豊臣双瓢譚 ~第六回~

2026/02/21(土)21:18 img
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 一分の隙もない完結は、逃げ場のない歪みを溜め込み、内側から自壊する。だが、穿たれた孔たちは、硬直した運命の圧を逃がすエスケープとなる。その孔たちは、支え合うふたつの不揃いな生命が、秩序という牢を穿つ、狂おしい蜂起の痕跡なのか。

 さて歴史をふかぼれば宝の山。史実と史実の間にこぼれ落ちたものにこそ真実が宿る、かもしれない!? 歴史と遊ぶ方法を大河ドラマにならう多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」。クラブの面々を率いる筆司の二人が、今週のみどころをお届けします。


 

第六回「兄弟の絆」

 

捨て石の論理 ―― 信長の非情な設計図

 

 第六回は、始めから冷たい設計図の上に置かれています。信長は鵜沼城主・大沢次郎左衛門を味方に引き入れるために藤吉郎と小一郎の兄弟を派遣し、「城も所領も安堵する」と明言しました。しかしその裏で、大沢に暗殺未遂の濡れ衣を着せて排除する策を準備していました。

 

 もし大沢が小牧山城へ出向けば、佐々成政が刃を忍ばせ、それを反意の証拠に仕立て上げる。信長の支配を乱しかねない芽は、芽であるうちに摘む。それが信長の統治原理でした。

 

 そこには私情はありません。大局のためには局所を切り捨てるという判断があるだけです。美濃攻めという大きな戦を前に、前哨戦での不確定要素は排除されなければならない。その過程で、人質となった藤吉郎が命を落とす可能性さえも、信長の想定内であったはずです。信長にとって、藤吉郎は忠義の家臣である以前に、目的を果たすための捨て石に過ぎませんでした。

 

隙間を恐れる記憶 ―― 信長のトラウマ

 

 信長が「隙間」を極端に排除しようとするのは、単なる独裁への渇望からではありません。その深層には、かつて実弟・信勝を自らの手で葬らざるを得なかった、取り返しのつかない決別のトラウマが横たわっています。

 

 血縁という、この世で最も堅牢であるはずの関係に生じた亀裂。それがやがて巨大な地割れとなって織田家を二分し、最終的には最愛の弟を自らの手で殺めねばならないという、残酷な結末を招きました。信長にとって「隙間」とは、風通しの良い余白などではありません。それは、たとえ針の穴ほどの小さなものであっても、ひとたび組織という巨大な石垣が積み上がれば、その自重によって巨大な裂け目と化し、組織全体を瓦解させる崩壊の起点に他ならないのです。

 

 だからこそ、彼はあらゆる隙間を埋め尽くそうと腐心します。家臣の二重忠誠を徹底的に排除し、すべての権能を自分という中心点へ収束させる。一切の遊びを排し、全体を一点の淀みもない”究極の一枚岩”へと昇華させることでのみ、世界は安定を保てると信じているのです。

 

 しかし一分の隙もない一枚岩には、揺れを逃がす余裕がありません。それは強固であると同時に、想定外の揺れが加われば砕け散るという、構造的な脆さを内包しているのです。


隙間を活かす兄弟 ―― 負荷を逃がす「穴太積」の構造

 

 信長の一枚岩の思想の前に立つ藤吉郎と小一郎は、驚くほど対照的な性質を持つ兄弟です。兄・藤吉郎は徹底した楽観主義という「陽」の極致にあり、主君の言葉を一切疑わず、その光の中に身を投じます。対して弟・小一郎は、鋭利な合理主義という「陰」を抱え、主君の非情な策謀をいち早く見抜いてしまいます。しかし小一郎は、主君からの理不尽な要求に震えながらも、決して兄の手を離しません。

 

 二人の間には、埋めようのない性格や価値観の差異が存在します。しかし、信長であれば亀裂と見なすであろうその隙間は、この兄弟においては決して対立には転じません。むしろ、そのズレこそが石垣における「穴太積の隙間」となり、一方が負荷に押し潰されそうな時、もう一方がその余白に滑り込んで圧力を逃がす、極めて強固な支え合いの構造を生んでいるのです。

 

 藤吉郎が放つ「情」によって未知の世界を拓き、小一郎が持ち込む「理」によってその足場を整える。彼らにとって隙間とは、排除すべき欠陥ではなく、衝撃を分散し崩壊を防ぐための余白に他なりません。

 

 後に信長が築く安土城の石垣も、このような「穴太積」による負荷分散の技法があって初めて、前例のない高さを維持することが可能となりました。信長が力で埋めようとする隙間を、兄弟は揺れを逃がすための強靭な構造づくりに利用します。

 

 そこでは、考えの完全な一致など求められません。むしろ違うままで補完し合う”しなやかさ”こそが、冷徹な一枚岩の論理とは一線を画す、新しい時代の秩序を予感させているのです。


