べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十九

2025/10/17(金)21:00 img
img NESTedit

 言葉が届かぬ社会で、語りの回路はなお編み直せるのか。白州の空気が凍りついたその刹那、愛の掌が、語りをつなぐ編集者を呼び覚ます。身上半減――敗北の旗を高々と掲げ、語りは再び息を吹き返す。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。


 

第三十九回「白河の清きに住みかね身上半減」

 

 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第三十九回は、物語の相貌が大きく変化した回でした。放送後には「あおり過ぎ」「調子に乗り過ぎ」「妻に殴られて当然」といった反応が広がり、主人公・蔦屋重三郎への評価が揺れ動く様子が見られました。ですが、これは脚本の破綻や人物造形の失敗を示すものではありません。むしろ、視聴者の感情の揺れそのものが、脚本によって意図的に織り込まれた要素であるように思われます。第三十九回は、ドラマのキャラクターだけでなく、視聴者をも主題へと巻き込むように構成されていた――そう考えることができるでしょう。

 

 第三十九回は、教訓読本の絶版処分、白州(町奉行による公開裁き)での松平定信との対決、ていの減刑嘆願、「身上半減」という前代未聞の処罰といった、劇的な出来事が次々に押し寄せる回として描かれています。しかし、これらの出来事の表層だけを追っても、この回の核心にはたどり着けません。この回で描かれたものは、怒涛の展開や権力闘争の力学などではなく、「言葉が相手に届かなくなる」という、人間社会に潜む根深い問題でした。

 

 白州において蔦重の言葉は、その意味を吟味されることなく退けられました。返ってきたのは議論ではなく、「不遜」「幕政批判」といった即時的な断罪です。ここでは言葉は内容として扱われず、語り手の“態度”として裁かれているのです。意味に辿り着く前に封じられる言葉――この場面は、対話が成り立たない社会構造を端的に象徴しています。

 

 興味深いのは、この構造が視聴者の反応にも見られたという点です。放送直後に見られた意見の一部は、蔦重の語った内容そのものよりも、彼の態度や振る舞いに焦点を当てていました。「挑発的」「空気が読めていない」「人の気持ちを考えていない」。それは、劇中の蔦重が直面したのと同じ状況――言葉の内容が届く前に、語り手が裁かれるという構造の反復のようにも見えました。

 

 つまり第三十九回は、言葉が無力化されていく社会とはどのようにして生まれるのかを視聴者が追体験できるよう、はじめから意図的に構築されたエピソードだったと考えられます。

 

 したがって、この回を「蔦重は挑発しすぎたのか」「あの態度は間違いだったのか」といった人物論の次元に閉じてしまうと、本質を見誤ります。そこで描かれたのは個人の過ちではなく、社会の側の変質――語りそのものが成立しにくくなる状況が、どのように生まれていくのかという問題でした。

 

第三十九回が私たちに突きつけたのは、次の三つの問いです。

 

・なぜ語りは機能不全に陥るのか。
 

・語りが断絶する社会では何が失われているのか。

・ 断絶した語りはどうすれば再生できるのか。

 

 この問題を見据えなければ、第三十九回の意義も、『べらぼう』という作品が向き合っているテーマも見えてきません。本稿では、この断絶の構造を手がかりに、第三十九回の思想的核心に踏み込んでいきます。


語りの機能不全――蔦重の言葉はなぜ届かなかったのか

 

 第三十九回は、一人の男が権力と闘う勧善懲悪の構図ではありませんでした。本当に描かれたのは、「言葉が通じなくなる瞬間」とはどういうことか――その目に見えにくい現象を正面から捉えた、きわめて現代的なテーマでした。その構造が最も鮮明になったのが、白州での蔦重と松平定信の対峙です。

 

 槍玉に挙げられたのは山東京伝の洒落本三作――『娼妓絹籭』『仕懸文庫』『青楼昼之世界錦之裏』。蔦重はこれらを「教訓読本」という建前で出版しました。色事を題材に艶笑と機知で読ませる娯楽本でありながら、その末尾に「遊びは身を滅ぼすゆえ慎むべし」という但し書きを添え、「風俗を戒めるための教訓書」であると主張したのです。この本音と建前を二重化する編集戦術は、田沼期の出版統制の緩さを利用して蔦重が磨いた十八番でした。しかし、寛政の改革によって統制が強化された世界では、この戦術はもはや通用しませんでした。

