今を去ること二十数年前(1999年)のことです。
東京の出張から帰ってきた父が、向こうのスナックで、知人からマンガ家を紹介されたと言いました。
「カワグチカイジとか言ってたけど、お前知ってるか。」
「えええええええ!?」
そりゃあもうビックリしたのなんのって、一人で大騒ぎです。
「なんだ、そんなにすごい人なのか?周りの人たちが「先生」「先生」って言ってたから偉い人なのかなと思ったけど…」
「偉い人どころの話じゃないですよっ!!!」
当時のかわぐちかいじは、『沈黙の艦隊』の連載も終わり、すでに不動の地位を得た大作家でした。私の父は、マンガなど読むような世代ではなかった<1>ので、当然、かわぐちかいじも『沈黙の艦隊』も知らなかったのです。
それから、だいぶ経ってからのこと。
「お父さん、昔、スナックで、かわぐちかいじってマンガ家に会った話をしたでしょう」
「そんな話したっけか?全然覚えとらんぞ」
おいおい!! なんて、もったいない話なんだ(笑)
さて、父のことはさておき、かわぐちかいじといえば、いうまでもなく画業半世紀以上にわたって第一線で活躍してきた大巨匠です。
代表作の『沈黙の艦隊』は、1988年から96年まで「コミックモーニング」に連載され、一大センセーションを巻き起こしました。
今回は、そんな『沈黙の艦隊』からの一ページを模写してみましょう。
(出典:かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』⑥講談社)
かわぐちかいじは、カット割りの抜群にうまい作家です。特に読者を気持ちよく乗せるリズム感の良さは天下一品ですね。
このページは、紙の本では右ページにあたるわけですが、かわぐちかいじは、【右ページ一コマ目】を非常に大事にする人です。ここで大きな決めゴマを描く、という意味ではなく、ストーリー上のポイントとなるコマを置くことで、リズムを整えるのです。それを、かわぐちは「ピントを合わせる」と言っています。ここでは、主人公・海江田が魚雷発射指令をするアップの絵が入っています。
そしてその次は、海上にいる別の戦艦の乗員のアップ。【映画のカットバック】のようなリズムを創り出しています。一コマ目と二コマ目の緊張関係によって、全体をコントロールしているのですね。
三コマ目の魚雷発射のシーンも印象的です。潜水艦が【ピッタリ真正面】を向いていますね。弾頭も、まっすぐ正面なので、完全な円になっています。『沈黙の艦隊』では、戦闘中、特に重要なシーンで、こうした真正面の画角がよく使われるのですが、異様な迫力がありますね。
ペンタッチは、かなり古い劇画の作法を残しています。もはやシーラカンスといっていいレベルですね。Gペンの強弱も、今日び珍しいぐらいはっきりついていて、いかにも年季の入ったベテラン作家といった風情です。
■『沈黙の艦隊』の大ヒット
『沈黙の艦隊』でブレイクする前のかわぐちかいじは、わりと古臭い絵柄の、イマイチぱっとしない作家というイメージでした。大ヒットとは無縁の場所で、手堅く固定ファンを掴んで、細く長くやっていくような作家に見えていたのです。
そんなわけで『沈黙の艦隊』が始まったときには、「えっ!?あの人が、こんな凄いエンタメを描けるの!?」と心底驚いたものです。
とにかくオープニングから、いきなり凄かった。日本近海の不審な潜水艦事故から始まる冒頭のエピソードから、いきなりフルスロットルで飛ばしまくります。
息つくひまもなく無茶な展開が次々と投入されてサスペンスを盛り上げ、「原子力潜水艦が独立国家を名乗る」という、もともと無茶すぎる設定に向けて突っ走っていく展開の妙は無類の面白さでした。
連載開始から程なくして、この作品、私の周りでも、すぐに話題になっていました。
「最近、モーニングで始まったアレ!!」
「沈黙の艦隊?」
「ソレソレ!!」
「あれ何なの。めっちゃ面白いよね」
「あれは凄い!!」
寄ると触ると噂になっていたので、私もあわてて読み始めた記憶があります。
漠然とした印象から軽く見ていた「かわぐちかいじ」という作家が突如として巨大な存在として浮上してきたのです。
戦艦や潜水艦が入り乱れての軍事的な戦いということになると、当然、専門用語が大量に出てくるのですが、基礎知識ゼロの私のような者にもノーストレスで読ませるテクニックは相当なものでした。
世界中の軍事力が束になってかかってくるのを、たった一隻の潜水艦が、巧みな戦術でなぎ倒していくその展開は、マンガならではのケレンとハッタリが存分に発揮されていて、これぞエンタメと膝を打ちます。
