2022年4月 輪読座「湯川秀樹を読む」が開幕した。
湯川秀樹といえば戦後間もない1949年に中間子理論によりノーベル物理学賞を受けたその人だ。そのように受け止めると輪読座の内容も、おおよそ科学や物理の専門知識で溢れ、ワクワクとのめり込むことができるのだろうかと思ってしまった事は白状しておきたい。第1輪の輪読座を終えて、私は湯川さんに親しみやすさや頑なさを感じながらも儚さを隠し持っているような素朴な語り口調に簡単に惹き込まれてしまった。
輪読座は、毎回、大きく分けて3つのブロックで構成される。1つ目は輪読師バジラ高橋による図象の解説。唯一無二の図象を元に、湯川さんにまつわる情報がバジラ節で語られる。第1輪の図象解説では科学的思考をギリシア哲学のプラトン、アリストテレスまで遡り、中世・近世とどう進化してきたかを概観した。2つ目のブロックはテキストの輪読だ。毎回、取り上げた人物の著書からバジラがピックアップした5つ6つの文章を輪読座衆皆で輪読する。最後のブロックは図象解説と輪読したテキスト内容を元に、参加者それぞれが図象をかいて独自の見方を展開する。このパートが輪読座ならではであり、輪読師も毎度ホクホクと楽しみにしているコンテンツなのである。
今回のエディストでは、輪読した『短い自叙伝 −或る物理学者の宿命−』を中心に湯川さんの半生を掻い摘んでみたい。
内気な少年
湯川少年は、自分を表現するということに非常な困難を感じていた。内気で、何かちょっとしたことが苦になる、内向性や苦労性という性格が強かった。小学校の学芸会で菅原道真の話の暗誦をするという役まわりを急に任されて、憶えていないから断ればいいのに先生に言われて演壇にたった。憶えていないから何も言えず、思い出そうとしてもどうにもならず、すごすごと演壇を下りた。他の子が代わりに無事にやってくれた。少年はその場にいてもいられず、運動場の隅の小さな池のそばまできて虚脱した気持ちで立っていたら、その辺をお玉杓子がいっぱい動きまわっているのを見た。こういう思い出がいつまでも頭から抜けない。
「何か人から頼まれると、いつの間にかそれを引き受けちゃって、そのために非常に苦しむということを何度も繰り返して来ているのです」と振り返る。
中学校は自由な雰囲気での教育だった。「閉鎖性と開放性、束縛と自由の間で或る程度までバランスの取れた人間になり得たのじゃないか」と語りながらも、「非常に孤独感が強くなってきた」と湯川さんは言う。内気という持ち前の性質が強くあらわれてきたのだと。湯川さんの父は学者であって、興味をもったことに関係した書物をどっさりと買ってきた。家の中はどの部屋も本でいっぱいだった。本に囲まれて暮らす中で湯川さんも色々な書物を盛んに読んだ。それに伴って厭世的になった。子供の頃からいろいろな本を読んだことは、内向性をさらに強めることに役立ったのかもしれないと湯川さん自身は分析している。
あまり世の中と交渉を持ちたくないという気持、何か自分の好きな勉強をしておれるならそれで結構だ。それ以外にあまり世の中と交渉を持ちたくないという気持がだんだん昂じてきたように思います。なるべく世の中と交渉を持たずに一生送りたいということになると、学問をするのが一つの行き方でしょうね
高等学校では理科の方へと進んだ。「“自由”な校風の中で非常に自由に青春を楽しんだと言えば言えないことはない。なんとなく全てのことが空しいという気持が心の底に残っていた。青春とか何とか言うけれども、一体自分は何をしているのかという反省だった。」と語る。高等学校の三年をなんとか過ごした後、京都大学の理学部へ入ると心は一遍に安定する。自らが物理学という学問を選んだ。物理学を中心として色々なことを勉強していけばよいということに決まったので大学に入ってからは動揺せず、勉強をつづけることができるようになった。
『短い自叙伝 −或る物理学者の宿命−』より
科学者の義務
京都大学卒業後に大阪大学に移る。結婚もするし、阪神間に住むというような事もあった。昭和14年32歳の時に京都大学の教授になり京都に戻る。国際会議に出席するために外国へ出かけたりしたことは湯川さんを幾分開放的にした。ヨーロッパやアメリカへ出掛け、そこで沢山の学者と知り合いになったりして、考えも広くなり、気持にゆとりもできるようになった。そのうちに日本も戦争をはじめた。
