★オドリ:田中泯×松岡正剛『村のドン・キホーテ』
★千夜千冊:1181夜『ドン・キホーテ』
1648夜『模型のメディア論』
★本:田中泯×松岡正剛『意身伝心』(春秋社)
田中泯『僕はずっと裸だった』(工作舎)
ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』(岩波少年文庫)
牛島信明『ドン・キホーテの旅』(中公新書)
★映画:テリー・ギリアム『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
細部を紐解くのは観客一人ひとりの楽しみ
『村のドン・キホーテ』の細かな分析は、ある程度ならできます。たとえば、前回記事に書いた冒頭のシーン、泯さんが馬上でぐったりしながら現れるところは、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』の1シーンを参考にしているはずです。そこに、泯さんの子どもの頃の記憶や、泯さんと松岡校長の出会いに関係する『場所と屍体』のイメージが重ねられているのではないか、と思います。千夜千冊1181夜『ドン・キホーテ』や、『意身伝心』、『僕はずっと裸だった』、『ドン・キホーテ』、『ドン・キホーテの旅』、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』を踏まえると、松岡校長と泯さんが、こうやって意味とイメージとバランスを見ながら、微細な部分まで工夫を凝らしていることが多少は見えてきます。たぶん僕が見えていない部分もたくさんあるでしょう。
こんな指摘を続けることもできるんですが、あまりしたくはありません。野暮だと思うんです。細部を一つひとつ紐解く作業は、『村のドン・キホーテ』を見た皆さんが、上記の本や映画を参考にしながら、個々に楽しむことです。ちなみに、『村のドン・キホーテ』が上演されたきっかけは、たぶんこの記事に書かれてます。こちらも必読です。
ということで、僕は書きたいことを書きます。
400年以上前のメタフィクション
今回、『ドン・キホーテ』を初めてきちんと読みました。岩波少年文庫の要約版ですが、十分読み応えがありました。
いろいろと面白かったんですが、最も驚いたのは「メタフィクション」になっていることです。メタフィクションとは、いま読んでいる物語がフィクションであることを、読者が否応なく感じてしまうような「入れ子構造」になっている物語のことです。僕はメタフィクションをこよなく愛する者ですが、17世紀初頭のバロックにメタフィクションの傑作があったことをいままで知りませんでした。
『ドン・キホーテ』は前編と後編に分かれていて、前編は1605年に、後編は10年後の1615年に出版されました。面白いのは、後編の『ドン・キホーテ』は、前編の『ドン・キホーテ』が出版された後の設定になっている点です。『ドン・キホーテ』のなかに『ドン・キホーテ』が入っている。入れ子構造のメタフィクションです。
それどころか、前編がベストセラーになって、みんなが『ドン・キホーテ』を読んでおり、そのためドン・キホーテは、みんなに半ばからかわれつつも「騎士」だと認められているんです。前編が売れに売れたことは事実で、後編は現実社会の出来事を取り込んだ物語になっています。
現代には、『ドン・キホーテ』のように現実を取り込んだメタフィクションがたくさんあります。特に多いのは連載マンガで、わかりやすい例をあげると、オリンピックイヤーにだけ目を覚ます『こち亀』の日暮さんなどは、完全に現実世界とリンクしています。あと、実在する人物や作者がちょっとだけ登場するマンガがよくありますけど、あれなんかも近い構造です。現代には、『ドン・キホーテ』型のメタフィクションは決して珍しくないんですね。でも、セルバンテスが書いたのは400年以上前のことで、どう考えても先の先を行っている。セルバンテス、スゴイよ! バロック、スゴイよ!