 

 白州で定信は、蔦重の論理を吟味しません。彼は冒頭から、言葉そのものを抑圧する姿勢を露わにします。

 

「これを好色本か教訓本か、それを決めるのはうぬではなく、私だ!」

 

 この一言は象徴的です。ここでは言葉の意味は対話によって決まらない。意味は「決める者」が恣意的に確定する――つまり、言葉が権力に従属する社会が宣言された瞬間でした。

 

 それでも蔦重は語ろうとします。論理が封じられるなら、機知と諧謔で別の回路から切り込む――それがこれまでの彼の戦い方でした。

 

「人ってな、どうも濁りを求めるところがありまして。そこにいきゃ上手い飯が食えて、隠れて面白ぇ遊びが出来たりして、怠けてても怒られねぇ……んなところに行きたがるってのが人情ってんですかねぇ。」

 

 この語りは詭弁ではありません。蔦重が吉原の現実のなかで培った、人間存在の観察そのものでした。そして驚くべきことに、定信はこの論を理解します。

 

「濁りがある方が餌が豊かであろう。身を隠すこともできよう。」

 

 つまり、この対立は理解不能による対立ではないのです。定信は「蔦重の論が正しい場合がある」ことを認めかけています。しかし、それを認めた瞬間、自身の政治理念の根幹が崩れてしまう。だからこそ、彼は「左様なこと、百も承知だ!」と言い捨てます。 理解したうえで、それでもなお受け入れを拒む。ここで起きているのは、理解の拒絶、対話の崩壊です。そこで蔦重は最後の手段として狂歌を投げかけます。

 

白河の清きに魚住みかねて 元の濁りの田沼恋しき

 

 この狂歌は、定信の逆鱗に触れるものでした。定信が嫌悪する田沼政治を持ち出し、しかもその方がましだと示唆するこの風刺は、議論のための表現としてではなく、人格と立場を突き崩す攻撃として受け取られた可能性があります。ここで蔦重の語りは転じます。それはもはや相手の思考を開くための試みではなく、相手を打ち負かす武器へと変質してしまう。

 

 この転換点を境に、白州は議論の場としての機能を失います。言葉の内容は聞き取られる前に退けられ、語りの意図ではなく態度の印象だけが裁かれる空間へと変わっていく。蔦重の言葉は挑発として処理され、意味ごと切り捨てられる。つまり、この風刺がもたらしたのは、論争の終結ではなく、対話そのものの消滅でした。

 

 ここで重要なのは、蔦重が拒絶されたという点だけではありません。彼自身もまた、言葉の断絶を生み出す構造に巻き込まれ、断絶を加速させる側へ踏み出しつつあったということです。第三十九回が照らし出したのは、権力対市井という単純な構図ではなく、言葉が届かなくなる社会とはどのようなものか、そして対話はどのようにして崩壊していくのかという問題です。語ろうとしても届かない経験、言葉が意味を持たなくなる瞬間、対話が機能を失い、論破が目的となってしまう場――そうしたものは歴史劇の枠を超え、私たちが生きる現在にも響いてきます。第三十九回は、その不穏な現実を炙り出した回だと言えるでしょう。


複雑さに耐えられなくなった社会──語りの断絶はなぜ起きるのか

 

 蔦重の言葉は、なぜ白州で突然通じなくなったのか。それは、彼が急に傲慢になったからでも、言い方を誤ったからでもありません。問題は個人の資質や態度にあるのではなく、社会そのものが複雑な語りを受け止める余白を失っていた、という構造的な変化にあります。

 

 蔦重が語ろうとしたのは、善悪の単純な対立では説明しきれない人間の現実でした。「人は濁りを求める」という一言は、人間が抱える矛盾と弱さを見据えた言葉でした。しかし、それは反抗としか響かず、空気を読まない挑発と映った。このすれ違いは偶然ではありません。むしろ現在の社会にも繰り返し立ち現れている構造です。

 

 不安や停滞が続く社会では、人々はしばしば世界を単純化して受け止めようとします。不況、格差、災害、政治的不信、価値観の断絶――状況が複雑であるほど、「理解する」ことよりも「わかりやすく断罪すること」が優先されてしまう。善か悪か、敵か味方か、肯定か否定か――世界を複雑なまま引き受ける想像力よりも、単純な判断のほうが求められるようになるのです。