戦争中は京都大学でなんとか勉強を続けることができた。ところが、そこへ原子爆弾が出現した。湯川さんら専門家にとっては、他の人たち以上に深刻なショックだった。それがだんだんと日がたつに従って、科学者として、また人間としての反省へと形を変えてきた。「われわれも今までと同じようなのんきな考え方は出来ない。これから先の世界は一体どうなって行くのだろうか」ということを、少しずつ考え始めるようになったという。
原子爆弾というものが現われ、さらにまた何年かして、それが水素爆弾にまで発展してゆくというようなことがありまして、ますます容易ならぬことになってまいりました。それを科学者として知らん顔は出来ない。義務感とか責任感とかいうべきものが、だんだんと私の心の中で定着しだしたのです
『短い自叙伝 −或る物理学者の宿命−』より
アインシュタインとの出会い
終戦から3年、ブリンストン大学に招聘された湯川さんがアインシュタインと出会ったとき、アインシュタインは嘆いていた。「原子力にひそむパワーを研究し、エネルギー量を計算したらそれを元にアメリカが原子爆弾をつくってしまった、科学者として日本に申し訳ないことをした」。湯川さんがノーベル賞を受賞する1年前のことだ。その後、アインシュタインはパグウォッシュ会議を開催すると原爆や自然破壊のために原子核の研究をするのはおかしいという議論を展開する。科学者の社会的責任についても真剣な討議を行ったという。湯川さんも第1回会議から参加者に名を連ねている。
アインシュタインについて湯川さんはこのように書いている。
二十世紀が訪れると同時に物理学の大変革が起った。ブランクの量子論、アインシュタインの相対論が相ついで出現した。二十世紀の科学者は、自然界に対する全く新しい見方を採用しなければならないことになった
重要なことは、その背後にあるアインシュタインの偉大な思想が、思想の貧困をかこっている現代物理学の中に、新しい形で生かされることである
『アインシュタイン博士を憶う』より
今世紀初頭の先駆者の中で、最も偉大であったのはアインシュタインでした。(中略)彼があこがれたのは、まだ発見されていない、自然界の新しい美と単純性とでした。抽象化は、常に単純化のための一手段であり、ある場合には、単純化の結果、新しい美が現れます。アインシュタインは、極く少数の理論物理学者だけにあたえられている、美的感覚の持ち主でした。
『科学的思索における直観と抽象』より
湯川さんが物理学の研究とともに続けた活動に世界連邦運動がある。アインシュタインや湯川さんたち科学者は戦争の起こらない仕組みにするため世界連邦の形成をすすめようと尽力した。湯川さんは第5代会長に就任している。内向的で折衝の少ない職業を選んだ湯川少年は、環境の変容や多様な出会いを通して、国際的な核断絶を議論する立場となって世界から注目を浴びる存在となっていくのだ。
ごみごみした実験室の片隅で、科学者は時々思いがけなく詩を発見するのである。しろうと目にはちっとも面白くない数式の中に、専門家は目に見える花よりもずっとずっと美しい自然の姿をありありとみとめるのである。
『詩と科学』より
輪読座で現代科学をとりあげるのは初の事だという。専門的な用語やら数式なんかが出てこないわけではないけれど、根底には思想やアナロジーがある。湯川さんには、近代科学と東洋思想のまぜこぜがある。「21世紀だからこそ湯川秀樹を読まなきゃ」とバジラは今回も荒ぶっている。
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宮原由紀
編集的先達:持統天皇。クールなビジネスウーマン&ボーイッシュなシンデレラレディ&クールな熱情を秘める戦略デザイナー。13離で典離のあと、イベント裏方&輪読娘へと目まぐるしく転身。研ぎ澄まされた五感を武器に軽やかにコーチング道に邁進中。
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