「つもり」が「ほんと」になったドン・キホーテ
ご存知の通り、ドン・キホーテといえば、騎士道物語に夢中になって自分を遍歴の騎士だと思い込み、風車を巨人だと勘違いして突っ込むような反狂人です。確かに前編はずっとそんな感じのドタバタストーリーです。ところが、いま触れたとおり、後編は趣きが異なります。前編が売れて有名になったために、ドン・キホーテは周囲から半ばからかわれつつも、遍歴の騎士だと認められている。そうすると、ドン・キホーテもなんだか落ち着いてくるんですね。(代わりにサンチョがドン・キホーテっぽくなってきます。)
松岡校長は、「ほんと」よりも「つもり」が大事なんだ、とよくおっしゃいます。たとえば、千夜千冊1648夜にはこう書かれています。
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模型思考にはつねに「ほんと」と「つもり」が行き来する。しかし、「ほんと」が本物や本当で、「つもり」が擬似的で偽証的であるとはかぎらない。むしろ「ほんと」を実証したりすることが難しいのは、世の中の社会的事件を持ち出してみれば見当がつく。逆に「つもり」にひそむ想像力こそに、『摩訶止観』にいう当体全是があるともいえる。当体全是というのは「そう、そう、それそれ感覚」のことだ。
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ドン・キホーテは、「つもり」が「ほんと」になった人物です。最初は騎士の演技(といっても、命がけかつ無償の狂人的な演技)だったものが、周囲から認められて本当の騎士として認められてしまう。「つもり」の想像力と行動力があまりにも突き抜けていたものだから、いつのまにか「ほんと」として扱われるわけです。
しかし実際は、彼自身は周りから認められようが認められまいが、ずっと「つもり」です。演技をしつづけているんです。その証拠に、彼はあるとき、「なんとしても狂人でいるのじゃ」と言います。彼は、自分が狂人的であること、騎士の芝居をしていることを意識しているんですね。死ぬ間際にアロンソ・キハーノに戻るまで、彼はドン・キホーテになりきっています。ただ、周囲から認められてからは「つもり」と「ほんと」が近づき、狂人っぽさが薄らぎます。
「ほんと」でありながら「つもり」でありつづける田中泯
では、今回の公演がなぜ『村のドン・キホーテ』だったのか。田中泯さんもまた、「つもり」が「ほんと」になった人だからだ、と思います。
前回記事で、「ニューオリンズあたりの老人になりきって、何曲かの音楽に合わせて踊ったシーンが好きでした」と書きました。このシーンで、泯さんは「老人」になりきっていましたが、老人は「若い頃」を思い出して踊っているようでした。一方で泯さんは「ダンサー」でもあり、野良仕事をしてから東京にくる「農夫」でもありました。何重もの自分をすべて見せながら、泯さんは踊っていました。最後のシーンは「泯さん=ドン・キホーテ=キリスト」だったと書きましたが、これも同様です。(※なお、キリストが出てくる理由は『ドン・キホーテの旅』を読んでもらえればわかります。)
泯さんは『意身伝心』で、「うまくいったときというのは、『きょうは俺はいっぱいになれた』という、そんなうれしいような感じになる。いっぱい、たくさんいたぞ、という感覚」と語っています。また、『僕はずっと裸だった』には、「大人の私には子供が棲んでいる、と同時に、子供にも大人が棲み始めている」とも書いてあります。編集学校の言葉で言えば、泯さんは「たくさんの私」を表現しようとしている。たくさんの「つもり」を見せてくれているんです。
泯さんは、いまもおそらく、ダンサーの「つもり」、農夫の「つもり」でありつづけています。「ほんと」のダンサー、「ほんと」の農夫でありながら、「つもり」でもある。『村のドン・キホーテ』には、おそらくそんな意味合いが込められています。
松岡校長も、きっとまったく同じです。
ドン・キホーテ感覚を意識しないとマズイ
『村のドン・キホーテ』や上記の本や映画を経て、僕がいまたどり着いているのは、「僕もドン・キホーテなんだよな」という地点です。
1181夜には、ドストエフスキー、マルロー、ハイネ、フォークナー、ボルヘス、ガルシア=マルケスなど、世界の名だたる文学者が『ドン・キホーテ』を愛してきたことが書かれています。なぜか。この物語を読むと、「ドン・キホーテは自分だ」と感じられるから、本当は自分が「つもり」で生きていることを思い出させてくれるから、ではないかと僕は思っています。
たとえば、恥ずかしいことを言いますけど、極論、「恋をしたらみんなドン・キホーテ」なんだと思うんです。僕らは恋をすると、自分と相手のあいだに勝手な物語を作って、「つもり」を始めて暴走する。そういうラブコメ、いまも昔も絶えないじゃないですか。『ドン・キホーテ』は、ラブコメディのアーキタイプでもあるでしょう。
僕はいま、これからは僕自身の「ドン・キホーテ感覚」を意識しないとマズイなとけっこう強く思っています。そう思ったきっかけのひとつは、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』を見たからです。この映画に込められたテリー・ギリアムのメッセージを僕なりにまとめると、「現代人も自分のドン・キホーテ感覚を意識して、ドン・キホーテになりきったほうがいいよ。だって、突き詰めたら、僕らはみんな、ドン・キホーテであることを忘れているドン・キホーテなんだから」です。僕は、「そのとおりだ」と思い込んだわけです。
長くなりました。そのうち続きを書きます。今日はここまで。
米川青馬
編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。
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