 

 そのとき、社会から失われていくのは「語りの前提」です。言葉は、本来「相手も理解しようとしてくれるはずだ」という最低限の信頼があって初めて成立します。しかしそれが失われ、「どうせ通じない」「理解する気がない」と感じるようになると、言葉は届かないものへと変わってしまう。語ることは対話ではなく、自己防衛か攻撃の手段へと変質していきます。

 

 白州での蔦重は、まさにこの状況に直面しました。どれほど言葉を尽くしても、あらかじめ貼られた評価のレッテルによって意味がねじ曲げられてしまう。彼は論理の失敗ではなく、構造的に通じない世界にぶつかっていたのです。そしてこの構造は、SNSを中心とする現代の言語環境にも色濃く表れています。

 

 ・発言は意図ではなく印象で裁かれる。

 

 ・内容ではなく態度が評価の基準になる。

 

 ・主張は対話ではなく分断の燃料となる。

 

 ・語るほどに孤立が深まっていく。

 

 「言葉が通じない」という現象は、こうしたコミュニケーション上の変化の帰結として起きます。

 

 そのとき多くの人は、語ることをやめます。誤解や炎上を避けるために沈黙を選び、無難な言葉だけを使うようになる。しかし蔦重は沈黙しませんでした。むしろ逆に、語りをさらに強め、さらに鋭くし、結果として対話の断絶を深めてしまう。これが「第三十九回の蔦重はべらぼうが過ぎる」と評された原因です。

 

 しかし、彼はただ暴走したわけでも、人格的に破綻したわけでもありません。問題は、世界のほうが変わってしまったのに、蔦重の語りの形式だけが過去のまま更新されなかったという点にあります。言葉を届ける前提が崩れたにもかかわらず、彼はそこを見落とした。ここに生じたのが、「語りの断絶」でした。そしてこの断絶は、まさに現代の私たちが直面している問題でもあるのです。


ていの語りはなぜ届いたのか──形式を編み直す者としての「編集」

 

 白州で蔦重の言葉が機能しなくなっていく一方で、同じ場にいながら唯一言葉を通した人物がいました。蔦重の妻・ていです。彼女は長谷川平蔵の仲介によって儒学者・柴野栗山に減刑嘆願を行い、蔦重に温情ある裁きを引き寄せました。しかし重要なのは、彼女が勝ったからでも、学識があったからでもありません。なぜ彼女の語りは断絶した場を突破することができたのか。それは、彼女が「語りの形式そのものを編み直した」からです。

 

 ていが用いたのは『論語』でした。しかし、彼女は古典を権威として振りかざしたわけではありません。むしろ逆に、権力が「言葉の意味」を一方的に支配しようとする空間に対して、言葉の意味を取り戻すために論語を使ったのです。彼女はまず「導之以政 齊之以刑 民免而無恥 導之以徳 齊之以礼 有恥且格」という句を引用しました。これは、政治と刑罰だけで人を縛れば精神は荒廃し、徳と礼によって導いてこそ人は正しさへ向かう、という思想です。ていはこの一節を通して、白州の議論の地平をずらしました。それまでの争点は「蔦重の書物は風紀を乱したか」「幕政批判に当たるか」といった統制の論理に閉じていましたが、ていはその座標を「人は何によって導かれるべきか」という倫理の地平へと移したのです。

 

 さらに重要なのは、その倫理が抽象論にとどまらなかったことです。根拠のない情緒訴えでもなければ、自己正当化でもない。では彼女はどうしたのか。そこで持ち出されたのが、もうひとつの論語の言葉でした――「義を見てせざるは勇なきなり」。これは単なる名句の引用ではなく、蔦重の行為の根にある動機を言語化するための導入でした。ていは栗山に対して、蔦重がなぜ山東京伝の洒落本を世に出し続けてきたのかを語ります。それは卑俗な欲や金儲けのためではない。吉原で身を売るしか生きる術のない女郎たちが、客から揚代を削られ苦しむ姿を見過ごせなかったからです。彼は彼女たちを笑いものにしたのではなく、その尊厳を守ろうとした。彼の出版の出発点は「弱き者たちを見捨てられなかったこと」にある。この核心を言い切るために、ていは「義」の言葉を用いたのです。

 

