■偉大なる先駆者
今回取り上げるのは竹宮恵子です。24年組としては萩尾望都に続いて二人目になります。
竹宮恵子といえば、『風と木の詩』(小学館)ですよね。
『風と木の詩』は、いろんな意味で以後の少女マンガに決定的影響を与えた作品の一つと言えます。なんと言っても、これこそが今日隆盛を誇る「BLもの」の元祖。今では当たり前になってしまったこのジャンルも、当時としては、とてつもないチャレンジでした。そうした試みに信念を持って挑んでいった竹宮恵子には、本当に頭が下がります。
今回は、その偉大なる先駆者に敬意を表して、無謀にも『風と木の詩』の模写に挑戦してみようと思います。
竹宮恵子「風と木の詩」模写
(出典:竹宮恵子『風と木の詩』小学館)
物語の終盤近く、駆け落ちして、そうとう追い詰められた状況の二人。ジルベールが最期の光芒を放ちはじめる美しいシーンです。
ところで先日の感門之盟をご覧になった方はご記憶でしょうか。田中圭一先生から聞いた衝撃の新事実!なんと竹宮恵子はカブラペンで、あの絵を描いているのです<1>。これは、けっこう驚きでした。
というわけで、今回の模写はカブラペンで描いています。ほんとにカブラペンでジルベールが描けるのか不安がありましたが、やってみると、なんとかなるもんですね。とはいえ竹宮先生の、あの華麗なタッチは、さすがに再現できるものではありませんでした。
タイトルにある通り、風の表現が多いのが特徴的ですね。【なめらかな流線】を使って画面を縦横無尽に横切るように風が吹いています。やや硬さの勝る萩尾望都や山岸凉子などの絵柄に比べると、竹宮恵子の絵は、【柔らかな質感】の中に【硬質な味わい】も巧みにブレンドされていて、これぞ少女マンガ!といった感じの贅沢さを感じさせてくれます。輪郭のしっかりした線で、派手にカールした髪の毛を描くときも、一本一本のラインが丁寧で、きちんと【コントロール】されています。少女マンガらしく、薔薇が飛んだり、フレームが消えたりするものの、コマ運びがスムーズで、非常に読みやすい印象ですね。少女マンガに不慣れな男性読者にも竹宮ファンが多いのもうなずけます。
『地球(テラ)へ…』では、メカデザインを、ひおあきらが手伝っていたようですが、竹宮のスマートでまとまりのある絵柄と非常にマッチしていました。
■大泉サロンの仕掛け人 増山法恵
竹宮恵子のデビューは「COM」という雑誌です。
非商業的でアヴァンギャルドな誌面作りを目指していた点で、少し前に創刊された「ガロ」と人気を二分する雑誌でしたが、「ガロ」に比べると、青春の青臭さのにじむ誌風でした<2>。
17歳で「COM」に佳作入選しデビューした竹宮恵子は、翌年、少女雑誌で本格デビューし、少女マンガ家として活躍し始めます。
お互いデビュー直後だった竹宮恵子と萩尾望都は、ふとした機縁で知り合い、一つのアパートに同居するようになります。やがてそこへ多くの新人マンガ家たちが集うようになりました。これが有名な「大泉サロン」です<3>。
あの萩尾望都と竹宮恵子が、二年近くも一つ屋根の下でルームシェアリングしていたなんて、それだけでも凄い話ですよね。二人の仲立ちとなったのが、知る人ぞ知る増山法恵さんという方。もともとは無名の新人だった萩尾望都にファンレターを出したことから文通友だちとなり、のちに萩尾が竹宮に紹介したのです。この人物こそが、二人にヘルマン・ヘッセや稲垣足穂、ギムナジウムものなどの耽美世界を吹き込んだ張本人でした。東京の裕福な家庭で最上級の文化資本((c)プルデュー)を注入された生粋のセンスエリートだった増山さんは、二人を相手に、あふれんばかりの情熱をもってクラシック音楽から文学、美術、映画などの知識を授けていったのです。
大泉サロンは増山さんの自宅から徒歩30秒の至近距離にあったため、彼女はほぼ毎日のようにここを訪れ、二人の陰のプロデューサーとして大活躍します。二人宛に送られてくる大量のファンレターの中から、これは見どころがありそうだと増山さんの判断した者が大泉サロンに招待され、連日の賑わいを見せ始めます。そして、ここから後にマンガ家として大成した人たちが数多く輩出されるのです。
増山法恵は、やがて竹宮恵子の専属マネージャーのような形になり、編集者との打ち合わせなどにも必ず同席するようになりました。竹宮の代表作の一つとして名高い『変奏曲』は、クレジットこそされていませんが、増山法恵の原作です。竹宮は是非クレジットさせたいと申し出たのですが、増山さんは、原作付にすると竹宮恵子のイメージが落ちるとして、頑として聞き入れませんでした。彼女は徹底的に陰の功労者であろうとしたのです。
「少女マンガ界に革命を起こす」ことを、最も自覚的に考えていたのは増山法恵その人でした。そのためには己が名声など一顧だにしなかったのはアッパレという他ありません。
