【二千光年の憂鬱】Chapter5 Good Bye Cruel World

2022/07/07(木)08:00
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■非攻兼愛

 

あなたは正義の戦争はあると思いますか。

あるいは戦争に正義はあると思いますか。

 

例えば十字軍、キリスト教徒にとっては、イスラムからエルサレムを奪還するための正義の戦争だっただろう。先の大戦では、日本は大東亜共和圏という理想を掲げて戦い、アメリカは自由と民主主義を世界に広げようという理想を掲げて闘ったわけで、お互いに自分たちの正義をかけて闘った。

 

イスラムにはイスラムの正義があり、ロシアにはロシアの正義があるだろう。ISにだって彼らの正義がある。自分たちは大義のために闘っている、だから、この戦争は正しいという考え方を理想主義的戦争観、正戦論という。

 

一方、戦争に正義はなく全ての戦争は悪である。でも、すべての戦争にはそれなりの理由がある。つまり、戦争は避けられないものであって、これをいかに制御していくか、被害を最小限に抑えるかが重要であるとする考え方、これはリアリズムの戦争論である。無差別戦争観という。

 

春秋戦国時代、儒学の祖である孔子の最大のライバルと目されていたのが墨子だった。

高校の教科書には、墨子は非攻・兼愛を説いたと書かれている。墨子は攻めない。平和主義者であると。そして孔子の説く仁は差別的であると批判し、すべての人に分け隔てなく愛を注ぐべきだと主張した理想主義者であると書かれている。教科書に書かれているのはそこまでだ。

 

ある時墨子は弟子に言う

「人を殺すことをどう思うか」

「それは罪です」

「10人殺したらどうか」

「大罪です」

「では、1万人殺したらどうなる。その者は英雄である。これが戦争だ。殺人が罪であるなら、戦争において1万人の命を奪う行為が罪でないわけがない。だからいかなる大義があろうが、侵略戦争に正義などない」

 

墨子が生きていた国は櫓という小国である。

自国のまわりを大国に囲まれていて、斉と言う国がしょっちゅう攻めてくる

 

弟子が墨子に質問した。

「戦争が悪なら、もし我が国が敵国に攻められたら、その時はどうすれば良いのでしょうか」

墨子は答えた。

「徹底的に戦う。戦わなければ我が国は滅ぼされて、民は奴隷にされてしまう。それは罪である。だから我々は身を守るために徹底抗戦して、決して屈しない」

 

墨子の非攻とは専守防衛だったということだ。そして、墨家は侵略戦争からの防衛を請け負う傭兵の集団でもあった。特に城を守る防衛的なプロ集団であった。

 

当時、中国大陸の南に楚という国があり、これが北上して、宋という小国を侵略しようとしていた。宋の使いが墨子のところにきて、自分たちの国は楚に侵略戦争を仕掛けられているので、助けて欲しいと泣きついた。墨子は単身楚に乗り込んでいき、侵略戦争をやめるよう進言するが、当然のことながら聞き入れられない。

 

そこで墨子は、楚の王の前でシミュレーションを行い、どうあっても楚が敗北するんだということを見せつける。楚の王は「だが、我々にはまだ秘策が残されている」といって笑った。墨子は「私は知っている。私を殺そうと言うのだろう。でも無駄だ。すでに私の兵が宋の周りを固めている。私を殺したところで、楚が負けると言う結末は変えられない」

 

結局楚は宋への侵略を諦める。墨子は徹底的に防衛することで戦争を止めたのである。正に武装平和主義である。墨子は理想主義どころか、徹底したリアリストだったのだ。理想だけ抱いて防衛力を持たない国は、他国から侵略され、滅ぼされる。墨子は憲法9条があれば戦争にならないなどという寝言を言うどこかの国の代議士とは違う。闘うからには勝たねばならない。侵略されないために、国を守り、誇りを守るために、武器を揃え、闘うための戦法を磨いていった。

