べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七

2025/05/09(金)22:00 img
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 あの人が帰ってきた! そう、神隠しにあっていた新之助さんが。それも、蔦重にもうけ話を持って。そういえば、妻の名はうつせみ改め、おふく。蔦重にとっても福の神の到来となったようです。
 大河ドラマを遊び尽くし、歴史が生んだドラマからさらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子が、めぇめぇと今週のみどころをお届けします。

 


 

第17回「乱れ咲き往来の桜」

 この4月、米Googleに対する独占禁止法違反の排除命令を出したことで公正取引委員会の動きに注目が集まりました。AI時代を迎え、組織の人員も増強して公正な競争環境の整備に臨む公取委が、今回の江戸の地本問屋の動きをみたら、さて、どうしたことでしょう。


鄙に道あり

 青本10冊を一挙に刊行し、町娘たちからの嬌声も浴びるようになった蔦重ですが、相変わらず市中では本を売ることができない。それどころか、彫師の四五六から、地本問屋の圧力で今後、蔦重の仕事を請け負うことができない、と言われてしまいます。彫師がいなければ、本はできない。地本問屋に頭を下げるしかないのか。
 そこに登場した新之助が、新たな道を指し示してくれました。江戸を出た後、村で百姓仕事のかたわら、子どもたちに学問を教えている新之助が必要としていたのが、往来物と呼ばれる手習い本です。
 ドラマの中では「往来物とは子どもが読み書きを覚えるための本です。…商売や農業といった仕事の知識も学べるものでした」と紹介されていました。なんと! 大人が遊ぶ場所、悪場所とも言われる吉原の本屋が、子ども向けの教科書を出すとは。洒落がきいているともいえそう。
 しかし、流行に左右されず手堅い、村で売るなら地本問屋の力の及ぶ外、と考えるとマーケティングの教科書で事例になりそうな市場開拓と言えましょう。
 また実際に商売をよく知る信濃の豪商、農業をよく知る越後の庄屋といった人たちに、丁寧にヒアリングを重ねることで実環境に即した往来物を作る。このあたりの手間を惜しまぬ努力は蔦重ならでは、です。
 こうして彫師の四五六さんに今後、毎年、確実に注文を出すことを約し、市中の地本問屋との縁をきっぱり切らせます。単に金にものを言わせただけではないのが蔦重のよいところ。四五六さんが、自分の彫った版木を娘のように思うのであれば、ヒアリングに応えた地方の大物たちが本の親、自分たちの意見が反映された本なら買わないわけはない。販路としても確実です。
 蔦重の出す往来物で学んだ子どもたちが全国に広がるのなら、源内先生が言っていた「書を持ってこの日の本をもっと豊かにする」ことがもっと早く実現するかもしれません。
「耕書堂」の「耕す」が見事に活きた回となりました。

 

手紙が教科書!?


 往来物というのは元は手紙、書簡文例集のようなものです。これが教科書というのがなんとも不思議で、手にとってみたのが八鍬友広著『読み書きの日本史』(岩波新書)です。

 

 文字のもたらす機能は多岐にわたり、もちろん文化や学問の世界とも接続するが、文字使用の初期段階や、あるいは日常的な用途としては、記録や通信が基本的であっただろう。したがって、手紙が文字習得の教材として使用されていくこと自体は、自然なことかもしれない。

 

 とありました。なるほど。コミュニケーションの基本として、お互いにやりとりをするための手紙は、実用的な学びの方法だったのでしょう。英文法を参考書で学ぶのではなく、英会話教室で学ぶようなものかもしれないですね。
 しかし面白いのは、やがて教科書的なものをすべて往来物として呼ぶようになったことです。
 この本の中で「近世往来物史上においても最大のヒット作であった」と紹介される『商売往来』は、商売で取り扱う道具や貨幣の種類、商人としての心得などを集めたもので、もはや手紙の形式さえとっていないのだとか。
 どれほどのヒットだったかは、この川柳で知ることができます。

 

 名がしらと江戸方角と村の名と商売往来これでたく山

 

 苗字を集めたもの、江戸の地名、近隣の村の名前、そして『商売往来』。これだけ学べばそれで十分。
 これでたくさん、といえども、近隣の村の名前はバリエーションがそれぞれでしょうから、往来物が7,000種出回ったというのも、またむべなるかな、です。

 さて今回の冒頭、蔦重に「いい加減戻ってきてくんねえかなぁって思ってんですけど」と言わしめた唐丸、いよいよ彼も帰ってくるのでしょうか。


 

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