■BLへの苦難の道
竹宮が1970年に発表した「雪と星と天使と…」(のち「サンルームにて」に改題)こそが、少年愛ものの嚆矢と言える作品ですが、今読んでもドキドキするようなチャレンジングな内容で、最初から出来上がってる人だなと思います。
もちろん、こんな大胆な作品が編集部を通過するはずがありません。竹宮は、どうとでも取れるようなタイトルで予告を打ち、その後、予告とは全く違うストーリーで締切直前に原稿を納品するという、だまし討ちのような作戦を取って、強引に掲載にこぎつけます。当然、編集部の怒りを買ってしまった竹宮は、その後、要注意人物と目されることになりました。
そんな中でも竹宮は、71年の『空がすき!』(小学館)でコメディタッチにも腕の冴えを見せ、同年発表の「ガラスの迷宮」<4>では幻想的なリドルストーリーにも挑戦しています。
『風と木の詩』については、「サンルームにて」を描いた70年頃には、ほとんどのイメージが、すでに出来上がっていたと言われています。あるとき、「風と木の詩」のイメージが、溢れる泉のように湧き出てしまい興奮状態に陥った竹宮恵子は、あわてて増山さんのうちに電話をかけ、晩の10時から翌朝6時まで、延々8時間にわたって構想を喋り倒したというエピソードが残っています。
その後も、いろいろな編集者を捕まえては、こういうアイディアがあると持ちかけてみても、色よい反応を得られなかったとか。
そりゃそうですよね。同性愛マンガなんて聞いたこともないし、どう考えてもアブナすぎるでしょう。竹宮先生は、自分の意見が通るようになるためにはアンケートでトップを取るような人気作家になるしかないと考えました。
そこで人の心を掴むような強力な物語のアーキタイプは何か、といろいろ分析した末に出した結論が「貴種流離譚」。こうして描かれたのが『ファラオの墓』(小学館)だったのです。
これはいわば、はじめから「当てにいった」作品なわけですが、それがホントに当たっちゃったんだから大したものです。これは彼女のワークヒストリーにおける最初の大ヒット作となりました。
この大ヒットの実績を手土産に、編集部に有無を言わせず『風と木の詩』連載を勝ち取ったのが1976年。「とんぼの本」シリーズで出ている竹宮恵子本『竹宮惠子カレイドスコープ』(新潮社)の中に、1971.1.21の日付のあるネームと、1976年の雑誌掲載版が併載されているのですが、ほとんど同じなのにびっくりしてしまいます。この五年間の苦闘の日々がいかばかりであったかは想像を絶するものがありますね。
■本格SF『地球へ…』
ここからいよいよ竹宮恵子ルネッサンスが始まります。『風と木の詩』週刊連載の真っ最中に、今度は少年誌に進出し1977年より『地球(テラ)へ…』の連載を開始。萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』(秋田書店)に先んじること半年前のことでした<5>。
初期の竹宮作品には「ジルベスターの星から」など、SF的な秀作はいくつかありますが、本格的なSFは、ほとんど『地球へ…』が初めてだったと思います。それで、これほどのものができてしまうのですから驚くばかりです。
ほぼ同じ頃に、これも傑作として名高い『変奏曲』も描いています。ほんの数年前まで絶不調のスランプだったというのが信じられないほどの大躍進です。
『地球へ…』は、なんと言っても巻頭を飾る「なきネズミ」の話がカッコいいですよね。管理社会の防壁をかいくぐってミュータントの一族が主人公に接触し、それによって主人公が覚醒していくエピソードは、まさに石森章太郎ミーム<6>が、竹宮恵子にしっかり息づいていることを示す好篇で、われわれ中二病男子の心をわしづかみにするものでした。
『地球へ…』は、折からのSFアニメブームに乗って、劇場公開されたアニメ版も大ヒット。竹宮恵子の名は、男性読者の視界にも、否が応でも入ってくるようになったのです。
■教える人
そんな竹宮先生ですが、最近は後進の育成にも熱心で、京都精華大学の教授から学部長へ、そして最終的には学長まで勤めておられます<7>。大学のマンガ学科のようなところで教鞭をとられているマンガ家さんは珍しくありませんが、学長まで行かれた方は、ちょっと他には聞きません。何ごとにも中途半端では気がすまない竹宮先生は、作家の余技といったレベルを超えた熱意をもって、「マンガ教育」の現場へ立ち向かっていったのです。
最近は専門学校以外でも、マンガ学科などを擁する大学が増えてきましたが、そういった学科ができ始めた頃は、どういう教え方をしていいのかわからず、どこでもみんな試行錯誤だったようです。かつての巨匠・重鎮クラスの先生方が、そういうところに呼ばれることも珍しくなかったのですが、先生方は、どうしても「講演会」をしてしまうのですね。自分の持ちネタや思い出話をしてしまい、なかなか授業にならない。そうした中、竹宮先生は、早くからしっかりした実技指導のプログラムを作って指導していたようです<8>。
