千夜エディション ちと図解:第1図『戒・浄土・禅』

2023/10/03(火)08:30
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2000年の第1夜『雪』から現在までの1800夜以上の文章を、松岡正剛独自の「見方」と「読み方」で、テーマ別に再構成・再編集した『千夜千冊エディション』シリーズ。インターネット上で日々更新されている『千夜千冊』に、ヘッドラインと大幅な加筆修正が施されている。シリーズは2020年に20冊を数え、2023年に30冊に到達した。

本記事は、「難しいことをやさしく、やさしいことを面白く」をモットーに、『千夜千冊エディション』を、1冊1図にまとめてみんとする無謀な不定期連載である。

 

連載第一回目は、近江ARSに万感を込める松岡が今、最も注目している日本仏教をまとめた『戒・浄土・禅』を取り上げる。

 



 

松岡正剛は、ガリガリ君ならコーンポタージュだという。

私は、ガリガリ君なら梨(なし)一択である。

ではなぜ図解がソーダ味なのか。僧だからである。

ひんやりした空気が流れるのを承知で書くが、「ソーダ」で音をカサネている。

 

ー 覆水盆に返らず、アイスは棒に還らず、彼奴は盆に帰らず。 ー

 

仰向けの僧がはたらきもせず、アイスキャンデーが溶けたコップから世界を見ている。

日本仏教というのは、大乗仏教をベースにしつつも、各々が各々の器を通して世界を見る、ということなのではないだろうか。

器の中で溶けたアイスキャンデーは、数寄を表す。

この器世間全体を、ユクスキュルの環世界と言いかえてもいい。

 

アイスの角の法身・報身・応身は三身で、釈尊。

私はこの三位一体が3A、即ちアブダクション・アフォーダンス・アナロジーに対応すると読んだ。

悟った姿としての応身(おうじん)が、冥に沈んでいることが肝要だ。

 

そしてスイカバーの三位一体ではなく、あくまでガリガリ君の四位一体として私が+1するのは、十牛図からスピンアウトした痴聖人。アナキズムである。

いったい何事か、と唐突に思うかもしれないが、日本仏教はキリスト教などの一神教とは異なる、多神多仏の世界観を持っている。スサノオのように、ちょい悪どころでは済まされない神もいる。

 

親鸞が「悪人正機説」を唱えたように。

クソ真面目なハードコア修行僧の一休が、晩年に破戒僧スタイルを築いたように。

悪までをも自分の中にあるものとして、アインザームカイト(Einsamkeit)の境地で世界に立ち、”そこ”から世界を眼差すことこそが、めざめなのである。

そして、めざめ・おこない・はたらきの全てがアマルガメーションして冥の世界を作り上げると、いつしかアイスキャンデーの棒からは「あたり」のかわりに、「あそび」がのぞいてくるのだ。

 

つまり、器を通して世界を見る人が、言葉や価値を交わし、文化をかたち作っていく。

 

ソーダ、文化しよう。

『戒・浄土・禅』は、そういうエディションであると読んだ。

 

第一回「町田有理のちと図解」いかがだったでしょうか。

次回は、あの『編集力』にチャレンジします。


  • 町田有理

    編集的先達:多和田葉子。フーテン、エアプランツ、台風と呼ばれる放浪癖があり、酔っ払い鳩ケレルを見るためだけにニュージーランドへ渡航。エスペラント、手話をはじめとする言語のひとりクレオールで、旅先の物語の蒐集マニア。ろう者の家族とのお絵かきによるコミュニケーションに端を発する図解女子。