小一郎の現代性 ―― 分裂したまま際に立つ

 

 この「穴太積」という負荷分散の構造は、小一郎の精神そのものにも深く根を下ろしています。彼が戦国時代を描いたドラマのキャラクターでありながら、異質なほど現代的に見えるのは、割り切れなさを抱えたままその場に踏み止まるという、現代人に近い精神や思考を有しているからです。

 

 小一郎は信長の設計図を誰よりも正確に読み解いていました。兄が犠牲になる未来を予見しながら、小一郎は信長に対し「兄者はこうなるかもしれないと分かったうえで、それでも人質であることを選んだ。殿の命に従い、言葉を信じた。そういう家臣をあなた様は失うことになる」と理を説きます。

 

 その冷酷さを理解し、客観的に損得を提示できる知性は、むしろ信長のそれに近いものですが、小一郎の真骨頂は、その理屈を主君に突きつけた直後に、全く別の次元から感情を爆発させた点にあります。

 

 「この度のことで、あなた様のことが大っ嫌いになりました。わしを生かしておいたら、いつか寝首を掻くかもしれませんぞ」

 

 大河ドラマの歴史においても、これほどまでに主君を突き放す言葉は極めて異例です。この言葉は、信長を揺さぶり、大沢に自分を斬らせるための緻密な「演出」であると同時に、喉元までせり上がった「本音」でもありました。冷徹なロジックを積み上げた果てに、自らの首を絞めるような殺意を漏らす。この”整合性のなさ”にこそ、小一郎という男の人間味が凝縮されています。

 

 「あなた様に従うこと(仕事)」と「あなた様を嫌うこと(感情)」を無理に統合せず、引き裂かれたまま主君の前に立つ。従来の忠義という一体化の美学を塗り替え、自立した”個”として、組織と緊張感のある関係を保ち続ける。この「嫌いな相手とも、目的のために共生する」という切実なスタンスこそ、組織に生きる現代人の葛藤に深く共鳴する、強烈な現代性です。

 

 そしてこの「寝首を掻く」という一言は、奇しくも後の歴史に対する恐ろしいほどの伏線としても響きます。小一郎はこの時、物理的な暗殺を予告したわけではありません。しかし、信長の「絶対的合理」というOSを、全く別の「信頼」というOSで上書きし、その設計図を書き換えてしまったという点において、彼はすでに信長の思想の寝首を掻き始めていたのです。後に信長の遺産を、「穴太積」の論理で塗り替え、豊臣という新しい秩序へと飲み込んでいく……。その奪取への萌芽が、この剥き出しの言葉の中に宿っていました。

 

 現代社会を生きる私たちもまた、組織の合理を理解しながらも全面的には信じられず、割り切れない思いを抱えています。小一郎はまさにその体現者です。彼はシニカルでありながら冷笑的ではなく、合理主義者でありながら非情でもない。信長が恐れた微細な亀裂を、負荷を逃がすための余白へと転換させる。このしなやかな精神構造こそが、硬すぎるがゆえに脆い信長の秩序を補完し、そして最後には織田家をも超えて、豊臣の世を支える石垣の「穴太積」となっていくのです。

 

小一郎による例外の布石 ―― 自己保存の石を捨てる

 

 このように”分裂”を抱えながら信長と対峙した小一郎ですが、ここで注目すべきは、信長が目的達成のために藤吉郎を「捨て石」にしようとした一方で、小一郎もまた、自らを縛っていた「石」を捨てようとしていたことです。それは、主君への不信感に根ざした、冷めた防衛本能とでもいうべき「自己保存の石」でした。

 

 「殿は自分たちを使い捨ての駒としか見ていない」と不信感を抱き、距離をとって自分を守ろうとする限り、それは「人間は必ず裏切る」という信長の信念を、自らなぞり、肯定する行為に他なりません。

 

 主君を疑い、保身に走ることは、結果的に信長の冷徹な人間観を正解たらしめてしまう。その不信の連鎖の中に留まる限り、小一郎も藤吉郎も信長が恐れる「裏切りの隙間」の一部でしかなくなり、再び捨て駒として使われる可能性が高まるからです。

 

 小一郎はそのパラドックスを突破するため、生存本能を投げ捨てるという賭けに出ました。大沢に自らを斬らせることで、信長の描いた暗殺未遂という虚構を打ち砕き、兄と大沢、双方の命を救うための身代わりの一手を打ったのです。

 

 信長の一枚岩の思想は、「人間は必ず裏切る」という不信感で塗り固められています。しかし、小一郎は「命に代えても兄を裏切らない」という、信長のロジックにはあり得ない行動をとりました。これが、一切の隙間を許さなかった信長の心に、信頼という罅を刻み込んだのです。

 

「捨て石」から「石を捨てる」へ ―― 崩壊を止めた「三つの放棄」

 