しかし、それだけに、この作品のもつ、もう一つの要素が気になるのでした。
そう。そのあまりにも旗幟鮮明な政治的メッセージです。
■反米ナショナリズム
当時、私は『沈黙の艦隊』を人に勧めるときに「とりあえず4巻目まで読んでみて」と言っていました。
『沈黙の艦隊』は、最初に刊行されたコミックスでいうと4巻目まではふつうのよくできた海洋アクション、5巻目を超えたあたりから、だんだんと思想的な色合いが濃くなっていきます。あまりにも露骨な反米ナショナリズムです。
当時は、リベラル左翼的な物言いが、言説のテンプレートとなっていて、こういったナショナリスティックな論調のメッセージは、かなり異様なものに見えました。
ちなみに小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』の連載が始まるのは1992年、従軍慰安婦問題をきっかけにナショナリズムの問題を扱い始めるのは掲載誌を移して『新ゴーマニズム宣言』になった1996年以降のことです。
『沈黙の艦隊』の連載が始まったのは1988年。まだソ連も崩壊しておらず、初期のエピソードでは「やまと」がソ連艦とバトルを繰り広げたりしています<2>。こうした時代状況のもとでの、『沈黙の艦隊』の思想的メッセージは、読んでいて、とても居心地の悪いものでした。
「最初のままエンタメ路線を突っ走ってくれたらよかったのに、なんでこんなヘンな展開になっちゃったんだろう」と、むず痒く思ったものです。
しかしそれは、かわぐちかいじという作家のことをよくわかっていなかったからでした。そもそも、かわぐちかいじが、普通の軍事サスペンスなんか描くわけがなかったのです。
■最後の劇画人
かわぐちかいじは、70年代末から80年代初頭にかけて多くの生物種が消えていった「大量絶滅」の世紀(高橋留美子の回参照)を生き延びた、数少ない「劇画」種の一人です。彼のような、はっきりとした劇画タッチを残しながら、大メジャー作家の地位を築いているケースは、極めてレアだと言えるでしょう。
1948年生まれのかわぐちは、安彦良和の一つ年下、完全な全共闘世代です。1967年に明治大学に入学していますが、その頃の明治には、のちに国際的テロリストとなる重信房子や、『レッド』(山本直樹)の悲劇のヒロイン「天城」こと遠山美枝子がいました。かわぐちの在学中には「明大闘争」として知られる激しい学生紛争が起こっています。
しかし意外なことに(?)彼は学生運動には全く興味を示さなかったそうです。それよりもマンガを描くことに熱中していました。
在学中の1969年<3>「ヤングコミック」に掲載された「夜が明けたら」でデビュー。10・21新宿騒乱を舞台背景にした物語で、やはり時代を感じさせます。
60年代末頃、劇画ブームに乗って数多くの青年誌が創刊されたことは前にも述べたとおりですが(さいとう・たかをの回参照)、「ヤングコミック」は、その中でも、特にマニアックな誌風で一部の読者層から絶大な支持を集めていました。当時「ヤンコミ」の御三家として君臨していた宮谷一彦・真崎守・上村一夫に伍して、かわぐちかいじも、その独自のスタイルによって人気を勝ち取るようになっていきます。
「直次郎哀歌」にはじまる『風狂えれじい』シリーズは、つげ忠男(つげ義春の実弟)の影響の色濃い無頼の男たちを描いた人間ドラマでした。多くの読者の支持を集め、かわぐちの絵柄を真似た新人が増えるほどの影響力があったといいます。
(かわぐちかいじ『死風街/風狂えれじい』青弓社)
その後も、かわぐちは青年誌を中心に八面六臂の活躍をします。
新選組を題材に、幕末の物情騒然たる時代を描いた『テロルの箱舟』や、二・二六事件を扱った『血染めの紋章』、明治から大正・昭和にかけてのテロリストたちの姿を点描した『テロルの系譜』、かつて松岡校長も愛読したという(1485夜『沈黙の艦隊』)アナキスト列伝『黒旗水滸伝』など、右翼青年やアナキスト、無鉄砲なテロリストたちによる血なまぐさい破滅の美学を執拗に描き続けたのです。
時代がそうしたものを求めてもいたのでした。
(かわぐちかいじ『テロルの箱舟』チクマ秀版社、『テロルの系譜』朝日新聞、『黒旗水滸伝』①皓星社)
しかし、そんな「かわぐちかいじの時代」に陰りが見え始めたのが、70年代後半期でした。この頃のかわぐちが描いた佳品の一つに『水すまし源五郎』(77年)があります。法律すれすれのところで生活せざるを得ない港湾労働者たちを描いたこの作品は、のちのかわぐちのスタイルを準備するものでした。『沈黙の艦隊』をはじめとする、のちの海洋ロマンは、この時期、かわぐちが好んで取り上げた港湾のはみ出し者たちを描いた作品群のテーマを発展させたものとも言えるのです。