 ここで彼女は巧妙に語りの重心をズラしています。蔦重の行為の是非を論じない。正しいとも間違っているとも言わない。その代わりに、「なぜ蔦重は行為したのか」という動機の問題に語りの焦点を移したのです。動機を明確に位置づけることで、蔦重の行為を敵対や反抗の次元から、人間の倫理の次元へと引き上げた。これによって、対話の条件は回復されはじめます。

 

 ていは決して泣き落としに走らず、「夫は悪くない」と無罪を主張することもしませんでした。むしろ罪は罪として受けるべきとさえ言っています。それでもなお、彼女の語りは柴野栗山の心を動かしました。それは、彼女が語りの軸を「正義」でも「勝利」でもなく、関係の回復に置いていたからです。彼女は裁きを敵対の構造で捉えず、「裁きとは人が正しさへ戻るための機会であるべきだ」と再定義しました。このとき彼女は論破しようとしたのではなく、語りの意味を組み替えたのです。それが、断絶した場でも言葉を可能にする働きでした。

 

 現に蔦重とは異なり、ていは相手を論破しようとはしませんでした。蔦重のように自らの正しさを証明しようともしませんでした。彼女が行ったのは、語りの立脚点を変えることでした。法の論理から倫理へ、評価から動機へ、対立から関係へ――語りの形式を組み替えることで、彼女は断絶の只中にあって対話の余地を取り戻しました。ていの言葉が届いたのは、彼女が特別に雄弁だったからでも、強い立場にいたからでもありません。彼女は、言葉を人へ向け直す方法を知っていたのです。


ていの平手打ち──言葉の限界で発動する関係の回復

 

 ていは論語を用いた語りによって断絶した対話の回路を一度は開きました。しかし、それで事態が解決したわけではありません。なぜなら、言葉が届いたとしても、それだけでは人の関係は回復しないからです。蔦重は減刑に至ったにもかかわらず、なおも破滅に向かおうとしていました。言葉が届いてもなお、人は迷う。だからこそ、ていはもう一度前に出なければならなかったのです。

 

 二度目の洒落本弾圧の裁きが下る場面、京伝は手鎖五十日、新右衛門や吉兵衛は江戸所払いという処分を受けました。そして蔦重には「身上半減」という前代未聞の沙汰が下されます。この裁きが資産没収を意味するのか、収入の半減なのか、現代の私たちにもその具体的な意味は判然としません。しかし重要なのはその内容以上に、この裁きが「温情」という名の枠組みの中に置かれていたことでした。それはすでにこの時点で、ていの嘆願が裁きの背景に働いていたことを示しています。

 

 ところがその直後、蔦重はその温情を受け止めるどころか、再び挑発的な言葉に走ります。「身上半減? そりゃあ縦でございますか、横でございますか」と冗談めかして返す場面は、彼の内面がまだなお「語りの戦い」に囚われていることを象徴していました。彼は白州の場を、裁きの場であると同時に、言葉で己を貫くべき場所――自分を証明し直す舞台と見ていたのです。それは、ていの語りとは正反対の在り方でした。ていが語りを通して守ろうとしたのは「人と人のあいだに言葉が成立する条件」でしたが、蔦重の視界は狭まり、彼の語りは孤立の方向へ進み始めていたのです。

 

 この時、蔦重の言葉には決定的な変化が起きています。それは、生きている人間が見えなくなる語りになってしまっていたということです。ていの決死の嘆願や、不眠で奔走した駿河屋の義父の疲労も、捕らえられた仲間の運命にも、彼はもはや目を向けていませんでした。彼の語りは世界に向かって開かれたものではなく、死者に向けられたものになっていたのです。春町、源内、田沼意次――彼の語りはもはや亡き者たちへの忠義として存在し、今ここで生きている人々との関係を失いつつありました。

 

 温情ある「身上半減」の沙汰が下った後、白州は本来なら決着がついたはずの場でした。しかしその均衡を崩したのは蔦重自身でした。彼はなおも言葉を振るい続け、「真に世のためとなる本を出すのは難しい」と嘲るように言い放ちました。蔦重の口ぶりは、温情を見下し、裁きを茶化し、なおも言葉によって相手を挑発しようとするものでした。

 

