岩波新書『昭和問答』は、2017年の『日本問答』、2021年の『江戸問答』につづく松岡正剛と田中優子の最後の対談本となった。今年8月に急逝した松岡の最後の著書でもある。
田中優子はイシス編集学校の「学長」であり、そのアドバイザリーボード[ISIS co-mission]のひとりでもある。刊行まで3年に渡り松岡と対話を続けた田中は、出版にあたり松岡との語りを映像と言葉で伝えようと、記念のイベント【岩波新書『昭和問答』出版記念トーク「喪失から創出へ――松岡正剛との対話」】を開催した。場は、松岡正剛が最後の時を過ごした国立がんセンターの隣に建つ、浜離宮朝日ホールだ。日暮れも早くなった12月10日、夕刻から集まり始めた参加者は、黒で装うスタッフの応接で温まるホールへ吸い込まれていった。正面のスクリーンに映る話し手の田中優子と並ぶ松岡正剛の映像は、これからふたりの対談が始まるかのようで、開始を待つ人々の心をざわつかせる。
◆場は松岡正剛の面影に惹き込まれてゆく
田中は冒頭から挨拶もそこそこに、「私だけでなく、松岡正剛さんと対話しながら進めていきたい」と、まさに昭和問答を始めた時のものだという映像を映し出し、画面の松岡に愛おしそうな眼差しを向けた。
ヨーロッパは行ってすべて制圧するんですね。日本は遠慮深いというか、奥ゆかしいというか、間接的すぎるんじゃないですかね。僕はその「間接」であることの解明をした方がいいと思う。
画面の松岡正剛の言葉
そこには、昭和の戦争を「間接」という編集的方法で語る松岡正剛の姿があった。「キラキラとギラギラが違う、枕詞や切れ字がある、見立てができるなど、日本には「間接話法」という素晴らしい方法がある。それなのに、戦争においては、「間接統治」という手法を発見できなかった」。そのことは、昭和を問答をするにあたって松岡が伝えておきたいことだったと言う。昭和の戦争は、突然、原爆が落ち、天皇が人間宣言をして東京裁判が犯罪を詰めたことで終結したが、日本人は東京裁判を読むことができなかったのだ。そのことは、井上ひさしさんをしてこう言わしめた。
「松岡さん、東京裁判を日本人が読めなくなったのが、日本の戦後民主主義の空虚さです」
井上ひさし氏の言葉
「井上ひさしさんは何度もそう仰っていた」と、画面の松岡が言う。「日本のテキストが何なのか、考えることをしなかったのが昭和だったのだという気がしている」と。また、それに対しては自身も答えを持たず、「ああ、こうなっちゃったな・・」と言う感じだとも、少し残念そうに明かした。日本は「編集」という方法を持っていて、古代から使いこなしてきたはずなのに「編集」を戦争の時代においては使うことができなかったのだ。それが何故なのかを考えることこそが、松岡が「編集」を研究する理由でもあると言う。
15分ほどの動画を視聴すると、松岡正剛の語りを直に聞いているような気がしてくる。最も近くにいて対話を重ねた田中が松岡の話を受けて紡ぐ言葉は、参加者にこのホールで実際の対話を目撃したと錯覚させる力を持っていた。
◆日本、江戸、そして昭和を語るに共通するキーワード
あと10日ほどで年が明ければ、戦後80年、昭和100年となる2025年がやってくる。その昭和100年の三分の一が、実は戦争の時代なのだ。松岡は終戦直前、田中は戦後生まれで、どちらも戦争を経験してはいない。それでも、戦争は知らないけれど、「あの失敗は何だったのか」という問題意識は共通していた。必然的に昭和問答のメインは、「戦争」を語ることになった。ふたりの対話は足掛け3年におよぶ。それを相当に密度を濃くして詳細に描き起こした一冊が『昭和問答』だ。田中は本に散りばめられたキーワードを松岡の声を挟みながら、あれも、これも、と制限ある時間の中で語り直す。
