イシス人インタビュー☆イシスのイシツ【シャーマンな西森千代子】File No.7

2021/03/11(木)13:00
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遊刊エディスト読者であれば、昨年スタートした新連載【エディスト占い】で、自身のエディストタイプを占った経験があるだろう。

堅実の「白川静」に審美眼の「白洲正子」、「寺山修司」の切れ味に、話題沸騰な「渋沢栄一」の人望。

 

これら偉大な先達たちの〝らしさ〟をイラストで擬き、占いにさらなる真正を加えたのが誰あろう、今回のイシス人。イラストレーター、デザイナーとしてコンピュータの黎明期からデジタルとアナログを融合させ、数々の制作物を手掛けてきた。

 

仕事を離れて描く作品には、植物やふしぎな生物、空、雲、星などが淡い色彩で表現され、あふれんばかりの詩や言葉が添えられる。

イメージや言葉が加速して止まらなくなったパトス。

 

しかし訪ねて行った武蔵浦和の事務所兼自宅でイシツ人の口から出たのは、「わたし、言葉っていうものがすごく苦手なんです」という、意外すぎる言葉だった。

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【イシツ人File No.7】西森千代子

40[守][破]師範代。東京藝術大学在学中に知り合ったデザイナー三枝英徳氏とデザイン会社「プレゼンツ」を設立。2011年から埼玉県立新座総合技術高等学校デザイン専攻科社会人講師。個展実績も多数。たおやかな雰囲気とは裏腹に、高校在学中から仕事を請け負い、365日描き続けるDailyillustration企画を敢行するなど行動の人。何ごとも丁寧な敬語で表現し、ネガティブな言葉が口から出てこない、聖なるイシツ人。

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6階建てマンションの最上階、通常ならリビングダイニングにあたる部屋にデジタル機材が所狭しと置かれ、手のかかったアクアリウムがあいだを埋める。夫でもある三枝氏が差し入れてくれたコーヒーと、たくさんの資料を準備して、イシツ人は少女のような可憐さで待っていた。

 

「私の絵でイシスのお手伝いができるなんて!と、飛び上がって大喜びしたのですけど、私で大丈夫かしら?と不安も押し寄せて…。イシスの依頼は決して断らないと仰っていたロックな倉田慎一方師の言葉を思い出し、謹んでお受けしたんです」

 

対象となった先達たちは、単なる模写を超え「らしさ」が原型に迫るまで資料に当たり、特に情報の乏しかった西郷隆盛は、頭髪の剃り上がりが右側か左側かまで突き詰めた。

しかし描くあいだは沼にもぐるように対象にとっぷり浸るが、水面にぷはーっと顔を出せば昨日見たドラマも忘れるように、言葉にすることは難しくなるという。

 

「ずっと言葉に不自由を感じてきたんです。勝手気ままな絵や言葉は次から次へどんどん浮かんで、紙に落とすのが間に合わないくらいなのですが、脳内に浮かぶイメージを人様にお伝えするにふさわしい言葉に整えるまでに、とても時間がかかってしまいます。

仕事ではデザインコンセプトなど伝達が難しい言葉の大部分を夫が担当してくれていて、二人の会話はちょっと超能力っぽいかもしれません」

 

※推敲を重ねた貴重な下書き

ジシツでイシツ

(ジシツとは:自質。狭義に自律的性質)

人の世を機能させる「ただの詞」は窮屈で、それでは表現しきれないあやの詞」が脳内を遊び回っているということだろうか。

何だかあの人みたいだな、と思っていると、やはりエディストタイプは「石牟礼道子」。みっちんが水俣の山海を駆け回ったように、イシツ人も大阪は〝千里の山猿〟と呼ばれて育ち、動植物や宇宙、鉱物などにおどろくような共感をもって大きくなったと言う。

 

当初進んだのは音楽の道だった。幼い頃からピアノや楽理を習い、古楽器チェンバロではプロ奏者への道が開けつつあった。しかし古楽器ゆえのドロドロした不自由さが立ちはだかり、同じくらい好きで大切にしていた美術の道に進学した。

 