 

 

戦国時代の地図

 

同じ頃、ギリシャでは、アテナイとスパルタが覇権を争って闘っていた。このころのギリシャの構図は、20世紀の冷戦に似ていて、ギリシャの他の国々は、アテナイとスパルタのどちらかについていて、完全に勢力は2分されていた。

 

スパルタ側についていた国にメロスという小さな島国があったが、アテナイに包囲されてしまう。メロスはスパルタに援軍の派遣を要請したが、スパルタは陸地戦には強いが、海軍は脆弱だったので、援軍がなかなか来なかった。アテナイはスパルタと手をきれと迫ったが、スパルタとは長く信頼関係にあったので、メロスはそれを拒否する。メロスの人民は自分たちの理想を貫くため、アテナイと闘うことを決めたのである。この時の記録がトゥキディディスの戦記に残っている。

 

メロスの国王が、「なぜ私たちの国に干渉してくるのです」と問いただすと、アテナイの使いは「我々は大国である。キミらは小国である。小国はグダグダ言わずに従っていればいいのだ」と答えている。

 

メロスは結局アテナイに滅ぼされる。成人男性は全員殺され、女性は全員奴隷にされてしまう(メロス包囲戦)。メロス人が期待したスパルタの援軍は最後まで来なかった。

 

ちなみに、メロスが滅ぼされた11年後の紀元前405年、スパルタのリュサンドロスがアテナイ軍を破った後に、メロス島からアテナイの入植者を追放し、奴隷としてアテナイで生存していた子女を開放、メロス島に戻すとともにスパルタに併合した。滅ぼされる前に援軍を派遣していればと思わないではないが、大国は小国の事情など考慮しないということだろう。

 

これが紀元前5世紀の出来事だから、このころすでに今と同じようなことが問題になっていたということだ。理想とする思想や価値観を貫くために徹底抗戦するならば、墨子のようにリアリズムに立ち、友好国の支援をあてにするのではなく、自分たちで国を守るための軍事力とノウハウを持つ必要がある。そうでなければ、メロスのように、大国の圧倒的な軍事力の前では、何もできず滅ぼされてしまう。

 

専守防衛を貫くためには、何が必要なのかは明白である。この狂える世界、cruel worldにおいては、リアリズムなき理想は通用しない。それは歴史が証明している。

 

■中世って何

 

春秋戦国時代が終わり、秦の始皇帝が秦を統一し、その後漢王朝が生まれる。同時期にギリシャではローマ帝国が世界帝国を築く。強力な軍隊を維持するためにはお金がかかるため、財政は必然的に厳しくなる。そうなるといつの時代も国家権力は増税をする。人民の財布に手をつっこんで収奪するようなものであるから、やがて経済が衰退し国が亡びる。こうして中国大陸もヨーロッパも同時期に400年続いた帝国が滅び、グダグダな世の中になる。強力な軍隊がないので治安が悪化する。その結果、人民は自分の身は自分で守らねばならなくなって武装をし、さらに治安が悪化する。自警団のようなものの中でも、そのうち上下関係が出てきて、各地の一番力がある連中が勝手に地方を治めるようになっていく。中世とは、洋の東西問わず、このような混乱の時代であった。

 

その頃、日本は平安時代だが、坂上田村麻呂の蝦夷征討にお金がかかり過ぎて、軍団の維持が出来なくなり、嵯峨天皇のときに軍を解散させる。常備軍がない国は他国からの侵略を受けるのが常であるが、幸いなことに日本は海に囲まれていたので、かろうじて他民族の侵略は免れた。そのうち余裕が出てきて、地方のボスたちの中で主従関係が生まれ、あるものは源氏、あるものは平氏、あるものは奥州藤原氏となっていった。それが武士の始まりである。討伐された蝦夷の中で、朝廷に従った蝦夷を俘囚という。武士団のほとんどは俘囚の末裔である。でも、それだと家柄が良くないので、トップに皇族の血を引く源氏や平氏を置いた。