中江兆民は日本人は、必要以上に他国を侮り、相手を警戒してしまう、外に対して極端な見方をする病を持つといい、『一年有半』などでこれを「侮外病」と「恐外病」と呼んだ。結果、むやみに戦々恐々とするのだが、それは戦争によってしか乗り越えられないと思ったのが石原莞爾だった。日本が理由なき戦争に突き進んだ理由が「侮外病」と「恐外病」ではないか、中江兆民から石原莞爾までは繋がっていたのだ。
エディティング・ステートとは、編集する国という意味を持つ国は編集できるという主張で、『昭和問答』に何度も出てくる言葉だ。
江戸時代が終わり明治になって、国が一丸になるために天皇制となった。日本はそれまではずっと、天皇と将軍、或いは天皇と何か、というデュアルな体制を続けてきた。現在も象徴天皇制であり、明治から戦前までだけが本当の天皇制なのだ。近代日本が欧米並みの国民国家を目指し、トップの決断が必要となった時、天皇制以外はなかったと考えられた。しかし田中は、天皇を中心に置いて国をまとめる方法、例えば合衆国的なやり方があったのではないかと言う。幕末には日本国憲法案がいくつも出ていた。江戸時代までボヤかしながら何とかやってきた日本には、二重統治や代理を束ねる方法など、連携しながら作っていく象徴天皇制だってあり得たのではないかと。
「そうかなあ。玉でよかったのかなあ」
「松岡さんがそうつぶやいたんです。これをこの本の中に入れたかった」と田中は言う。松岡は、「ある意味、明治日本ではダメだった」と言ったという。エディティング・ステートの可能性について、もう一度考えることがきっと必要なのだ。
◆虚に居て実をおこなふはセイゴオかゴジラか?
『昭和問答』には、昭和を知るための本が発行年ごとにクロニクルで記され、さまざまな形で引用される。この日の田中はその書物の前に足早に松岡の著書と仕事を紹介し、最後に『千夜千冊』に辿り着いた。千夜で千冊を書き上げることを目指した『千夜千冊』は千夜以降も更新されて、今、最後の1850夜で止まっている。田中はこれを書評のようで書評ではない、読みながら別の本と別の領域へとつながる編集の方法への「扉」だと言う。学校教育や社会という鎖に繋がれて生きている私たちは、編集を稽古することによってその鎖をほどくことができる。稽古とは、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」こと。「扉を開けて読めば、未来に向かっていくための方法に出会うことができます。使わないともったいない。ぜひ一緒にこれを生かしていきたい」最後にそう田中優子は結んだ。
田中は、逝去の数日前に『昭和問答』のあとがきの打ち合わせで松岡と会ったという。直後に書いたあとがきの『ゴジラが上陸するまで』は、松岡最後の手書きの原稿となった。昭和を語っても語り尽くせず、なお描けない。そのもどかしさを何かで巨きく補充することで晴らせるとするならば、それは、核兵器の根本矛盾が産出した「ゴジラ」のようなディストピアを孕む視界体ではあるまいか、と。残された問いに、松岡の置いていった「方法」を使って向き合いたい。
『昭和問答』出版記念トークと同じ日、ノルウェーのオスロではノーベル平和賞の授賞式が行われた。受賞した日本原水爆被害者団体協議会の92歳になる田中熙巳代表委員が式に臨み、日本政府が「原爆被害に対する国家賠償を一貫して拒んでいる」と予定になかった言葉を世界に届けた。昭和に突き刺さる方法の混乱は今も疼いている。
写真:後藤由加里/文:安田晶子
安田晶子
編集的先達:バージニア・ウルフ。会計コンサルタントでありながら、42.195教室の師範代というマラソンランナー。ワーキングマザーとして2人の男子を育てあげ、10分で弁当、30分でフルコースをつくれる特技を持つ。タイに4年滞在中、途上国支援を通じて辿り着いた「日本のジェンダー課題」は人生のテーマ。
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