昆虫の巨大な複眼は、360度のあらゆる斜め目線を担保する無数の個眼の集積。
それに加えて、頭頂には場の明暗を巧みに感じ取る単眼が備わっている。
学衆の目線に立てば、直視を擬く偽瞳孔がこちらを見つめてくる。

「巴御前が鎧兜で身を固めたようだ、と言われたんです」。
そう話すのは邦楽家・西松流家元の西松布咏さん。去る7月20日に開催されたEDO風狂連【遊山表象】の一コマである。
参加者がリアルに集い、江戸文化を体験する遊山表象。「江戸の音」と題された今回は、三味線音楽をテーマにした講義と実演に耳を傾けた。外の酷暑も参院選の喧騒も忘れてしまう、なんとも粋で涼やかな時間だ。
●天にも昇るような師匠との出会い
「巴御前」のエピソードは、布咏さんが地唄の名人で知られる西松文一師に見出されたときのことだ。楽屋のスピーカーで布咏さんの唄声を聞いていた文一師匠が、こう言ったという。「いい声なのに、なんと固い唄だろう」
布咏さんは続ける。「今でも忘れられないのですけども、“巴御前が鎧兜で身を固めたような唄い方をしているから、私が外してあげたい”と先生が言ってくださっていた。実は私は、文一先生の唄を舞台裾でいつも聞いていました。まるで良寛様みたいな、天空で唄っているような風情で、私が唄いたいのはこういう唄なのだとずっと思っていたのです。ですから、先生からそのように目をかけていただいたと知った時は、まさに天にも昇るような気持ちでした」
人との出会いがその人の創造性を開かせる。その人のスタイルに惚れ込んで、系譜がつながっていく。EDO風狂連が目下探究している、江戸文化を支えた小規模ネットワーク「連」を彷彿とさせる話に、優子宗風も面白い! と思わず前のめりに。「その時その時のいろんな出会いがあって、端唄から、長唄、地唄と様々なジャンルをおやりになる今の布咏さんがおられるのですね」
この日布咏さんが披露したのは、端唄「縁かいな」から、長唄「都鳥」、端唄「嘘とまこと」。三味線の駒を変え、撥(バチ)を置いて爪弾く小唄「ほんのりと」「止めても帰る」。これら「歌いもの」とは違う「語りもの」として、新内小唄「蘭蝶」、富本「豊後節浮名読売」そして地唄「ゆき」の計8曲。
富本節は大河ドラマ『べらぼう』で注目されたが、そのルーツは上方の豊後節にある。男女の悲恋を歌い、聞いていると本当にやるせなくなって心中したくなってしまうから、時の幕府が禁止した、と布咏さん。優子宗風による前半の講義では、三味線は澄んだ音にわざわざ雑音をつける「サワリ」の技術を取り入れたと紹介された。そのざわざわした響きと音色は、あまりに人を溺れさせるため「淫声」と呼ばれていたという。
そんな音に酔いしれた参加者の、胸中のサワリも一部紹介しよう。
“三味線の独特な音色は、艶っぽくもあり、胸をざわざわさせるようでもあり、自分にとって言葉でうまく表せない初めての音色でした。(EDO風狂連・YK)”
“どの唄も語尾を伸ばさない、スタッカートのように「ぱん」と跳ねるように終わるのが、逆にもっと聞きたくなって、魅力的に感じました。どんな艶っぽい、切ない唄でも、潔く引きずらない粋な江戸の女性を表現しているようで、とても気持ちがよかったです。(EDO風狂連・南高)”
“駒や糸の張りで音色が変わる三味線、布咏師匠の高低音自在の唄と語りが驚異的でした。これを対面で聞かされたら、溺れてしまうのも無理はないと空想してしまいます。(EDO風狂連・斑猫)”
●稽古でつながる西松流と編集学校
来場者を交えての質疑応答の時間、話題は「稽古」に及んだ。とくに優子宗風が関心を寄せたのが布咏さんの稽古方法だ。布咏さんの主宰する会では、師匠が三味線を弾いて弟子が唄う、という一般的なやり方をしない。お弟子さん同士が、唄と三味線を交互に演奏し合うという。どうしてか。
「日本の芸能は何でもそうだと思うのですが、やはり思い合うことが大事。唄は三味線を慮り、三味線は唄を慮る。その中で自分がどういう風に表現したらいいかというのが自然と、身に付いていくと私は信じてるものですから」。
すかさず優子宗風は、「すごく独特なものを感じました。例えばヨーロッパの合唱はみんな同じ音を出すのですが、そうじゃない。少しずつズレながら、相手の音を聞いて自分が音を決めていくみたいな、そういう関係ができてくるんですね」
「はいそうです。自分ばかり主張していては合いません。どうしたらこの曲ができるかを、それぞれが苦労して苦労して、自分の身で感じることがお稽古と思っています」(布咏さん)
師と弟子は明確に分かれず、代わる代わるの相互編集状態にある。こうした稽古観に、55守で現役師範代として活動中の優子宗風も深く感じ入ったようだ。「本当に面白い。じつはこれから稽古の本を書くんです」と明かす。
先の講義でも、江戸の音曲が多様に分岐していった系図を見せながら、「誰か一人でも惚れればその流派は残っていく。だから文化を残すためには稽古が大事」と語っていたことが思い出される。三味線音楽に浸りながら、稽古の大切さ、文化をつないでいく日本的な方法へと思いが向かう。自分は何に惚れているのか。EDOから何を学び先へつないでいくのか。各人のサワリは深まるのであった。
(後記)優子宗風の夕方の読書の友は赤ワインである。それに肖り、懇親会では赤ワインを飲みつつ、布咏さんのお弟子さんとも語らった。いちばんの新米だと言う方に稽古歴を伺うと、「10年くらい」。目を輝かせながら本楼の本棚を眺め、「じつはずっと来たかったんです」とニコニコされた。稽古に生きる者同士、通じ合うものがあるのだ。
記事作成/EDO風狂連・風師:吉居奈々
写真:後藤由加里
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