【三冊筋プレス】偏愛、万歳!(小濱有紀子)

2020/09/09(水)10:28
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 一心不乱な思想や信条は、論理で正当化しようとすればするほど、その熱の方が際立つ。だが、この3人の筆者たちにとっては、そんなことはどうでもいい。むしろこの熱をこそ伝えようと、それぞれ懸命に冷静さを装い、客観性を持っているフリをする。その類稀なる心意気に、大いなる拍手を送りたい。

 『記号論への招待』の入り口となるのは、言語、そして文化・芸術・精神である。そこから「記号とはなにか」という、学問的記号論の概観を提示しつつ、池上の主張する言語のもつ可能性を、逆説的に示唆する。
 中盤のハイライトは、「伝達」をめぐる言語の記号性の読み解きである。そこから、記号の生み出す意味作用、統辞論、テクスト論、ナラティブ論…と「読み・書き・思考」へのアプローチを経て、現在確立されている理論的な「記号論」を網羅し、基礎知識として解説する。
 ラスト、記号論の展開・深化として、芸術分野・文化批評へと拡張していく。ここまでに解説してきた理論的記号論をベースに、構造と機能、実用的と美的という二項対立から分解する。言語を記号と捉えてみると、記号としての美しさから、意味の美しさが生まれる、と池上は説く。さらに、記号を通じて言語と文化を結ぶことで、記号の持つ文化性や批判的精神をあらわにしていく。見えてくるのは、「記号こそが文化をつくる」という、池上の記号に対する信念そのものであった。

 一方、『ゴシックとはなにか』の構成は、誕生、受難、復活と、まるで聖書、イエス・キリストの生涯そのものをなぞるようになっている。ゴシックが自然とキリスト教の出会いから始まったことに端を発する、これぞまさにゴシックの体現。
 そもそも「宗教」とは、世界情勢や人間の感情、利害の影響をダイレクトに受けるものであるが、中世がさらに厄介なのは、そこに「芸術性」や「美」の観点が加わったことであった。にもかかわらず、近代は、なぜあえて「中世」を蘇らせたのか。
 ここで酒井は、イギリス、ドイツ、フランスといった、比較的取っ付きのいい国の、それぞれの歴史的背景を丁寧に解説することで、ゴシックの核に迫ることを試みる。だが、実は本質な議論は、「追捕」として言及されているガウディとバルセロナの関係性にこそあった。この近代都市の発展は、ガウディの生涯と軌を一にしている……と本書には述べられているが、ガウディがこの都市及びその近郊に残した数々の建築物の本質は、バルセロナの発展の明と暗、二つの表情に潜んでおり、その深い部分には中性ゴシック精神との共振があるのだ。

 ナボコフは、『絶望』にぎりぎりのアナロギア・ミメーシス・パロディアをかけた。
 この作品の主人公であり、語り手でもあるゲルマンは、商用で出かけたプラハで偶然、自分と瓜二つの浮浪者フェリックスと出会う。しばらくして工場の経営に行き詰ったゲルマンは、フェリックスを身代わりにした保険金殺人を企てる。自分の完璧な計画を芸術にたとえて自賛するとともに、手はず通りにフェリックスを射殺。しかしこの事件の犠牲者がゲルマン本人であるとはまったく考えられていないどころか、彼が読んだ新聞には、彼と犠牲者の顔は似ても似つかないと書かれていた。激しく動揺したゲルマンは、「信頼できない語り手」と呼ばれる技法を用い、ある殺人者の告白という形式でこの完全犯罪の足跡を辿る小説を書く。この『絶望』という小説を完成させることで、自身の創造性と計画の完璧さを証明すべく、まるで日記のように原稿を書き続ける。

 物語自体は、この後、ゲルマンの凡庸なミスで唐突に終わりを迎える。だが、この「信頼できない語り手」を用いた叙述トリックにも近いナラティブ性と、実験的物語構造やメタフィクション性への可能性にトライしつつ、読者や社会を食わんとする絶望的なユーモアが、ナボコフの本質であるとしたら、ゲルマンはナボコフ自身であり、物語と現実の境を曖昧にしながら、自らの信じたい世界に双方自由に出入りするという、画期的試みにトライしたことになる。

 池上は、『記号論への招待』で、次のように書く。

「人間が『意味あり』と認めるもの、それはすべて『記号』になるわけであり、そこには『記号現象』が生じている。」
自分と信念と世界との周縁の関係性を、端的に示す一節である。だが池上は、この観念の世界なんていとも簡単に飛び越え、さらに進んだ見方を提示してくれる。

「文化を『記号』として捉えるという発想がわれわれに教えてくれるわれわれ自身の姿は、われわれ人間はおよそあらゆる種類の『記号』で満たされた『文化的テクスト』の中に(自らもまた『記号』として)住んでいるということである。」
池上も酒井もナボコフも、観念の世界に住みつつ、内側という周縁にフェチを滲ませ、現実世界と行き来することで、自らの信念を広く他者に布教しようとしている。自己の信じる世界を、誰よりも明確に肯定しながら。
もう脱帽だ。だから私は、両手をあげて叫ぶしかない。

「偏愛、万歳!」と。

 

 

●3冊の本:

 『記号論への招待』池上嘉彦/岩波新書
 『ゴシックとはなにか』酒井健/筑摩書房
 『絶望』ナボコフ/光文社

 

●3冊の関係性(編集思考素):三位一体型


  • 小濱有紀子

    編集的先達:倉橋由美子。古今東西の物語を読破し、数式にすることができる異才。国文学を専攻し、くずし字も読みこなす職能。自らドラムを打ち鳴らし、年間50本超のライブ追っかけを続ける情熱。多彩で独自の編集道を走る、物語講座・創師。

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