スマートフォンの理解
ビッグデータ、人工知能、データ駆動型テクノロジーの分野における専門家の洞察を提供するオンライン・サイト”What’s the Big Data” は、2024年現在、世界のスマートフォン・ユーザー数は約48億8,000万人で、世界人口の約60.42%を占めていると報告した。この数字は以前より大幅に増加しており、スマートフォンの世界的な普及を浮き彫りにしている。
スマートフォンのユーザー数に加え、アクティブに使用されているスマートフォンは約72.1億台である。この数字の矛盾は、多くの個人が複数のスマートフォンを所有していることを示唆しており、アクティブ・デバイス数の増加に寄与している。
スマートフォン・ユーザーの増加は、デバイスの価格が手ごろになったこと、発展途上地域におけるインターネット・アクセスの拡大、コミュニケーション、エンターテインメント、商取引などの日常的な活動にスマートフォンが組み込まれたことなど、いくつかの要因によってもたらされている。中国やインドのような国々は、スマートフォン・ユーザーの人口が最も多い国のひとつであり、中国だけで9億1,192万人以上、インドが4億3,942万人のユーザーを抱えている。
これらの統計は、現代生活におけるスマートフォンの重要性と、世界中のコミュニケーション、社会的交流、経済活動の形成におけるスマートフォンの役割を強調しているが、私たちはこのスマートフォンを本当に「理解」しているのだろうか?
日本と東アジアの未来を考える委員会 監修/松岡正剛 編集構成
『平城遷都1300年記念出版 NARASIA 日本と東アジアの潮流 これナラ本』(丸善出版、2009年)
本書では1300年の歴史を見開きページで編集し、奈良とアジアを結んだ。
15年前の当時、日本国内においても携帯電話の主流はスマートフォンではなく「ケータイ」だった。
マイクロドラマの中毒性
新しく公開されたドラマシリーズが 100 話近くあったら、時間をかけて観たいと思うだろうか?ネットフリックスの韓流ドラマ『SKYキャッスル』が1話約40分で36話、視聴者を釘付けして一週間ほどの時間をこのドラマのために費やすのが限界である。
しかし、各エピソードが2 分程度だったらどうなるのか? 短期間のうちに中国のエンターテインメント業界を震撼させているのが、いわゆるスマートフォン・ユーザーのためのマイクロドラマと呼ばれるコンテンツである。中国では、このような短いドラマシリーズによって、映画を観るのと同じくらいの時間で、ドラマチックな瞬間をすべて詰め込んだメロドラマの凝縮版を通勤時間で楽しむことができる。
スマートフォンの画面に合わせ、主に縦型で表示されるこれらのマイクロドラマの超短時間は、短編ビデオ時代の特徴である短い集中力の持続時間に対応している。ポートレート形式で撮影されたストーリーは、視聴者を夢中にさせなければならないため、筋書きのひねりやクリフハンガーが多用されている。
これは、マイクロドラマというコンテンツがスマートフォンを利用しているのではなく、スマートフォンがマイクロドラマやTikTokを生み出した結果である。つまり、マクルーハンの言う「メディアがメッセージ」なのだ。
マイクロドラマはモバイルファーストの消費と一口サイズのエンターテインメントという最新のトレンドに合致している。この新しいストーリーテリングの方法は、新型コロナウイルスのパンデミックの最中に中国で急速に発展した。
ショート動画アプリ「TikTok」とその中国版「抖音(Douyin)」を運営する字節跳動(バイトダンス)の国内最大のライバルである動画共有アプリ「快手(kuaishou)」は、収益報告の中で、2023年第4四半期に同社のプラットフォーム上の「マイクロドラマのヘビーユーザー」が9,400万人に達したと述べている。
その大半は、オーディオビジュアル・ダイムノベルの域に達しており、映画産業とストリーミング産業もすでにTikTokとスマートフォンの影響によって、これまでの長編映画製作に大きな陰りが生じている。従来の映画や古典的なシリーズと比較した場合、マイクロドラマの利点は明らかだ。動画アプリのアルゴリズムのおかげで、シリーズはより迅速に現在のニーズや視聴習慣に合わせることができるからだ。
しかし、中国市場ではマイクロドラマの規制が始まっている。2023年12月、共産党サイバースペース問題弁公室は、多くのマイクロシリーズが暴力的で性的に過剰に表現され、差別を助長し、「恋愛と結婚に対する良くない見方」を伝えているとし、制作者に抗議を申し立てた。2024年6月1日以降、中国政府はすべてのマイクロドラマについて、「分類され等級付けされた審査システム」に従ったライセンスを要求している。
一部の人気作品はすでに中国の有名プラットフォームから姿を消している。それが当局の意向なのか、それとも先回りしてのことなのかは定かではない。国内での検閲から逃れるために、一部の中国人プロデューサーはすでに海外での制作を試みている。