(かわぐちかいじ『水すまし源五郎』廣済堂)
こうした名品をコンスタントに生み出しつつも、時代の要請から取り残されつつあったかわぐちは次第に低迷期を迎えるようになります。
80年前後の数年間は、かわぐちにとっても非常につらい時期で、「何を描いていいのかわからなかった」と回顧しています。
そんなかわぐちを救ったのが「麻雀マンガ」というジャンルでした。
■麻雀マンガで起死回生
70年代後半から80年代にかけて隆盛を見ていた麻雀マンガは、失われつつあった劇画成分の最後の牙城のような様相を呈していました。
映画でいえばB級プログラムピクチャーのようなもので、熱心なマンガファンが目にするものではなく、志の低い作品も多かったのですが、それだけに作家の自由も許されていたのです。
もともと麻雀マンガなど乗り気でなかったかわぐちも、編集部の依頼で描き始めたところ、たちまちその才能を開花させていきます。かわぐちの得意とするアウトローな男の生きざまを現代的にアップデートした『プロ』『はっぽうやぶれ』などの麻雀マンガで、かわぐちは、新しいスタイルを確立していきました。
「あんたたち、麻雀はバクチじゃなかとね?」(『プロ』)
「俺は…確率ってやつが好きじゃない…!!」(『はっぽうやぶれ』)
定石破りで破天荒な戦いぶりによってギャンブラーたちの人間的魅力をあぶりだす手法は、のちの海洋もののケレン味たっぶりなバトルにも遺憾なく発揮されます。
それに伴い、かわぐちの画風にも少しずつ変化が表れ始めました。瞳を大きく描くようになったのです(模写一コマ目の海江田の眼を見てください)。
もともと目を大きく描くことには人一倍抵抗していたかわぐちも、編集者の意見を取り入れ、すこしずつ大きくしてみたところ、キャラに魂がこもり、よりドラマにふくらみを持たせることができるようになったと言います。かつてのような「破滅の美学」ではなく、世界とがっぷり四つに組んで「勝ちに行く」戦いをするようになったのです。
こうして物語作家としての地力をつけたかわぐちが、満を持して放ったのが『沈黙の艦隊』でした。
■「経済大国」からの飛翔
『沈黙の艦隊』連載開始期の1988年といえばバブル経済真っ盛り。すっかり自信喪失気味の今の日本とは違い、「私たちって、けっこうイケてるのでは?」という気分の濃厚な時代でした。
それと同時に、経済大国というだけで満足していいのか、という気分もありました。
バブル消費に浮かれるだけではなく、もっと有意義なお金の使い方はないのか。日本が国際社会で、より政治力を発揮し、名誉ある地位を占める道はないのか、という思い。
こうした日本人の多くの心情に応えるものが『沈黙の艦隊』にはありました。
我が国が、恒久的世界平和を実現するためのグランドデザインを率先的に指し示し、世界がそれに巻き込まれていく、という胸のすくようなダイナミックな夢物語を描いて見せたのです。
全世界から核兵器を含む一切の軍事力を廃棄させ、絶対的世界平和を実現するための最後の戦いをする(まるで石原莞爾の「世界最終戦論」です)という途方もない奇策。あまりにも無茶苦茶すぎてワクワクします。
しかし言わずもがなの野暮な注釈を加えておきますと、そもそもこの完璧なプランを実現するには、主人公・海江田の、神に等しい万能の能力が絶対条件となります。海江田という天才の存在なくしては、プラン全体が成り立たない。一回でも負けたら終わりなわけですから。
海江田は『ゴルゴ13』や、小山ゆうの『あずみ』のように、完全無欠の超人であり、およそリアリズムからかけ離れたおとぎ話的人物です(しかも、敵味方に関わらず、すべての人物が海江田にとってお誂え向きの行動をしてくれる、というのもポイントです)。
その意味で『沈黙の艦隊』という作品は、古来より連綿と続く“超人譚”の一種であり、それこそが、この作品の魅力の一つとなっているのです。
(小山ゆう『あずみ』③小学館)
全48巻(オリジナル)に及ぶ長い死闘の中で、
あずみに、ほんのわずかなかすり傷さえ
負わせなかった小山ゆうの作劇はみごと
かわぐち作品が、こうした超人譚の性格を色濃く持ち始めたのは、やはり『沈黙の艦隊』からではないでしょうか。