 だが、その時の彼にとって「相手」とは誰だったのでしょうか。彼は定信と戦っているつもりだったかもしれません。しかし実際には、もはや彼の語りは誰にも向いていませんでした。「語り」と呼べるものですらなかったのです。それは、自分の内側で完結した信念の反復であり、独り言であり、呪文のようなものでした。ていはそれを見抜いていました。彼が戦っているつもりでいた言葉は、もはや誰にも届いていない。彼は生者を振り返らず、死者を見つめて語っている――そう、蔦重の言葉は「今ここ」を失っていたのです。

 

 だからこそ、ていは動いたのです。蔦重を案じ、奔走してくれた人々の代わりに一歩踏み出し、今を見失っている蔦重の頬を打った。

 

 「己の考えばかり!皆様がどれほど…べらぼう!」

 

 その瞬間、白州の空気は決定的に変わりました。彼女は怒っていた。しかしそれは、夫の言葉づかいに苛立ったというような浅い怒りではなかったはずです。彼女の怒りは、「生きている人間を見失った語り」への怒りでした。そして、彼女が振るった一撃は、ただの怒りに任せた暴力として読み下すべきではありません。言葉が届かないのではない。言葉だけでは届かない領域がある――それは、言葉が届かなくなった場所にいる夫を再び動かすための「介入」でした。蔦重と世界との関係を守るためにも、暴走する蔦重の語りを止めなければならなかった。言葉が誠実さを失うとき、人は語ることで自分を守ろうとし、結果として他者を失います。その臨界に達していた蔦重を止め、彼と世界との関係を再び結び直すために、ていは肉体的な「介入」を選んだのです。

 

 殴られた蔦重は呆然と、「何で?」と呟きました。あの一言には二つの意味があったでしょう。一つは、「なぜお前が俺を叩くのか」。もう一つは、「なぜお前がここにいるのか」。この問いには、彼が完全に見失っていたことが表れています――自分は一人で闘っているのではなかったという事実です。

 

 ていは涙を流しながら夫の頬を打ち、胸ぐらを掴み、押し倒し、まるで閉ざされた心の扉をノックするかのように、胸を叩き続けました。妻は己の全身全霊を以て、愛する夫に「戻れ」と叫んでいたのです。そこにあったのは、言葉だけでは届かない地点に踏み込むための、最後の手段としての介入でした。


正しさに囚われた蔦重と定信──「正しさの孤立」という鏡像構造

 

 第三十九回は、松平定信を単なる敵役(ヴィラン)として描くことを拒みます。むしろ定信は、蔦重の鏡像として描かれています。二人は立場も思想も異なりますが、その内側には同じ歪みが潜んでいます。それは正しさを信じるがゆえに、共同体から孤立していくという構造です。

 

 定信は、ただ冷酷な独裁者ではありません。彼は本気で世を正そうとしている人物です。贅沢を慎み、人々がまっとうに働く社会を作ろうとした。しかし彼は、信じる正しさを進めれば進めるほど、共同体から遠ざかっていきます。人足寄場は崩壊寸前、帰農令は誰にも受け入れられず、さらには改革が生んだ貧困が盗賊集団・葵小僧を生んだという現実を突きつけられます。それでも定信は政策の方向性を変えることができません。そこにあるのは、信念の強さというよりも、「正しさに取り憑かれた者」の孤独です。

 

 これは蔦重と同じ構造です。蔦重もまた「自分の信じる正しさ」を追い続け、いつしか共同体の声を聞けなくなっていました。白州で彼は狂歌や風刺を放ちましたが、それはかつての“ズラしの戦略”ではなく、自己目的化した挑発へと堕していました。言葉はすでに対話ではなく自己主張になっていた。つまり、定信も蔦重も同じく「語りを失った者」なのです。

 

 特に象徴的なのは、本多忠籌の台詞です。

 

 「越中守さま、人は正しく生きたいとは思わぬのでございます。楽しく生きたいのでございます」

 

 これは表向きは改革批判の言葉ですが、本質は“語りの重心”を問うものです。正しさだけでは語れない領域があるという指摘です。この言葉は、そのまま白州で蔦重が語った人間観――「人は濁りを求める」――と重なり、これに対して定信は「百も承知だ!」を回答しています。つまり二人とも人間の本質については同じように理解しているのに、互いの言葉は一切届かない。この断絶こそが第三十九回の本当の悲劇です。

 