 

つまりは、日本の武士とは国家が軍隊を放棄し、兵力を民営化することによって生まれたのである。

 

この後、刀井の入冠や元寇という大事件があるのだが、話は一気に飛ぶ。

 

■文明国になって西の仲間入りを果たした日本

 

17世紀ヨーロッパでは、ドイツ(神聖ローマ帝国)を舞台に、プロテスタントとカトリックが存在意義をかけて三十年戦争が勃発した。詳しいことは省くが、この戦争はヨーロッパ中の国を巻き込み、ヨーロッパの歴史上最大の宗教戦争となった。その結果ドイツ帝国(神聖ローマ帝国)は滅び、国際的な無政府状態になる。これをまとめる必要があったので、ウエストファリア条約を結び、ヨーロッパはイギリスもフランスもオランダもポーランドもスペインも、大国も小国もみんな対等で、主権を持つようになった。すべての国は他国の指図を受けないということになったのである。これがウエストファリア体制。ところがアジアでは中華帝国という圧倒的な大国があり、ビルマやタイやベトナムや琉球や朝鮮といった国は、中華帝国の臣下として冊封され朝貢を行っていた。

 

このみんな対等のヨーロッパとお山の大将のアジアがぶつかったらどうなるかというのがアヘン戦争だ。アヘン戦争の顛末については、千夜千冊にも取り上げられている。リンクを貼っておいたので、ご一読を。

 

ウエストファリア体制下のヨーロッパは、どこも対等であったのに、清に対してイギリスがやったことは明らかに無法である。ヨーロッパ各国の間では紳士的につきあうが、アジアに対しては暴力の限りを尽くすという理不尽な振る舞いを、彼らはどのように説明したのだろうか。

 

19世紀後半のイギリスに、ジェームズロリマーという国際法学者でエジンバラ大の教授がいたのだが、この人が書いた『国際法の原理』という本の中には、以下のように書かれている。

 

「人類を分類すると、現時点において三つの同心円的世界に分かれる。すなわち文明世界、未開の世界、野蛮な世界である。主権国家として認める範囲はヨーロッパの現存するすべての国々に及ぶ。部分的に認めても良いのが、トルコ、ヨーロッパの属国にならなかったアジアの古い歴史ある国々、ペルシャ、中央アジアのいくつかの国、タイ、チャイナ、日本。それ以外の国においては、人間として承認はするが国家としては認めない。我々が国際法を適応するのは、第一の国々、つまりヨーロッパだけであって、国際法学者は国際法を野蛮な人類に対して、あるいは未開の人類に対して適用してはならない。」

 

要するにヨーロッパ以外の国に対しては、何をしても良いということである。

 

これは、中華思想をさらに極端にしたようなものだ。

 

アジア人がヨーロッパの横暴から自らを守るためには、武力をつけることと、彼らに文明国だと認めさせる以外には道はなかった。清がイギリスにいいようにされるのを見た日本は、不本意ながらも、ヨーロッパのルールに従い、国際法を学び、国力をつけていった。これが明治維新だった。その裏ではアヘン戦争のシナリオを書いたイギリスのジャーディン・マセソン商会が糸を引いていたのだが、ここでは触れない。大事なのは、どうすれば国を守ることが出来るのか、今こそ歴史から学ぶべきであるということ。戦争から見た世界史という視点が必要である。

 

