■2020.10.22(木)
花目付ロールを拝命した。34[花]はベテラン三津田知子花目付と2人体制で臨む。
正副ではなく陰陽、ダブルではなくデュアル。そんなイメージを抱いて、明後日の入伝式では、正面ステージではなくワキのバーカウンターから登場する演出を考えた。
故実十七段(*)の五に「継ぎ目」の段がある。曰く、登場する面貌が揃う「並び」の後に「何か違うものが入ってくる可能性」を求めたい、と。
なるほど。ならば、アナザー花目付はこの「継ぎ目」の役を担ってみよう。
早速ユーチューバー御用達のLEDリングライトを手配して、本楼でのリハーサルへ向かう。
zoom配信のテクニカルチームを中島麗師範代がテキパキと差配する。登壇者を捉える1カメ担当の池田かつみ師範代は、カメラを注視しながらも、話者の語りに句読点を打つように大きく頷いて傾聴を示す。2カメの森本研二師範代は、カメラの切り替わりを大きなハンドジェスチャーでナビゲートする。
カメラの彼方と此方で、映す者と映される者とが、寡黙だけれど雄弁な相互編集を交わし合う。映す者は目の前にいないオーディエンスの耳と目をエージェントし、その媒介作業によって語り手は強く勇気づけられる。
入伝式に先立った先週のオンラインガイダンスでは、新任の花伝師範と錬成師範が躍動した。フレッシュな指導陣のチャレンジングな意気込みを結集して、一気加勢の一座建立へ向かいたい。
34[花]は、個の突破力ではなく場の創発力が躍如する期になりそうだ。
*故実十七段:
松岡校長が古今東西のさまざまなイベントやワークスのプログラム次第をモーラして十七段階の母型に抽出した時間のプログラム。
■2020.10.24(土)
34[花]入伝式は、2期ぶりに指導陣が本楼へ集った。18名の入伝生に対し、指導陣は14名。イシスの師範代養成プロジェクトは、控えめに言っても手厚い。
4部構成のプログラムは、入伝生にとって傾聴と発話のターンが交互に訪れる。
ミクロのターンテイクについてはzoomならではの特性と制約による事情もあるのだが、マクロな式次第としては、受講者の能動的な発話を促すために用意周到に仕組まれたターンテイクなのだ。その発話の様子を、指導陣は観察している。機に備える用意について、機に臨んでの卒意について。
素朴な感想レベルではあるが、ほんの半年でほとんどの者がビデオチャットの操作を習熟している状況を興味深く感じた。コロナパンデミックは、インタラクティブなコミュニケーションツールを流布させた。そして、ツールの流布がルールとロールの編集を否応なしに促している。
編集工学講義では、先だって『才能をひらく編集工学』を上梓した安藤昭子専務が「BPT」を地に「3A」を鮮烈に語った。圧巻だった。
編集工学は普遍をReエディットしReプレゼンスする営為そのものだから、その概念や体系に先進や先端があるとすれば、それは解釈の冒険、あるいは表象の発見なのだろう。その安藤の手際を松岡は「僕の20年分の講義を1時間で語った」と称賛した。
校長講義は、33[花]で初めて図解された「型」の奥義と含意のレジュメを元に語り重ねられた。
レジュメは語りのために整流された思考経路であるけれど、その回路に出入りする情報は常にノイズや凹凸を孕んでいる。松岡はその変化や変数を、ときに遊び、ときに回避し、ときに飛び越えて語りを運ぶ。同じレジュメの講義といえど、千変万華の含意が導入される。型の守破離とは、そういうことなのだ。型に情報が出入りするごとに、型そのものが継承されながら更新されていく。
私たちは編集的な自己を起こそうとするとき、何か「よすが」となるものを検索する。そして、つかんだ参照模型に肖りながらエンジニアリングする過程で、style/taste/modeといった型への展開が行き来する。つまり「型」に「人」が代入され、編集知が興るのだ。
とすれば、型が示すことは人の語りに内包されており、人の語りには型が示すことが潜在している。
それは当たり前のことのようにも思えるけれど、人はアタリマエのアリガタミに気づきにくい。生命も意識も、世界も文化も、アタリマエが連鎖することによって、別様の扉を開いたまま編集が受け渡されてゆく。そのことのアリガタミに気づきにくいのだ。
「生命に学ぶ・歴史を展く・文化と遊ぶ」という編集工学研究所のスローガンが胸に染みる。
深夜、日付が変わって4道場が開いた。
プレワークではやや大人しく見えた入伝生たちだが、初動はまずまずの調子で言葉を重ね始めている。「少数なれど熟したり」を体現する34[花]となることを期待したい。
(撮影:後藤由加里)
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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