「楽器の売買に関して、師事する先生を通さなければいけない原則を知らず、先生の逆鱗に触れてしまったんです。このままチェンバロを続けたいならと、丁稚奉公の形で教室の雑用係を務めることになり、レッスン室の掃除や原稿の清書など高校の授業が終わると毎日通いました。貴重な学びの体験でしたが、たまたま参加した音楽の講習会で『ああ、あなたが!』と言われたときには、自分の性分がこの世界に向いていないことを感じ、反対する親を説き伏せ美術の世界にきたんです」

 

望めば学べる家庭環境と相矛盾するようだが、イシツ人は高額な楽譜代を稼ぐため、高校在学中からイラストの仕事を並行して始めていた。制作した文化祭のパンフレットがデザイン事務所の目に留まり、アルバイト禁止だった進学校に認めさせてのこと。兄や妹にも教育費を惜しまない親に対し、さらなる負担をかけさせたくないと思うが故の行動だった。

 

「中学生の時、同級生の双子の男の子のお父様が亡くなったんです。特別仲良しだったわけではないんですけれど、お葬式に参列しながら今後について深く感応したというか。親のいない人生にぽんと放り投げられても立っていなくてはと思いましたし、親に頼り切る人生に、何だか納得がいかなかったんだと思います」

 

学びながら仕事をするのが当たり前の感覚となり、入学した藝大でもクラスメートに「おはよう!」の挨拶とともに「将来何になりたくてここに来たの?バイトは何やってるの?」と屈託なく話しかけた。

そこで先を見据えたヴィジョンに深く共感したのが、のちにパートナーとなる三枝氏。在学中から互いの仕事を手伝い、卒業後に共同で現在のデザイン事務所を立ち上げた。「一般的に友達の親の葬式に出ても、そこまでは思わないですよね。やはりそこは西森の性格だし、個性なんだと思います」と、言葉が苦手というイシツ人を夫がフォローするのも、いつもの光景らしい。

 

ドウシツでイシツ

(ドウシツとは:童質。狭義に少年少女性)

「音楽も美術も、言葉にすることに無理がある世界を、何らかの翻訳をして抽象化しているのだと思うんです。難しいと言われる美術の抽象論がすとんすとんと腑に落ちたとき、音楽を学んできたことが無駄じゃなかったと思いました。何より絵を描くことは私にとって自由そのものだったんでしょうね、もう楽しくて楽しくて。音楽はいまも大好きですけれど、自分とは別のものになる努力をしていた気がして、現在の自分は千里の山猿と呼ばれていた幼いころの私と、完全にイコールで結ばれているんですね」

 

だからイシツ人は、いまも少女のままなのか。

 

幼い千代子ちゃんがイシツ人の手を引くように天職へと導き、のちにイシスとの出会いも連れて来た。

2005年、夫がアートディレクションを担当した冊子で、映画監督の新海誠氏とともにイラストレーターとしてインタビューを受けた。同じくエディトリアルデザイナーとして取り上げられていたのが編集工学研究所でデザインを担当し、その後フリーとなった美柑和俊氏だった。

 

イシス編集学校を知り強く惹かれたものの、自分とは縁のない高度な世界だと一旦は通り過ぎた。その後、時代は不景気の一途を辿り、経費削減の煽りで編集者やコピーライターやカメラマンの仕事までがデザイナー一手に回ってくるようになる。自己流一人編集者状態。編集を学びたい!と強く思ったとき、大阪大学の講演会で再びイシスの思想に触れる。

 

「プロダクトデザイナーの川崎和男さんのトークショーのお相手が、松岡正剛校長だったんです。専門家でないと入れないと思っていたイシスが、そうではなかったんですね。そこからはもう止まりませんでした。言葉に対する不自由感もあってのことでしたので、イシスに入門して道具をもらったような気もするし、舟に乗せてもらったような気もするし。

特に『略図的原型』はクライアントさんの核を取り出し、ふさわしい形にデザインしていく作業に豊かな言語を付与していただき、さらに自由になれた気がしました」

 

特に驚いたのが、校長の言葉づかいだった。

「校長は、難しいことをとても分かりやすくお話くださると思うんです。使われる言葉が個性的なので、分かりにくいと仰る方もおられますが、単語をひとつぽーんと放つと、それを別の言葉、また別の言葉にと2つ3つと置き換えてお話されますよね。誤解したまま理解した気にならないよう、心を砕いておられます。

