、いくつかの重要な点を強調していた。
紙の書物が絶滅しない理由
彼らが対談した内容は、2009年にフランスで初版が出版され、すぐさま”This Is Not the End of the Book(これは本の終わりではない)”という英語版に収められた。フランス語版の原題は“N’espérez pas vous débarrasser des livres”で、「本が無くなることを望んではいけない」というものだった。(邦訳:『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』工藤 妙子:翻訳、2010年)
この本の中で、エーコとカリエールは、書物の歴史、進化、未来について、貴重な対話を繰り広げ、デジタルメディアの台頭にもかかわらず、物理的な書物の永続的な重要性を深く洞察した。エーコは、紙の書物は、何世紀にもわたって磨き上げられてきた本質的な性質により、メディアとして「完成されている」と主張した。これらの性質により、紙の書物は、物理的な長寿と耐久性、コミュニケーション能力、電気やテクノロジーからの独立、知識の保存、個人の関与のための耐久性、実用性、多用途性を備えたツールとなってきた。
デジタルメディアの台頭が勢いづく中、印刷本の需要は依然として高いままだ。2022年には7億8,870万冊の印刷本が販売され、過去10年間で2番目に高い数字となっている。印刷本は、過去の思い出を呼び起こす個人的なオブジェクトとなり得る。ウンベルト・エーコは、紙の書物は「完成されたメディア」であると主張した。
書店の再生
電子書籍の勢いから取り残されようとしていた書店をめぐる状況は、紙の書物の絶滅を穏やかに実感させる出来事だった。街の書店が次々と閉店し、大型書店も経営難が続いた。そんな中、長年続いた衰退から驚くべき復活を遂げたのが、米国の大型チェーン書店バーンズ&ノーブル(Barnes & Noble)である。この成功事例は、マーシャル・マクルーハンの「メディアがメッセージである」という考え方によって解釈することができる。この文脈において、書店は本の販売だけでなく、独自な文化や感覚を伝えるメディアとなったのである。
電子書籍の成長に伴い、紙の書物と書店が繁栄を続けるためには、いくつかの戦略を採用することができる。これらの戦略は、物理的な本の独自の利点を強化し、書店での体験を活用して消費者のロイヤリティを向上させることに重点を置いている。バーンズ&ノーブルは1886年に設立され、20世紀に繁栄した。しかし、デジタル時代は同社にとって不意打ちとなった。しばらくの間、同社はAmazonを模倣しようとした。オンライン販売を強化し、独自の電子書籍リーダー「Nook」を導入したが、成功しなかった。
2011年に実店舗の主要ライバルだった「ボーダーズ(Borders Group)」が閉鎖された後も、バーンズ&ノーブルは勝利の戦略を見つけられなかった。2018年までに同社は完全に崩壊した。バーンズ&ノーブルはその年に1,800万ドルの損失を出し、1,800人の正社員を解雇した。実質的には、店舗運営のほぼすべてをパートタイムのスタッフに任せたのだ。あらゆる指標が悲惨だった。既存店売上は減少し、オンライン売上も減少した。株価は80%以上下落した。そして、同社の電子書籍リーダー「Nook」に何が起きたかと言うと、90%以上の減少だった。電子書籍は成長市場だと考えられていたが、この数字からは決してそうは思えなかった。
書店員の編集力
バーンズ&ノーブルの再生は、販売する本の厳選が成功につながるという好例である。ロンドンのダウント・ブックスの創設者であり、英国の書店ウォーターストーンズのCEOも務めたジェームズ・ダウントは、2019年8月からバーンズ&ノーブルのCEOに着任した。彼の指揮の下、この書店チェーンは従来の大量販売戦略や出版社からのマーケティング資金を拒否した。
店舗の棚を出版社の売り筋の本が占有するキャンペーン予算をあえて断り、個々の店舗マネージャーが地域の需要に基づいて品揃えを厳選できるように力を注いだ。書店員が「編集者」となったことで、読者にとってパーソナライズされた本棚の体験が生まれ、読者を実店舗に引きつけることに成功したのである。この転換は目覚ましい成果をもたらした。バーンズ&ノーブルは2022年に新しい16書店をオープンした。大手デジタルプラットフォームが徐々に減益に苦しんでいる中、138年の歴史を持つこの印刷本の守護者は好景気を享受している。
クールで最新のテクノロジー企業の多くは財政難に陥っている。テスラの株価は暴落し、暗号通貨は衰退している。Netflixの株価は乱高下し、Meta(Facebook)も低迷している。しかし、バーンズ&ノーブルは繁栄している。長い衰退期を経て、同社は再び利益を上げて成長しており、2023年に30店舗を新たにオープンする計画を発表した。Amazonが書店運営を試み、そして失敗した場所を引き継ぐケースもある。
アルゴリズムがデジタル・コンテンツのキュレーションをますます支配するようになるにつれ、人間によるキュレーションや書店員の専門知識はさらに価値が高まる。スタッフの知識や編集力を信頼し、彼らの本の選定や著者イベントの企画、個々人に合わせた本の購入体験を重視する書店は、今後も際立った存在であり続けることになる。
つづく
本書は、私の自叙伝であると同時に、人生の最終段階においてのみ語ることが許される『秘密』やプライバシーの開示でもある。ーー武邑光裕
10月25日に刊行された武邑光裕の初めての自叙伝『Outlying』(rn press)。鏡のように映り込む意匠は撮られることを拒否しているようでもある。12月2日にスタートする多読アレゴリアでは、武邑光裕監修のクラブ「OUTLYING CLUB」がいよいよ立ち上がる。写真:小野泰秀
アイキャッチデザイン:穂積晴明
▼武邑光裕の新・メディアの理解
新・メディアの理解④ 紙の書物は消えず、書店に人々が戻ってくる理由
武邑光裕
編集的先達:ウンベルト・エーコ。メディア美学者。1980年代よりメディア論を講じ、インターネットやVRの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。2017年よりCenter for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。基本コース[守]の特別講義「武邑光裕の編集宣言」に登壇。2024年からISIS co-missionに就任。
武邑光裕の新·メディアの理解 ③ ユニバース25実験とメタバース
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武邑光裕の新·メディアの理解 ② スマートフォンと「気晴らし文化」の闇
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