 物語の冒頭で信長が突きつけたのは、目的のために駒を犠牲にする捨て石の論理でした。しかし、物語の結末で私たちが目撃したのは、その非情な連鎖を止めるべく、三人が自らの意思で「石を捨てる」という、鮮やかなメタファーの転換です。

 

 まず、信長が捨てたのは「絶対的合理」という石でした。信長の石は単なる礫ではなく、大局のために局所を切り、危険の芽を事前に潰すという確固たる統治思想そのものです。兄弟を捨て石にする設計は、一枚岩の組織を築く上では正解だったかもしれません。しかし信長は、物語の最後に自らの設計図を撤回しました。統治の根幹をなす信念を保留するという、彼にとって最も勇気を要する許容を行ったのです。

 

 次に、小一郎が捨てたのは「自己保存」という石です。彼は主君の計画の冷酷さを見抜いており、幻想を一切持っていません。だからこそ、彼が命を差し出す場面は凄まじい重みを持ちます。「あなた様のことが大っ嫌いになりました」という剥き出しの本音を抱えながら、それでも自分を守るための合理的な安全圏を投げ捨てた。小一郎が捨てた石は、「裏切られる前に自分から冷めておく」「他人は端から信用しない」という心の安全装置です。「信じても仕方がない」「どうせ誰も本気では守ってくれない」と心のどこかで決めておけば、裏切られたときの痛みは小さくて済みます。期待値を下げておくことで、傷つくリスクを最小限に抑える――そんな冷笑的な予防線です。しかし彼は、その予防線を踏み越え、殺意すら抱いた相手の懐に無防備で飛び込みました。これは盲信とは異なる、絶望を知った上での”新しい信頼の提示”です。

 

 そして、大沢次郎左衛門が捨てたのは「暴力」という石です。彼は実際に信長を討つための石を手に握りしめていました。しかし、彼は復讐という戦国の回路に身を任せるのではなく、出家という道を選びます。石を投げれば歴史は血で進み、石を置けばその連鎖は止まる。大沢が捨てたのは、勝ち負けでしか世界を測れない戦国の論理そのものでした。

 

 「捨て石」から始まった物語は、三者がそれぞれの石を「捨てる」ことで、奇跡的な和解へと変容しました。この脚本が仕掛けたメタファーの転換は、組織の合理性に呑み込まれ、自らを”替えのきく駒”だと規定してしまいがちな現代の私たちに対し、システムに飼い慣らされるために握りしめた防衛の石を放せ、という生存戦略の提示です。完璧な一枚岩を築くための”捨て石”の非情さよりも、”石を捨てる”ことで生まれる隙間が、戦国の冷酷な構造を一時的にでも凌駕し、人間としての尊厳を奪還させたのです。


隙間の代償 ――救済と破滅の二面性

 

 小一郎の言い分を聞き入れ、計画を撤回した信長の表情は、憑き物が落ちたかのようにサッパリとしたものでした。お市に「弟が命懸けで兄を守る姿が見たかったのではないか」と揶揄される様子は、孤独な信長が一瞬だけ見せた、人間らしい”隙間”でもありました。

 

 しかし、この脚本の凄みは、その信長の背後で、ただ一人、抜き差しならない過去の重みに沈んでいた柴田勝家に集約されています。

 

 勝家が呟いた「わしは殿を裏切りません」という言葉は、単なる忠誠の証明ではありません。彼はかつて、信長の弟・信勝の重臣でありながら信長へと寝返り、その密告によって信勝を死に追いやった十字架を背負っています。小一郎が見せた命がけの兄弟愛は、勝家にとって、自分がかつて切り捨てた尊い絆の写し鏡であり、己の過去を断罪する残酷な光でもあったはずです。

 

 歴史的帰結を踏まえれば、ここにこの脚本が仕掛けた「救済と破滅の二面性」という核心が浮かび上がります。

 

 小一郎が提示した「穴太積の隙間」は、信長の呪縛を一時的に解き、兄弟の命を救いました。しかし、この合理を情で上書きする力こそが、後に秀吉を天下人へと押し上げ、織田家の旧来の秩序を根底から侵食していく毒ともなります。勝家がお市をちらりと盗み見た視線は、捨て石の論理に支配された秀吉に追われ、燃え盛る北ノ庄城にてお市を道連れに自害するという、勝家の運命を先取りしているかのようです。

 

 小一郎が創る「隙間」が、やがて勝家とお市という旧世代を飲み込む「裂け目」へと変わっていく。石を捨てることで手にした自由が、同時に別の人間の居場所を奪っていく。この救済と破滅が表裏一体となった歴史の皮肉を描くことで、本作は単なる英雄譚を超え、現代の私たちに「守るための選択が、意図せずに他者を追い詰める構造的な残酷さ」を突きつけているのです。

 


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