棚下照生。この忘れられたマンガ家が、最近、X(ツイッター)で話題になっていた(なぜかは知らないが)。大人漫画のタッチで劇画を描くという、今となっては完全に絶滅した手法が、逆に新鮮に映るのかもしれない。代表作『めくらのお市物語』は、連載当時、大変な人気で、映画やテレビドラマにもなったのだが、現在では、タイトルに問題アリで、復刊の目途もない。もしも古本屋で見かけることがあったら絶対買いです。
数寄を、いや「好き」を追いかけ、多読で楽しむ「大河ばっか!」は、大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブです。
ナビゲーターを務めるのは、筆司(ひつじ)こと宮前鉄也と相部礼子。この二人がなぜこのクラブを立ち上げたのか? それは、物語好きな筆司たちが、過去の大河ドラマを編集工学の型によって紐解き、その魅力を分かち合いたいという思いからです。
今回は、大きな死と小さな死、というナレーションが響く回でした。
第31回「我が名は天」
小さな死
浅間山の噴火に続いて、江戸を襲ったのは洪水。7月12日に降り出した雨が一週間近くやまず、利根川の水量は日頃の十倍となり、永代橋などを押し流して江戸開府以来の大洪水となったのでした。
その影響をもろに受けたのが、深川の長屋に住む新之助とおふく、そして赤ん坊のとよ坊。蔦重は新之助に米を差し入れるとともに、往来物の筆耕を依頼し、新之助・おふく夫婦の生活を支えようとします。
おふくは、蔦重の助けを少しでも周りに分けようと、他人の子にも乳を与えます。これが後の悲劇につながるとも知らずに。
庶民からは「お救い米もろくに出しやがらない癖に、大名に貸すための金を出せというのか」と大不評だった田沼意次の「貸金会所令」を弁護しようとする蔦重に、おふくは言います。
蔦重は相変わらず田沼贔屓だね。考えている振りをしているだけさ。
だって家主は金を出せと言われたら店賃を上げるさ。米屋は米の値を上げるし、油屋は油の値を上げる。庄屋は水呑百姓からもっと米を取る。吉原は…、女郎からの取り分を増やすだろうね。
つまるところ、つけをまわされるのは私らみたいな地べたをはいづくばっているやつ。世話になっている身で偉そうで悪いけど、それが私が見てきた浮世ってやつなんだよ。
吉原の足抜けに一度は失敗、ようやく二度目に成功し、新之助と幸せに暮らせるかと思いきや、浅間山の噴火で落ち着いた暮らしを追われ、江戸に逃れてこざるを得なかったおふく。浮世は最後の最後までおふくに過酷な運命を用意していました。
もらい乳をしていた夫婦は新之助宅には米があるのではないかと疑い、魔が差した隣人が新之助宅に押し入り、おふくととよ坊は命を落とします。しかし新之助は押し込みを責めるのではなく、
この者は俺ではないか。
俺は、俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ。
と、やり場のない憤りを叩きつけたのです。
おふくの墓、土饅頭の前で「もう、どこまで逃げても逃げ切れぬ気もする。いや、もはや逃げてはならぬ気がする、この場所から」とつぶやいた新之助を思いやる蔦重が、ぐっと顎を噛みしめた様子、そして土饅頭の連なる様子が、この洪水が引き起こすであろう次なる悲劇を予感させました。
大きな死
東京国立博物館で開催中の特別展「江戸☆大奥」は、2023年に放送されたドラマ「大奥」とのコラボが目を引きました(衣装に、御鈴廊下!)。原作はいわずとしれたよしながふみの『大奥』です。男女逆転という設定で、将軍が女であれば大奥は男子の集まり。
その『大奥』が描いた三代将軍から十五代将軍の世の中でも、最も怖かったのが治済ではないでしょうか。久しぶりに男子の将軍となった家斉の母・治済は、息子の家斉は子どもを産ませるための種馬としてしか見ていない。人目がなければ廊下で実の孫をふみつけ、側近に面白半分に毒を飲ませ、果ては家斉の正室と側室を騙し、それぞれの産んだ子をあの世に送り、子を亡くした母同士が憎み合うように仕向ける。『大奥』の中の治済は、一緒に田沼を追い落とした、つまりは仲間だった筈の松平定信にさえ「徳川家にとっての真の敵は奴であった!」と言わしめたのです。
彼女がそのようなことをした理由。それは「退屈だったから」。息子を将軍として権力の頂点に達したとしても、「快感は思うたよりも短かった」というのです。
では「べらぼう」における、生田斗真演じる一橋治済はどうでしょうか。十代将軍・家治は毒を盛られたことに気づいているのですが、自身の側室が絡んでいるので毒を盛られていることを公言することができません。なぜ、このようなことを、と問う田沼に、死にかけている家治は語ります。
あやつは天になりたいのよ。あやつは人の命運を操り、将軍の座を決する天になりたいのだ。そうすることで、将軍などさほどの者ではないとあざ笑いたいのであろう。将軍の控えに生まれついたあの者なりの復讐であるのかもしれぬな。
なるほど。治済が人形を操るシーンが伏線として何度も出てきましたが、治済が本当にやりたかったことは、「控え」という立ち位置からの復讐だったのでしょうか。
瀕死の床からはいずり寄った家治が、治済の胸ぐらをつかんで、「天は見ているぞ」と言った言葉も、治済の心には届かなかったのです。
報われなさを生きるために
『大奥』の治済も、『べらぼう』の治済も、不気味なほどに志を感じさせませんでした。――それは偶然ではなく、「よき志さえあれば天が報いる」という都合のよい神話を打ち砕くためのキャラクターだと読むべきでしょう。治済は「天の不在」そのものとして現れ、人の生死や政を容赦なく動かしていく。そこには、天=道徳的採点者という発想を退ける脚本家の明確な意思が刻まれています。
長屋では、蔦重の米の施しも、おふくによるもらい乳も、善い結果をもたらしませんでした。むしろ善意が別の飢えを刺激し、更なる悲劇を呼ぶ。幕府では、家治と意次の英明さも、毒と陰謀の前には無力でした。理念も努力も、天候や偶然の力の前では折れる。
ここに「天明」という元号の皮肉がいっそう際立ちます。名は“明るい天”でありながら、実際には不条理と陰謀が闇を広げていったのです。
脚本家は、美談の裏に押し込められた現実を描き返そうとします。ここで描かれているのは「正しければ報われる」という神話ではなく、報いがなくても、保証がなくても、なお生きざるを得ない人々の姿なのです。
ここで浮かび上がるのは、「美談化」と「成功神話」が同じ“報いの物語”の構造を持つという点です。現代の努力神話やサクセスストーリーにも潜む、「志を持てば報われる」という教育的神話へ仕立てられていく。「べらぼう」の脚本家は、そうした“報いの物語”から意識的に距離をとり、直感的に望ましいとされる美化を意図的に捨て去ります。
蔦重を清濁併せ持つキャラクターとして描き、その成功を「善意や努力の報い」や「天運」と単純化をせず、仕組みを編み直す編集的実践の積み重ねとして示していることが、その証です。ここには、天の報いを当てにせず、保証なき現実の中で人がどう工夫し、どんな語りを紡ぐかという問いが置かれているのです。
だからこそ、「べらぼう」は突きつけるのです。天は不在であり、報いの物語は虚構にすぎないのだと。では、その時代を生きる人間はどう在るのか。──天の不在を直視したその先にこそ、物語の芯が浮かび上がってくるのでしょう。
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