藤子・F・不二雄 童心と知性【マンガのスコア LEGEND09】

2020/07/25(土)10:14
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■あまりにも巨大な存在

 

いよいよ藤子・F・不二雄先生の登場です。

レジェンド作家は、皆そうとも言えますが、この人も、あまりに巨大すぎて、どう扱っていいのやら途方に暮れてしまいます。とにかく質・量ともに凄まじい。

藤子F氏には、「ミノタウロスの皿」にはじまる厖大な数のSF短篇があるのですが、どれひとつとしてハズレがありません。アベレージが高いだけでなく、超弩級の傑作がいくつもあります。

そして『ドラえもん』(小学館)も、当時は「小学一年生」から「小学六年生」までの全学年誌に連載されていましたが、どれも水準をキープしているだけでなく、言うまでもなく大傑作がいくつもあります。

「ドラえもんだらけ」や「無人島に家出」のような、あっけにとられるような狂気スレスレの作品もあれば、べき乗の恐怖を描いた「バイバイン」は、最後に何の解決も示さず、子ども心に底知れぬ不安の種を植え付けました。社会的生物として運命づけられた人間の業を鮮やかに示してみせた「どくさいスイッチ」など、もはや古典としての風格すらありますし、「かげがり」「家がだんだん遠くなる」のような、本格ホラーの教科書といってもいい作品から「おばあちゃんのおもいで」のような、落語の人情話を思わせる名品まで実に多彩です。

子ども向けマンガといえど、一切手を抜かないのが藤子・F・不二雄です。『ウメ星デンカ』や『21エモン』、『モジャ公』など、いずれも、もの凄い水準の高さですが、どれも1960年代の作品というのだから驚きです。あんまり人気が出なかったようですが、ちょっと早すぎたのでしょう。

1969年にはじまる<1>『ドラえもん』も、永らく人気が出ず、たびたび連載終了を打診されては抵抗していたと言います。

無節操に、いろんなジャンルに挑戦しまくっていたA先生とは対照的に、F先生は、最後まで「子どもマンガ」にこだわり続けた人でした。大人向けのSF短篇はたくさんありますが、多少長いのは『中年スーパーマン左江内氏』(小学館)と『未来の想い出』(小学館)ぐらいじゃないでしょうか。まるで永島慎二のマンガの主人公のように、ひたすら「子どものために」ということを求道者の如く追い続けたのです。

 

■フェッセンデンの宇宙

 

冒頭のアイキャッチ画像は、サンコミックスの『創世日記』(朝日ソノラマ)。小学生の頃、表紙に惹かれてジャケ買いした懐かしい一冊です。一見してすぐわかるように、”フェッセンデンの宇宙”ものですね。藤子F先生は、どうもこのテーマが大好物らしく、ドラえもんの中でも「地球製造法」「しあわせのお星さま」「ゆめの町、ノビタランド」など、たびたび変奏して出てきます。今回の模写は、その中の一篇「ハロー宇宙人」を選んでみました。

 

藤子・F・不二雄「ドラえもん」模写

(出典:藤子・F・不二雄『ドラえもん13』小学館)

 

一ページ四段の【スクエアなコマ割り】です。『ドラえもん』は、ほぼ全編、このフォーマットで描かれており、ところどころ【大ゴマ使用】はありますが、変形ゴマは、よほどのことがない限り使われません。ペンタッチも初期の頃から【多少の変遷】はあるものの、比較的安定していて、背景も(アシスタントが描いているはずですが)統制が取れています。一言で言って、非常にキチンとした絵ですね。F先生の几帳面な人柄<2>をしのばせます。

模写をしてみると、基本的に描きやすい絵のはずなのですが、藤子Fらしさを出すのが意外に難しいです。

ドラえもんの中では【のび太の難易度】がダントツですね。子どもの頃から、のび太のラクガキだけは、どうしてもそっくりにならないのが不思議でした。しずかちゃんも難しい。アニメ版でも、のび太としずかだけは全く別人の顔になってますね。アニメ版の二人もそれなりにかわいらしいのですが、藤子Fらしい知性というか上品さのようなものがないのが不満です。

とにかく、どんな作品を描いても、気品とクレバーさが滲み出てしまうのが、藤子F先生。ドラえもんも、のび太くんを「きみ」と呼んだり「いや、おそれいった!これは首長竜の一種でフタバスズキリュウだ。白亜紀の日本近海にすんでいたんだ」なんてセリフが違和感なくスラッとでてきたり、自然なインテリジェンスを感じさせます<3>。

 

■SF短篇の数々

 