アメリカが覇権国家としての力を失い、ロシアやチャイナが国際法を無視した動きを見せる中、そのチャイナとロシアの両国に挟まれている日本は、相当ヤバい状況だ。いまそこにある危機として、チャイナとロシアの2つの国のDNAを持つ北朝鮮からも標的にされている。このまま無策のK田政権が続くと、日本経済が今以上に悪い状態になって、どこかの国の属国になることだってあり得なくはない。もし、チャイナの経済がダメになった場合、チャイナから大量の難民が流れ込んでくる可能性も非常に高い確率で予想される。自民党が参院選を勝ち抜いてK田政権が続いた場合、日本の労働力不足を理由に、海外からの移民を今以上に増やすことは目に見えている。留学生受け入れと称して、安い労働力をガンガン増やす。彼ならやりそうだ。食糧安全保障の問題もレッドゾーンに突入している。

 

イデオロギーがどうの、右だの左だの言っている場合ではないだろう。何よりもボクらがリアリズムに基づいた正しい国家観を持たないと、どんどん日本人としてのアイデンティティが薄まり、世界で最も長く、香しい歴史に彩られたこの国が消えてなくなってしまう。それだけは何としても避けなければいけない。コスモポリタンを気取って、自分だけ安全で快適な生活を享受し、この国を捨ててしまうような輩にはなりたくないし、誰にもそうなってほしくはない。

 

今、この国の若い人たちが理由もなく死んでいく。自殺の一番の理由は「なんとなく」だそうだ。生活が苦しくてとか、明確な理由があるなら、まだ対策もたてやすいが、理由なく死んでいく者を、どうやって救えばいい。

 

「生きてても楽しくないし、どうせ死ぬのだから」

そんな理由で自らの命を絶つ人に、どのような声をかければいいのか。

 

政治家や学校や国のせいにするのではなく、大人は真剣に考えなければいけないだろう。

 

僕らの世代は、少なくともボク自身は、もう十分人生を楽しんだから、正直、どうでもいいと思っている。多少の不自由さも我慢するし、国が衰退していったとしても、今まで見て見ぬふりをしてきたことのツケがまわってきただけのことであり、自業自得だ。でも、今の若い世代、これから生まれてくる世代が誇りをもって、生を全うできる世の中にしていくためには、まだまだ、諦めるわけにはいかない。この国の覚醒のために、自分ができることを粛々と実行していく。それが、今ぼくたちが、この国で生きることの目的だと思う。

 

ボクたちが編集を学んでいる目的が、自己実現だったり、自分が成長するためだったとしたら、それは少し悲しい。新しいことを知る喜びのためだけに学んでいるわけじゃないはずだ。ボクらがどこかに置き忘れてしまった日本という方法、戦後奪われてしまった日本という魂をもう一度、この手に取り戻して、なんとなくおかしい、なんとなく嫌な方向に向かっている、今のこの流れを断ち切る。閉塞感と虚無感に満ちた世の中の空気を変える。そのために、まず自分が変わり、自分の周りから変えていく必要があるから学んでいる。そして、ボク自身は、年を取ったら取るだけ透き通っていく存在になりたいと思っている。

今日を生き延びるための10曲(5)

 

1.P.M.A(positive mental Attitude)/ KEMURI

2.2nd Ýouth/ HEY-SⅯITH

3.虹/セカイイチ

4.Doesn’t Make It Alriight/Stiff little fingers

5.Hate & War / The Ⅽlash

6.Imagine/John Lennon

7.Sunday Bloddy Sunday / U2

8.島唄 / The Boom

9.Trouble of the world / Sinead O’Ⅽonor

10.One Love / Bob Ⅿarley

 

今回のプレイリストは、広い意味での反戦歌、ポジティブな生き方を歌った曲、偏見や差別意識によるつまらない争いへの決別を歌った曲など選んでみた。なかには気分だけで選んだ曲もあるが、とにかく聴いてもらえれば分かると思うが、「今日を生き延びるための10曲」というテーマに相応しいプレイリストになっている。

 

