建築会社の設計部からキュレーターへ。
転身のアイダからあふれてきた対角線を次々企画にする岡部三知代が、
編集建築したギャラリーを通じて問いかけるコラム。
藤元明は、対話や協働のプロセスを重んじるアーティストだ。編集学校では「情報はひとりではいられない」と言うが、アートも一人ではない。アートと社会の関わりによる次世代の社会変革の可能性を探る活動家ともいえる。
その表現はメディアにとらわれない。モノではなく行為そのものをアートにしてきた。その彼に、SOCIAL GOODとは何か…と問いかけた。地球温暖化やエネルギー問題、不均衡な経済格差等の一歩も後に引けない社会現実の中で、人々の意識と行動とのギャップに、アートはどう働きかけることが出来るのか…。彼との対話の中で、海洋ごみの問題に目を向ける企画が生まれた。
海洋ごみ(海ごみ)の問題は海にあるのではなく、陸の人間の「行動」によるものである。人々は、安い、軽い、便利という直近のメリットによりプラスチックを大量に消費し、図らずもそれがごみとなって海に流出している。論じられる海洋ごみの問題は、実態が数値に表れず、得体の知れないマイクロプラスチックの行方は目に見えない。海洋ごみに関する環境意識調査でも8割の人は海洋ごみ問題を意識しているが、自らの「行動」と海洋ごみの関連性に実感が伴わない。*1
藤元はそれらの現実と社会意識のギャップを可視化し作品としてきた。
今回の制作にあたり、藤元は海洋ごみが絶え間なく漂流する海岸線を歩き、ごみと向き合う人の声を拾い、ただ事実を集め、現実と向き合った。また科学的根拠を求めて、漂流する海流ごみのシミュレーションをアートにした。一見美しいイメージによるアプローチは感覚的に人の心を揺さぶり質感に訴える。
しかし、すぐにもその感覚は絶望に代わり、愚かな人間の非力を映す鏡となる。社会に善意を尽くしたいと願う自分は、環境を破壊する欲望の猛者でもある。
世界は戦争や震災により「破綻」と「復興」を繰り返し、そのたびに科学技術はイノベーションを起こしてきた。藤元ら70年代生まれの世代は、映画やアニメーションで繰り返される、その循環のイメージが刷り込まれ、最期に「希望」を見せる物語を受容してきた。しかし、環境問題が悪化するスピードは人類と生命の歩みを遥かに超え、再生の前にエネルギーは枯渇し、人類が滅亡するのではないのかとさえ思える。藤元はそれを、悪者のいない絶望だという。向き合う絶望の先にある答えは未来にしかない。
この絶望にどう向き合うのか。誰にとっても他人事では無いはずである。社会生活にアートの関わりがなぜ必要とされるのか…。科学や政治、数学や経済だけでは解けない課題に対するアーティストからの真摯な「問い」に耳を澄ましたい。
*1日本財団 海洋ごみに関する意識調査(2018年11月実施)より
岡部三知代(ギャラリーエークワッド 副館長/主任学芸員)
展覧会 藤元 明 「陸の海ごみ」開催中(~2019.11.14)
岡部 三知代すっぴんロケット
編集的先達:トーヴェ・ヤンソン。師範代時代は小さい子どもをかかえ、設計担当として建築現場をヘルメットをかぶりながら駆け巡り、編集稽古をポリロールした。ギャラリーの立ち上げをまかされ、奔走し、学芸員となって、メセナアワード2014を受賞。その企画運営は編集学校で学んだ編集力が遺憾なく発揮されている。
SNSで、ブックカバーチャレンジ等々、リレー流行り。編集のツワモノが揃う中で私の出番などとてもないと思っていたところ回ってきたのは、料理本のバトン。お料理のことなら、、、と考えを巡らせた。STAY HOMEで生まれた、 […]
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