そんな竹宮先生も、いつしかすっかり教育者としての振舞いが板についてしまい、若い生徒さんから「先生って絵がお上手なんですね」と言われるとか。
こらこら!キミたちの読んでるBLの元祖だよっ。
◆◇竹宮恵子のhoriスコア◆◇◆
【なめらかな流線】82 hori
今のマンガは、こういった流線の使用は少なくなったような気がします。一つにはパソコンの普及でトーンワークや特殊効果が比較的容易になったこともあるでしょう。
竹宮恵子は、こういった流線に限らず、わりとペン先一本で勝負しようとしているところがあり、カケアミも多いですね。画面のそこかしこに、非常に丁寧なカケアミが施されています。
【柔らかな質感】56 hori
ことにデビュー間もない初期の頃の竹宮作品は、昔ながらの少女マンガらしさと、石森ゆずりの少年マンガの明朗さを併せ持った丸みのある線で、とても暖かい感じがします。
【硬質な味わい】65 hori
やがて、線の柔らかさはそのままに、どこか冷たく研ぎ澄まされたものが見え隠れするようになっていくのです。
【コントロール】76 hori
それは絵柄だけでなく作劇にも言えていて、構成がしっかりしています。
◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>マンガ家には大きくわけてGペン派とカブラペン派がいるのですが、手塚治虫やトキワ荘グループなどは、おおむねカブラペン派です。70年代以降、劇画勢が台頭するにつれ、Gペンの普及が急速に進み、いつしか「プロの作家はGペンを使うもの」というのがデフォルトになっていきました。とにかくGペンはなめらかなタッチを出す優れもので、大変重宝したのです。小学館・少年サンデー編集部が発行した『めざせ!!まんが家』という本のなかで1984年刊行当時のサンデー執筆陣(あだち充や高橋留美子など)に、どんな画材を使っているのかアンケートを取っています。16人のうち、なんと15人までがGペン派です。
<2>「COM」
とにかく新人の発掘に非常に熱心な雑誌で、ほんの短い刊行期間(1967~71)でしたが、その間に実に多くの作家を輩出しています。その顔ぶれたるや錚々たるものなのですが、ほとんどの作家が「COM」の中で花開いたというより、後に他誌で描くようになってから大成したケースが多いのですね。竹宮恵子も、まさにそのタイプです。「COM」はとにかく、普通じゃ拾ってくれないような、若描きの中二病っぽいポエムな作品を、平気で採用するようなところがあって、のちの大作家たちの、未熟なデビュー作を見る事ができます。
<3>大泉サロン
今の言い方で言えばメゾネットタイプの3Kだったようですが、一つ一つの部屋を別々に使うのではなく、全部を二人で使うようにしていたようです。そしてそこに、連日いろいろな人が訪れては泊り込み、中には半年近く住み着く人もいたのだとか。
<4>「ガラスの迷宮」
作中人物に萩尾さんとか増山さんとか大泉サロンのお仲間の名前を使っているのもご愛嬌。ここでは「11人」という謎のキーワードが出てくるのですが、4年後の萩尾作品に、なんらかの影響を与えているのでしょうか。
<5>少年誌に進出
実は萩尾・竹宮両氏より先んじて少年誌に進出していたのは里中満智子でした。75年12月から「少年マガジン」に「さすらい麦子」を連載しています。この人は年齢的に24年組に入っていても不思議はないのですが(昭和23年生まれです)、普通は24組にカウントされません。16歳という早い年齢でデビューし、後続の24年組に大きな刺激と影響を与えたため、ちょっと別格扱いなのですね。
<6>石森章太郎
竹宮恵子は十代の頃から石森章太郎の大ファンで、石森著『マンガ家入門』を読んでマンガ家になることを決意。高校二年の時には地元の徳島から修学旅行で東京に行くことになった時に、自由時間を利用して石森邸を訪れています。デビュー間もない頃には、上京するたびに石森邸に泊り込み、そこから各社への持ち込みをしたりもしていたとか。
<7>今年の三月に定年退官され、現在は名誉教授職です。
<8>実技指導のプログラム
精華大の講義をまとめた『マンガの脚本概論』(竹宮惠子・角川学芸出版)では、CMを四コママンガにしようとか、短歌を二頁マンガにしようなどのユニークな「お題」が、いろいろ出てきます。
アイキャッチ画像:竹宮恵子『風と木の詩 14』小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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