それまでの作品で言えば、どちらかというとライバル役の深町のようなアウトロータイプが、かわぐちマンガの主人公でした。海江田は、額の広い、のっぺりとしたお坊ちゃん顔で、あんまり主人公っぽくありません。むしろ主人公の行く手を阻む冷徹な高級官僚、みたいな役どころがいかにも似合いそうな、ちょっと感情移入しにくいキャラクターです。
以後、かわぐち作品には、この海江田タイプのヒーローが重要な役どころを演じるようになっていきます。わりと偏差値高めで、ハイスペックな能力を備えた人物が、頭脳戦で勝っていく、という路線です。
その意味で、かわぐち作品のヒーロー像は、大きく変質してしまったとも言えるのですが、その一方で、全く変わっていないところもあります。
要するに彼らはみな“テロリスト”なのです。
そこは全くブレていない。ただ、テロルの戦術が変わっただけです。
■その後のかわぐちかいじ
そして『沈黙の艦隊』終了から四年、かわぐちが再び挑んだ本格海洋ものが、2000年より「モーニング」で連載の始まった『ジパング』でした。
21世紀の海上自衛隊イージス艦が、昭和17年のミッドウェー海域にタイムスリップ……という、まさにド直球の「架空戦記」<4>。
これがまた無類の面白さで、「架空戦記ってのは、こうやるんだよ」というところを見せつけてくれます。この作品も、また人気を呼んで、足掛け10年にわたる連載、単行本全43巻と、『沈黙の艦隊』を超えるボリュームとなりました。
2014年より連載開始された『空母いぶき』は、ある日突然、尖閣諸島に中国軍が攻め込んできて日本と交戦状態に突入する、というストーリーで、これまでの『沈黙の艦隊』『ジパング』のようなファンタジックなギミックがなくなり、まさに現在進行形のキナ臭い問題をストレートに押し出してくることになります。
こんな作品をしれっと描いてしまうかわぐちかいじは、全く大胆不敵という他ありません。しかも、これが面白いのだから困ったものです。
とにかく、作品を通して、ごりごりと太いメッセージを伝えていく、かわぐちかいじのスタイルは、これからも変わらないでしょう。もうこうなったら、行くところまで行き切ってほしいものです。
◆◇◆かわぐちかいじのhoriスコア◆◇◆
【右ページ一コマ目】79hori
右ページ一コマ目は、ページをめくって最初に目にするページなので、ここで派手なシーンを出してショックを与える、という手法はよく使われます。かわぐちの場合、それとは少しニュアンスが違います。
【映画のカットバック】63 hori
ちなみに、かわぐちかいじは大の映画マニアとして知られています。
【ピッタリ真正面】72 hori
これに類するものとして、多くの作家がよく使う「銃口をまっすぐ正面に向ける」というアングルがあります。この描き方を最初に創始したのが誰なのかはわかりませんが、流行らせた一人は大友克洋です。
(『僕たちの好きなかわぐちかいじ』宝島社)
一番下の人物(『獣のように』の健次かな?)がとっているポーズがそれ
<1>マンガを読む世代の上限については「LEGEND21白土三平・蛇足<4>」参照。
昭和12年生まれの父は、トキワ荘や劇画工房の人たちと、だいたい同じ世代です。この世代の人たちは、だいたいマンガは小学生のうちに卒業するもので(トキワ荘の人たちは例外なんです)マンガを読むリテラシーはありません。
子どもの頃「お父さん、『新宝島』って読んでた~?」と聞いたら、「なんだそりゃ、聞いたこともないぞ」と言われた思い出があります。
小学生の頃の私は、藤子・赤塚・石森などの影響で、「戦後、日本中に『新宝島』旋風が吹き荒れ、当時の小学生は全員これを読んでいた」と思い込んでいたので、ど真ん中世代の父がこれを知らないのを不思議に思ったものです。
<2>連載中にソ連が崩壊してしまったため、作中でもいつの間にかソ連がロシアに代わっているのもご愛敬。
<3>Wikipediaをはじめとして、多くの資料で1968年とされていますが、どうやら1969年が正しいようです。
<4>『沈黙の艦隊』が快進撃を続けていた同じころ、小説の世界では、SF作家・荒巻義雄による『紺碧の艦隊』『旭日の艦隊』などをはじめとする「架空戦記」モノブームが起こっていました。
アイキャッチ画像:かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』①講談社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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