 では、二人には違いがあるのか。あるとすれば、それは何か。それは引き返すことができるかどうか、ということです。蔦重はていの平手打ちによって、自分が正しさの暴走に陥っていたことに気づきました。その瞬間、共同体へと引き戻された。一方で定信には、引き戻す者がいません。彼の側には、理解者はいても伴走者はいない。だからこそ、彼の正しさは孤立へと傾き続ける。

 

 言い換えれば、定信は「もう一人の可能性としての蔦重」なのです。逆に、もし蔦重が共同体との関係を失ったまま進んでいたなら、蔦重は日本橋の出版を牛耳る「もう一人の定信」になったのかもしれません。すなわち、第三十九回は“蔦重と定信が対立した物語”ではなく、“蔦重が定信の道へ堕ちることを回避した物語”だったのです。

 

身上半減ノ店は何を示したのか――語りの再起と敗北ブランディング

 

 白州で言葉の機能を失った蔦重が、なぜ再び物語の中心へ立ち戻ることができたのか。その答えは、処罰後の蔦屋耕書堂、あの異様な「半分に切断された店」の中にあります。身上半減――財産半減の罰により、暖簾は真っ二つに裂かれ、畳はきっちり半分だけ剝がされ、耕書堂は文字通り機能不全となりました。しかし、そこから生まれたのは崩壊ではなく、物語の再始動でした。看板に記された「身上半減ノ店」は、開き直りでも逆張りのパフォーマンスでもありません。これは、蔦重が「語り手」ではなく編集者として復帰した宣言でした。

 

 処罰直後の蔦重は沈黙していました。京伝を巻き込み、地本問屋を危機に晒し、ていに嘆願を背負わせた現実を前に、彼は初めて言葉を持たない人間になっていました。しかし、その蔦屋に集まったのは沈黙ではなく、人々のざわめきでした。好奇心、嘲笑、同情、興味本位――雑多で未整理な共同体の「生」のエネルギーです。

 

 このとき蔦重は、決定的な発見をします。言葉は通じなくなったのではない。孤立した語りは死ぬ。関係の中に戻れば、語りは生き返る。

 

 蔦重は敗北したのではありません。彼は語りの前提である「関係」を失っていたのです。対するていは、減刑嘆願で関係を結び直し、あの平手打ちで蔦重を強制的に共同体へ再接続しました。その結果として、蔦重には再び「語りの回路」が戻ってきた。だからこそ、蔦屋の前に集まる人々を前にした瞬間、彼の中で何かが再起動したのです。

 

「でけぇ板持ってこい! 墨と筆だ!」

 

 この瞬間の蔦重は、もはや白州で独断を叫び続けた語り手ではありませんでした。彼は再び〈関係を編み直す〉編集者へと回帰しました。そして書き上げたのが「身上半減ノ店」です。従来の蔦重は、ズラしや風刺によって制度の網目をかいくぐる戦術家でした。しかしこの看板は、さらに一段先の編集へ踏み出しています。幕府による見せしめの処断――店を社会的に抹殺するための暴力――それを拒否するのではなく受け入れ、意味づけの編集だけで逆転して見せたのです。つまり、「前代未聞の罰=唯一無二の物語を持つ店」という言い換え、敗北によるブランディングです。

 

 ここには「風刺」よりも強力な編集思想が働いています。現実を批判するのではなく、現実そのものを素材として再配列し、新たな価値を生み出す。このとき蔦重は、権力を倒していません。しかし、権力の意味操作を無効化し、むしろその力を逆流させています。これはもう反骨というレベルに収まるものではなく、構造を編集する大いなる実践です。

 

 そしてその場に居合わせた蜀山人・大田南畝は叫びます。

 

 「そう来たかぁ!」

 

 これはただの感嘆ではありません。この言葉は、語りが更新された瞬間を見た者だけが発する言葉です。予測の範囲内に収まらない、しかし理にかなっている語り。関係を失わずに世界を更新する語り。南畝は、それがどんな思想よりも強力な行為であることを知っていたからこそ、この一言を贈ったのです。


『べらぼう』が示す新しい主人公像──編集的主人公とは何か

 

