【ISIS BOOK REVIEW】芥川賞『荒地の家族』書評~ エンジニアの場合

2023/02/21(火)08:45
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評者: 畑本ヒロノブ
エンジニア
イシス編集学校 多読ジム冊師

 

 普段は建設業の土木部門でITエンジニアとして勤務している。2年ほど前、仕事で東日本大震災によって壊れた原発周辺の町へ行く機会があった。避難区域として誰もいない町並みから、モノとヒトの静寂な死を感じたことを思い出す。今回、エンジニアとして主人公の造園土木力に【注意のカーソル】を向けつつ、物語全体を覆う【三位一体】の死を【フィルター】を使って取り出しながら書評を行う。

 

 2011年3月11日に発生した東日本大震災。震源地近くの東北の三陸沿岸では巨大な津波が数キロの内陸部にまで達した。沿岸部の港湾施設、役所、学校、一般家屋が押し流され、一帯は瓦礫の山と化す。避難訓練日に重なった当日、テレビでのヘリコプター中継を通じて濁流に流される家屋をみていた記憶を揺さぶる一冊。
 著者は1982年生まれ、宮城県仙台市在住の作家。丸善ジュンク堂書店・仙台アエル店の店員として勤務しながら創作する。2017年の『蛇沼』にてデビュー。本厄となる2023年に『荒地の家族』で第168回芥川龍之介賞を受賞した。本作では40歳で造園業を営む主人公・祐治が家族や友人と過ごした震災後10年間の日々を主に追想する。地震、津波等の災害が一度発生すれば下層生活へ転落する不安を想起する描写が度々登場する。昏くて混沌とした死が這い寄る物語だ。

 

●復興した海辺から伸びてくる死

 表紙の写真、浜辺に流れ着いた青黒色のコンテナは災厄の爪痕。震災直後では家具、屋根、壁、柱、鉄筋、窓ガラス、材木、車だったもの等にヘドロと海水が吸着し、無秩序になって海沿いを黒い山が埋め尽くした。
 祐治は高校卒業後に入社した造園業の職場を通じて、仕事への没頭力と、建設機械を用いる施工技術を身につけた。彼がひとり親方として船出した途端に災厄に見舞われる。大気が震える地響きの後に海が膨張し、倉庫に収めていた大事な商売道具と2トントラックを攫った。海は祐治にとって絶望の象徴なのだ。
 震災から1年経ち、土木工事によって黒い山は消え、更地になることで腐臭が遠のく。時間の経過とともに道路が通り、電信柱や建物が建ち、町は復興した。陸と海を分ける巨大な防波堤が構築され、津波を恐れる必要のない現在でも、祐治は海を見ると腐臭を感じる。厚く黒い雲の下で行き来する船のない海があの世に見え、浜辺に対する生と死の境界を想像する。深淵なる海から無数の死者の手が伸び、恐怖観念に苦しむのだ。

 

●仕事への没頭が呼び込む家族の死

 祐治には2度の結婚歴がある。どちらも同級生・河原木による縁。最初の妻・晴海とは20歳ごろに知り合い、結婚して息子・啓太を授かったものの、震災2年後にインフルエンザによる肺炎で死別。震災直後の祐治は仕事を選べる立場ではなく、前の職場から斡旋された工事を、ショベルカーやトラックを手足のように動かしながらハードにこなした。震災前の元の世界に戻りたい思いで必死に働いたが、生活が楽になる前に晴海が死んで台無しになる。商売道具の不足が家族を困窮へと追い込む。不幸のルーツは地震と津波。誰もがこのような運命を辿る可能性があることから目をそらすべきではない。
 2番目の妻・知加子は河原木の妻からの紹介で結婚したものの、流産を機に離婚した。立ち振る舞いが美しい一方、口論になると祐治の腕や肩に噛みつく気性の激しさを併せ持つ。仕事に徹することが家族のためだと信じた祐治とのすれ違いによる心労によって、彼女に宿ったはずの生命は成長を止めた。造園業で一人に課される知識と作業は広範囲。設計をして形にするための下地作りに時間を要する。客先の要求仕様を満足するか、構造的に安全であるかを見定める力も必要。設計後も数量計算や管理計画等の作業を得て施工が行われ、仕事への没頭力と統合力が試される。祐治を見限った知加子は生活用品を金槌で粉々にして出ていった。物語が進む中で少しずつ成長する祐治は彼女の真意に気づく。助けて欲しかったのではなく、真っ暗闇の絶望の中で共に悲嘆にくれて欲しかったのだ。

 

●別様の私たる友人の死と赦し

 小学校時代からの友人で、晴海を巡って闘ったライバルの明夫。彼は別様の可能性たるもう一人の祐治だ。幼な心での死との接触と、妻子と別離した共通点もある。祐治と明夫が子どもの頃、浜辺へ遊びに行く度に途中の建設現場で誘導員の女性が笛を吹いてトラックを止めていたのだが、ある日、ローラ車の下敷きになる事故によって彼女は死亡した。2人にとって忌まわしい思い出。事故現場を思い出すためのキーとなる建物は震災によって流され、今となっては面影のみ残る。
 物語の終盤、明夫は漁場での違法行為により警察に逮捕されたものの、体を蝕む病によって放免され、その後に自殺した。海岸線にいた祐治のアタマの中で明夫の残影が毒虫として暴れ出す。生死の境で浮かんでは消える想念や、花鳥風月の盛衰を観ながら明夫の死を「薬」として受け入れ、死が薄れてゆく。彼を現実世界に戻すスマホの着信メール。自宅に戻った彼の髪は白く風化していた。風化を辞典で紐解くと「人を善い方向に教え導き、感化すること。風教」という意味がある。白髪は主人公生還のシンボル。本書を読むことで、震災に纏わるフラジャイルな体験が心身に浸透するとともに、人生の逃げ場のないループを抜け出す道標を得ることができるのだ。

 

 

●読み解く際に使用した編集の型:
 フィルター、64編集技法【03分類】

●型の特徴:
 フィルターは編集学校守コースの序盤で学ぶ編集術の1つ。物語の中にあるたくさんの描写に対して、情報を取捨選択して使って死に関わるセンテンスを取り出す。それらを「浜辺に関する死、家族の死、友人の死」の3つの特徴で分類し、章立てした。

 

⊕参考図書⊕

∈『人が死なない防災』片田敏孝/集英社
∈『わかりやすい造園実務ポケットブック』木村了/オーム社

 


荒地の家族

著者: 佐藤 厚志

出版社: 新潮社

ISBN: 978-4-10-354112-7

発売日: 2023/1/19

単行本: 160ページ

サイズ: 19.1 x 13 x 2 cm

 

  • 畑本ヒロノブ

    編集的先達:エドワード・ワディ・サイード。あらゆるイシスのイベントやブックフェアに出張先からも現れる次世代編集ロボ畑本。モンスターになりたい、博覧強記になりたいと公言して、自らの編集機械のメンテナンスに日々余念がない。電機業界から建設業界へ転身した土木系エンジニア。