【感門ミステリー01】あなたは誰? 新師範代「天野陽子応援団」の謎

2020/03/17(火)22:18
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 イシス初となった「ハイブリッド感門」。エディットカフェでは「イーてれ」として、副音声ならぬ副テキストライブが繰り広げられ、本楼と学林堂と校長書斎をカメラでつなぐ三元配信、そしてオンライン登壇はzoomでつないで中継。いずれも初物づくしのハイブリッド。裏方はトランシーバー12台で進行、タイムキープ、配信担当、登壇者確認の声が入り乱れたカオス状態であった。そこでは初物ならではのいくつものミステリーが生まれる。その裏方秘話を紹介しよう。

 
 天野陽子師範代がいない!
 感門之盟ハイライトとなる「新師範代の教室名発表」。コロナウィルスの影響で、今回の感門では、多くの新師範代がオンラインでの登壇となった。オンライン登壇者の確認は学林局 八田英子と感門団 後田彩乃のロールである。出番前に揃っているかを確認する必要がある。
 
 「天野さんが登壇者用のzoomに入っていません」。八田からシーバーに連絡が入った。「え!花伝所のラウンジで天野さんにアクセスするように連絡して」進行の吉村から指示が入る。八田は花伝所のラウンジに急ぎメッセージを入れるものの反応がない。電話も入れてみたが留守電だ。もうすぐ出番なのにどうしたのだろう。裏方スタッフに焦りがつのる。そのとき、配信担当の編集工学研究所 伊藤が何かを発見した。
 
 「視聴用アカウントの方に<天野陽子応援団>という人がいます!」。天野陽子応援団? それが天野陽子? 
 「天野陽子応援団って天野さんですかねえ」「確かに自分で自分を応援するというのもあるかもしれないよな」「有森裕子的な?自分で自分を褒めたいみたいな?」様々な憶測がシーバーに飛び交った。
 
 「応援団に天野さん本人か聞いてみて」。後田は「応援団」に個別でのチャットを試みようとする。登壇の出番が迫る。そのときだ。何事もなかったかのように天野陽子本人が涼しい顔で登壇者アカウントに現れた。ん?そうすると応援団は? 
 
 「天野陽子応援団は天野さんではありませんでした。坂根さんです」後田から一報が入る。坂根さんとは坂根真里さん。天野陽子師範代とは、同じ花伝所のむらさき道場で切磋琢磨をした。むらさき道場からでた唯一の新師範代を応援したいという気持ちでのハンドルネームだったのだ。晴れて命名された天野師範代の教室名は「分身リトム教室」。その名の通り、開講前から見事な「分身」で裏方にミステリーをもたらしてくれた。
 
  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。