 『べらぼう』第三十九回が明らかにしたのは、この作品が従来の大河ドラマの系譜――すなわち「英雄譚」「立身出世譚」「改革者の闘い」といった枠組みから離れた場所に立っている、という事実です。従来の大河の多くは、戦国武将や幕末の志士、維新の要人といった“強い個”を物語の中心に据え、「一人の英雄が歴史を動かす」という構造を前提にしてきました。平成以降、人間的弱さや葛藤を描くリアリズムが導入されたとはいえ、そこでも依然として「個が時代を切り開く」という英雄主義の物語装置は温存され続けていました。

 

 しかし『べらぼう』は、そこで立ち止まりません。主人公・蔦屋重三郎は英雄でも改革者でも思想家でもありません。彼は、あくまで編集者として描かれています。蔦重は何かを単独で成し遂げる人物ではない。平賀源内の奇想に市場の回路を与え、恋川春町の戯作に時代の呼吸を流し込み、太田南畝の才気を世へと媒介したように、彼の仕事は「まだ出会っていないもの同士を結び、関係を組み替え、新たな意味を生む場をつくること」です。彼は“つくる人”ではなく、“つなぐ人”なのです。

 

 では、なぜ“つなぐ人”を主人公に据えたのでしょうか。それは、この作品が英雄譚そのものに批判的な視線を向けているからです。「孤高の意志が世界を変える」という物語形式は力強く見える一方で、世界を単純化し、対立を先鋭化させ、他者との関係を切断していく危険を孕んでいます。英雄が独走するとき、言葉は他者へ橋を架ける媒介ではなく、自らの正しさを証明するための武器へと変質します。第三十九回では、その危機が蔦重の内に芽生えかけた瞬間が、極めて鮮明に描かれていました。

 

 しかし『べらぼう』は、そこで英雄の物語へと回収されることを拒みました。蔦重は「信念によって世界を押し切る人物」ではなく、崩れかけた関係をもう一度つなぎ直す者として立ち上がります。蔦重は戦国武将のように支配しようとはしません。彼が扱うのは理念ではなく関係であり、対立を深める言葉ではなく、語り合う場を拓くための編集です。ここにこそ、従来の大河ドラマにはない主人公の姿――編集的主人公――の核心があります。

 

 第三十九回は、その構造がはじめて物語の表層へと浮上した転回点でした。この回において脚本は方向性を明らかにします。『べらぼう』における真の敵は権力ではない。語りの断絶です。問われているのは「誰が正しいのか」ではなく、「どうすれば言葉は再び他者へ届くのか」ということなのです。だからこそ、この物語に豪傑な英雄は必要とされません。求められているのは――断絶を越え、関係の回路を編み直す者としての編集者です。そしてその姿は、語りが分断されつつある現代を生きる私たちにも、決して無関係ではないはずです。

 


べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十三

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十一

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十七

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十六

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十五

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十四

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十三

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十二

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十一

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十(番外編)

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十五

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十二(番外編)

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十二

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その七

べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一

  • 大河ばっか組!

    多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十八

    名づけとズラしの均衡が、遂に破られた。師の不在が背を押し、歌麿は狂気へ、蔦重は侠気へ――二つの過剰が交錯し、余剰の力が切断と結節を経るとき、死は退き、文化が起つ。その不可逆の瞬間を目撃せよ。  大河ドラマを遊び尽くそう […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十七

    お腹の調子が悪ければヨーグルト。善玉菌のカタマリだから。健康診断に行ったら悪玉コレステロールの値が上がっちゃって。…なんて、善玉・悪玉の語源がここにあったのですね、の京伝先生作「心学早染艸(しんがくはやそめくさ)」。で […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六(番外編)

    春町が隠れた。制度に追い詰められ命を絶ったその最期は、同時に「泣き笑い」という境地への身振りでもあった。悲しみと滑稽を抱き合わせ、死を個に閉じず共同体へ差し渡す。その余白こそ、日本文学が呼吸を取り戻す原点となった。私た […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六

    「酷暑」という新しい気象用語が生まれそうな程暑かった夏も終わり、ようやく朝晩、過ごしやすくなり、秋空には鰯雲。それにあわせるかのように、彼らの熱い時もまた終わりに向かっているのでしょうか。あの人が、あの人らしく、舞台を […]

  • べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十五

    「…違います」「…ものすごく違います」というナレーションが笑いを誘った冒頭。しかし、物事すべてを自分に都合のよいように解釈する人っているものですね。そういう人を「おめでたい」というのですよ、と褌野郎、もとい定信様に言い […]