1はケムリの代表曲。スカコアの曲はそれほど熱心に聴いてこなかったが、今年のVIVA LA ROⅭKでHey-Smithのライブを体験して以来、ジムでのワークアウト時のBGⅯに、スカコアのプレイリストをつくるくらいハマっている。ヘイの先輩格にあたるケムリを改めて聴いてみると、ホーンセクションが考えられないくらいカッコいい。この曲はリアルタイムで聴いた時は、歌詞がちょっとクサくて気恥ずかしいと思っていたが、今聴くと、その熱っぽさがとても心地いい。

 

2のヘイスミスは今年15周年を迎える中堅バンドだが、音像も佇まいも、新人バンドのような初々しさが感じられる。ドラムが余計な自己主張をしないけど地味に上手い。そしてライブでは、ホーン隊がとにかくよく動く。リーダーでギターとボーカルの猪狩周平のひたすら陽性のキャラクターもあって、この人たちの音楽に触れると、落ち込んでいても嫌なことがあっても、ポジティブな気分になれる。

 

3のセカイイチは一度もスポットライトを浴びたことがないバンドだけど、人生の岐路に立った時、気が付いたら、アタマの中で口ずさんでいる。そんな曲がいくつもある、かけがえのないバンド。自分の弱さを隠さず、それをエクスキューズにすることもない。

 

4はパンク第3世代の代表格フィンガーズの2nd収録の曲。この曲のオリジナルはスペシャルズで、もっとゆったりしたテンポのスカ。肌の色の違いや人種の違いは、憎みあい、争うことの理由にはならないということを歌っている。スペシャルズは黒人の立場で歌っていたが、フィンガーズは白人の側から歌っている。

 

5は1st albumに収録された曲。Love & Peaceをスローガンに理想主義的な生き方を求めていたフラワー世代への嫌悪観が込められたタイトル。60年代後半のヒッピー文化の楽観主義と70年代半ばのイギリスの厳しい現実の対比を表現しようと思ったとジョーストラマーは語っている。

 

6は言わずと知れたジョンレノンの名曲。国もなく、宗教の違いによる争いのない世界。私有財産もなく、すべてを分け合っている世界、それは理想かもしれない。でも、グローバリストたちが口にするそれは、ジョンレノンが想像した世界とはかけ離れている。東京オリンピックでこの曲が使われた時、何か強烈にうさん臭いものを感じた。小さな政府、自由に労働力と資本が流通する世の中、つまりは無国籍企業にとってのone world one marketそんなもののために音楽を利用しないで欲しい。

 

7はU2の3rdアルバムに収録された曲。1972年アイルランドの都市ロンドンデリーで起きた「血の日曜日事件」をテーマにした曲。U2のメンバーは、「アイルランド側の、反イギリス活動を擁護するものではなく、武力行為の全てを非難した曲である」と、ライブやインタビューで明言している(当時のライブ映像を見ると、この曲が始まると必ずボノは非暴力を示す”白旗”を掲げている)。

 

8はThe Boomのというより宮沢和史の代表曲。何も説明する必要はないでしょう。

 

9はyoutubeの動画を埋め込んでおくので、とにかく聴いてみて欲しい。そして感じて欲しい。

 

10はテレビⅭⅯ等で、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。ルーツレゲエの代表曲。ボブマーリーの曲はレベルミュージック色が濃いものが多いが、この曲はピースフルで穏やかな仕上がりになっている。でも、この曲の奥底には深い悲しみと平和への祈りと、激しい怒りの感情が流れていることを感じ取ってほしい。

 

 

【二千光年の憂鬱 Back Number】

Chapter5 Good Bye Cruel World

Chapter4 Anarchy in JP/

Chapter3 Roll over nihilism/

Chapter2 Fight or Flight

Chapter1 Remix the world

 

 

 

  • 倉田慎一

    編集的先達:笠井叡。Don't stop dance! 進めなくてもその場でステップは踏める。自らの言葉通り、[離]の火元を第一季から担い続け、親指フラッシュな即応指南やZEST溢れる言霊で多くの学衆を焚き付けてきた。松岡校長から閃恋五院方師を拝命。

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