お題もそうですよね。驚くほどたくさんのヒントが詰め込まれているんだけど、簡単には鍵が開けられないようになっていて、どこが鍵穴だろうと引っかかって悩むからこそ、自分のものになる構造になっています。まるで2時間ミステリーの種明かしのように、お題に全て書いてあったと後から分かるって、そんな仕組みが作れる編集学校の学びってすごいことだし、小学校で学ぶ国算理社に編集も加えたら、みんなもっと自由になれるんじゃないかなあといつも思うんです」

 

※イシスとの出会いを導いた一冊

ユウシツでイシツ

(ユウシツとは:幽質。狭義に幽事とのつながり)

ただの詞に不自由を感じる分、あやの詞で感性を記号化し、より多くを汲み取る。

なんだかイシツ人の話を聞いていると、この世への慈愛とともに「かくりごと」(幽事)世界との親和性のようなものまで感じる。

そう告げると「誤解されることがあるので、あまり人には言わないのですが…」と前置きし、自身の臨死体験について語ってくれた。

 

バブルが弾け、過労死もおかしくない徹夜続きの激務下、明日朝目覚めなくても不思議ではないと眠りについていた頃。あの世とは、生まれる前の世界に戻ることだと知った体験だった。

 

「求肥のようなぼわんとした気持ちのいい世界の中にいて、隣には猫だか虫だか分からないものもいっぱいいて、自分もその要素のひとつとなって溶けちゃう感じなんです。すべて一体で境も何もない。あまりに気持ちが良いのでずっとそこにいたかったのですが、声がしたんですね、なぜお前がここにいるんだ、会いたい人はいないのかって。夫の顔が浮かんだ瞬間、ぴょんとこの世界に戻りました。あ、『杜子春』みたいだなと思いました」

 

過労ゆえの幻覚だ、妄想だと、科学的説明を付与しようと思えばできるだろう。でもイシツ人にとっての体験の意味を聞けば、そんなことはどうでも良くなる。

 

「死んだらあそこに戻れるとわかり、何も怖くなくなりました。そして、日本という国の、こんな面白い時代のこんな面白い人生を生きる機会をもらったのだから、毎日毎日を楽しみ尽くすことにすべてを賭けようと思ったんです。私にできるのは絵を描くこととデザインすること。そこから小さな波動が伝えられれば嬉しいんです」

イシツ人のイシツブツ

(イシツブツとは:狭義にイシツ人こだわりの逸品)

最後にイシツ人は「ここからの眺めが私の〝イシツブツ〟です」と、ルーフトップに連れ出してくれた。新しく仕事に取りかかる際、必ずここに出て空を眺め、気持ちをあらたにする儀式のような場所。

爽快な景色ではあるが、同じ目の高さには開発著しい駅前のビル群や高速道路も見え、富士や箱根の山々もそれら人工物なしには目に入らない。

 

当日は強風で撮影ができず、後日イシツ人が送ってくれた写真を見て了知した。なんと美しく、世界を見ていることだろう。今の世を謳歌することにすべてを賭けると決めて、見えている世界と見えないものを組み合わせ、美しく優しく世界を再編集する。言葉に不自由を感じているイシツ人は、そうして生きることに決めたのだった。

【おまけ◎イシツ人と素直】

[守]当時の師範代・丸洋子は稽古開始早々に「望めば誰でも師範代になれる」と書き、これほど麗しく言葉を繰り出せるようになるのかと驚きながらも素直に受け取り、そのまま師範代となった。音楽から転向し藝大に受かった際も「素直が良かった」と言われた。素直とは自分を否定されても受け入れ別様を探す能力。講師として教えている学生たちも「素直な子は伸びます」。

素直は魅力である。

 

 

(※印/プレゼンツ提供画像

 

 

【過去の連載記事】

≪File No.1≫宇宙人な桂大介

≪File No.2≫福田容子の伝説

≪File No.3≫矢萩邦彦の黒

≪File No.4≫ズレのネットワーカー福田恵美

≪File No.5≫”守”護神な景山和浩

≪File No.6》鏡の国の阪本裕一


  • 羽根田月香

    編集的先達:水村美苗。花伝所を放伝後、師範代ではなくエディストライターを目指し、企画を持ちこんだ生粋のプロライター。野宿と麻雀を愛する無頼派でもある一方、人への好奇心が止まらない根掘りストでもある。愛称は「お月さん」。