藤子F先生の、もう一つの大きな仕事はSF短篇の数々です。SFとは「すこし・フシギ」の略だとは、藤子F先生の言葉として、よく知られていますが、私はこのレトリックには若干不満があります。これは落語をこよなく愛好するF先生ならではの小粋な洒落のようなものであって、まともに受け取ってはなりません。

藤子F先生のSF短篇は、少しフシギなんて生易しいものではなく、これぞSF的想像力のど真ん中。小うるさいSFファンダメンタリストを黙らせるほどの本格的なものです。

世界の中のフシギではなく、世界そのもののフシギさと対峙するのが藤子F先生です。「ミノタウロスの皿」「流血鬼」「気楽に殺ろうよ」の価値転倒のみごとさ。「宇宙人」では、文字通り映像化不可能な論理のアクロバットをみごとに視覚化・物語化してみせ、「宇宙船製造法」では、SF的な大仕掛けと、変転する人間ドラマを巧みに融合させて、ストーリーテラー藤子F氏の底力を見せてつけてくれます。

藤子・F短篇の、他の追随を許さない魅力は、単なるアイディアやプロットの独創性にあるのではなく(SFマニアなら個々の先行類似作を指摘することも可能でしょう)最初から古典となることが約束されているような、本質を射抜いた普遍性のある語り口にあると言えるでしょう。

 

ある世代以降の日本人の多くは、子ども時代に『ドラえもん』その他の藤子F作品の洗礼を受けています。これが日本人のSFリテラシーにどれだけ貢献しているか計り知れません。タイムトラベルや四次元空間、多元宇宙などの、ややこしいSF概念を幼少期に無理なく学習し、センス・オブ・ワンダーの良質な味を存分に経験しておくことは、長じてからの知的宇宙のベースをなすことでしょう。かく言う私自身、どれだけ藤子F成分が無意識の中に畳み込まれているかわかりません。

そして、土管のある空き地で草野球に興じる子どもたち、ガキ大将と腰巾着、マドンナ的美少女のいる子どもマンガのテンプレートは、ときに揶揄やパロディの対象にされつつも、私たち日本人の原風景として、しっかり根を下ろしています。藤子・F・不二雄こそ、生まれながらの国民作家といってもいいでしょう。

 

最近、ドラえもん23年ぶりの新刊『ドラえもん』0巻が刊行され、発売後2カ月で50万部を超えるベストセラーになったと聞きます。これからも藤子・F・不二雄作品が末永く読み継がれることを願ってやみません。

 

◆◇藤子・F・不二雄のhoriスコア◆◇◆

 

【スクエアなコマ割り】68hori

コマとコマのあいだの間白の縦横比も均等ですね。今どきのマンガは、たいていタテは細くする人が多いようです。

 

【大ゴマ使用】74hori

大きくても、せいぜい三段ぶち抜きぐらいです。ごくたまに見開きが出てきたりするとインパクトありまね。

 

【多少の変遷】79hori

初期のドラえもんは、かなり、ずんぐりむっくりしていますが、のび太の変化も大きいですね。のび太は、年代が進むにつれ、特異な方向にフォルムが整っていき、模写するのが難しい独特の造形になっていきます。

 

【のび太の難易度】95hori

鳥山明のときのアラレちゃんも豪快に失敗してしまいましたが、どうもメガネキャラというのは、作者の独特の手癖を再現するのが難しいようです。

 

  • ◎●ホリエの蛇足●◎●

 

 <1>1969年…1970年からという資料もありますが、各学年誌の70年1月号(69年12月発売)に連載開始なので、69年としたいところです。

 

<2>几帳面な人柄…社交的で遊び歩くのが大好きなA先生と対照的に、F先生はサラリーマンのようにきちんと出勤して、ひたすら仕事をしていたといいます。F先生の人柄をしのぶよすがとしては元アシスタントえびはら武司による『まいっちんぐマンガ道』三部作(竹書房)や、むぎわらしんたろう『ドラえもん物語』(小学館)などがとても参考になります。

 

<3>自然なインテリジェンス…「ドラえもん」のアニメが始まった時、私は小学生でしたが、初めて大山のぶ代さんの声を聞いた時は大ショックでした。バカっぽすぎる!!!!いくら「ドラえもん」だからと言って「ドラ声」の人にすることはないだろう、と怒り心頭に発したものです。今ではあの声以外考えにくいですが。

 

「マンガのスコア」バックナンバー

 

アイキャッチ画像:藤子不二雄『創世日記』朝日ソノラマ

  • 堀江純一

    編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。