検閲によって、まだ若い芸術が独自の創造的な道を見つける前に息の根を止められてしまうという見方もあるが、すべてのコンテンツがTikTokの影響下にあることは確かである。マイクロドラマの視聴習慣が一般化すれば、メディアエコロジーの提唱者であるニール・ポストマンが指摘した『愉しみながら死んでいく』(Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business, 2005)社会がますます顕著となる。このディストピアは、オルダス・ハクスリーが1932年に著した『すばらしい新世界』への道に重なっていく。
ポスト・エンターテインメント文化
長い間、文化経済は2つの軸で成り立ってきた。観客が望むものを与えるか(エンターテイナーの仕事)、そうでなければ大衆に要求を課すか(そこから芸術が始まる)である。最近まで、エンターテインメント業界は成長し続け、芸術性やインディーズ、オルタナティブな市場は圧迫されてきた。しかし、この不穏な状況でさえ、十分ではない。それは、現在起こっている最大の変化を見逃しているからである。
私たちはポスト・エンターテインメント文化の誕生を目の当たりにしている。それは芸術の助けにはならず、社会の役にも立たない。映画、TV、音楽業界などの巨大なエンターテインメント企業は、ほんの数年前には誰も予想していなかった形で苦戦している。
なぜなら、文化経済の中で最も急速に成長している分野は「気晴らし(Distraction)」だからである。これは、スクロール、スワイプ、時間の浪費などと、好きなように呼べる。しかし、それは芸術や娯楽ではなく、ただ絶え間なく続く消費活動である。重要なのは、各刺激は数秒しか続かず、繰り返す必要があるということだ。これは巨大なビジネスであり、すぐに芸術とエンターテイメントを合わせた経済よりも大きくなるだろう。
すべてが TikTok とスマートフォンに回収されつつあるからだ。これは単なる 2024 年のホットなトレンドではない。ファッションや美学ではなく、身体の化学反応に基づいているため、永遠に続く可能性がある。私たちの脳は、こうした短時間の気晴らしに報酬を与えるのだ。
ドーパミン・ネイション
神経化学物質のドーパミンが放出されると、私たちは気分がよくなり、その刺激を繰り返したくなる。今になってようやく、それが文化とクリエイティブな世界、そして何十億もの人々に適用され始めている。彼らは、人類史上最大のソーシャル・エンジニアリング実験に無自覚にボランティアとして参加しているのだ。したがって、アートとエンターテイメントという単純なモデルは通用しなくなる。そして、今日では「気晴らし」ですら、真の目標、つまり依存症に向かうための単なる足がかりにすぎないのだ。
これが未来の文化的食物連鎖であり、新しい文化である。そして、その最も顕著な特徴は、無分別な娯楽すら存在しないことだ。どちらも強迫的な活動に取って代わられる。テクノロジー・プラットフォームは、オピオイド乱用で富を得た冷酷な企業にますます似てきている。一部の企業は人々を錠剤や注射針で中毒にさせている。その他、アプリやアルゴリズムを使用するものもある。しかし、いずれにせよ、それはジャンキーを量産するだけなのだ。
スタンフォード大学医学部の精神科医アンナ・レンブケ氏は、著書『ドーパミン・ネイション:耽溺時代のバランスを見つける (Dopamine Nation: Finding Balance in the Age of Indulgence) 』(2019)の中で、スマートフォンを「デジタルドーパミンを24時間365日供給する現代の皮下注射針」と称している。ドーパミン・カルテルは現在、教育、職場、私生活において最悪の社会問題を悪化させているのである。これが現状でのスマートフォンの理解となる。
つづく
▼武邑光裕の新・メディアの理解
新・メディアの理解② スマートフォンと「気晴らし文化」の闇
▼遊刊エディスト 武邑光裕さんインタビュー記事
【AIDA】DOMMUNE版「私の個人主義」!!!!! by武邑光裕
【AIDA】「新中世」時代に考えるメタヴァースの将来(武邑光裕ロングインタビュー)
アイキャッチデザイン:穂積晴明
武邑光裕
編集的先達:ウンベルト・エーコ。メディア美学者。1980年代よりメディア論を講じ、インターネットやVRの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。2017年よりCenter for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。基本コース[守]の特別講義「武邑光裕の編集宣言」に登壇。2024年からISIS co-missionに就任。
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1971年、私は高校2年の時に、雑誌「遊」の創刊号と出会いました。松岡正剛という存在を知り、のっぴきならない衝撃を受けました。退くことも引くこともできない状況は、「遊」が号を重ねる度に大きくなっていきました。「遊」からの […]
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