花伝式部抄::第8段:: 半開きの「わたし」

2023/07/04(火)11:47
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花伝式部抄_08

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 木工職人を志す者は、なぜか処女作に「椅子」を作りたがるのだそうです。「誰も見たことのない椅子を作って他者とは違う自分を表現したい、つまり作品発表がしたいんです」と、かつて私の番組でお話しを伺った家具作家さんが、駆け出しの頃の蒼き日々を振り返りながら語ってくれました。

 「でもね、そもそもそれが椅子に見えなければ誰もそこに腰を下ろさないし、椅子に見えるようなありとあらゆる造形はとっくに誰かが作っていることに、作りながら気づいていくんですよ」。

 

 この含蓄に富んだ話は、学習の深化プロセスの体験談として受容すれば「守破離」のテーマへ展開し、物事の認知システムの事例として捉えれば「3A」にも接続できるでしょう。あるいは、創作作業の裏話として困難や闘争のシーンを切り出して物語ることもできそうです。

 この煮ても焼いても美味しい素材を、本稿では「インタースコア」の文脈で拝借しようとしています。表現者はいかにして世界の中にありながら世界に属さないでいられるか、という話です。

 

 誰であれ一度でも「作品」を発信したことがあれば経験することですが、表現者はとかく「他者とは違う自分」を追い求め、尚且つその「個性的なわたし」を他者から好意的に評価してもらいたいと願うものです。こうした気持ちは誰しもが抱く当たり前の欲求でしょう。
 ではそのとき、表現者たる「わたし」にまなざしを向ける「他者」は、果たしてどのように「個性的なわたし」を受容するのでしょうか。もしもそこで「わたし」と他者との間で何かが響きあうとすれば、それは互いに何らかの共通項を見出すからこそであって、つまり情報交換の回路は個性ではなく普遍性によって結ばれる筈です。だとすれば私たちは「個性」ということを考えるとき、それが誰かに固有かつ属人的な特徴として捉えるのではなく、相互作用のなかで表出する動的かつ属地的な現象と見るべきなのかも知れません。

 

 思えば「他者」という言葉の成り立ちは象徴的です。一語のなかで、その者は自分とは「他」の存在なのだと分け隔てておきながら、どちらも同じ「者」なのだと相似関係を認めているわけです。このことは「わたし」と「他者」が対比構造のなかでそれぞれの存在を意味づけていることを示していると言えるでしょう。互いに際立ちながら引き立て合い、共存するために界を分つ、というデュアルでアンビバレントな関係性のことです。

 

対比のレッスン

たとえば「まる」という言葉をパソコンで変換すると「○」という記号が現れる。では、この「○」と対比構造を描く記号を探してみよう。

 

 ==回答例==

 【 ○ ◎ 】

 似ている要素が多い分、対比が小さい。

似ている点(地)‥‥ 丸いカタチ、白い色…
似てない点(図)‥‥ 一重と二重…

 【 ○ ● 】

 似た者同士だが、対比は大きい。

似ている点(地)‥‥ 丸い輪郭…
似てない点(図)‥‥ 白と黒、空と有… 

 【 ○  ▽ 】

 相似も相違も、複数の関係線が見出せる。

似ている点(地)‥‥ 白い色、一筆書きできる…
似てない点(図)‥‥ 丸と角、静と動、無限と有限…

 【 ○  X 】

 図形としては相似点が薄く、極端な対比が目立つ。

似ている点(地)‥‥ 記号どうし
似てない点(図)‥‥ 「まる」と「ばつ」、 一筆書き可/不可

 【 ○  ☆ 】

 図形が含意する「概念」まで掘り下げると、多層な対角線が描ける。

似ている点(地)‥‥ 白い色、一筆書きできる…
似てない点(図)‥‥ 丸と角、太陽(または月)と星、 「日の丸」と「星条旗」…

 【 ○  ※ 】

 相似関係は薄いが、たとえば「日の丸」と「米」など読み替えることで複層的な対比関係を模索できる。

似ている点(地)‥‥ 記号どうし
似てない点(図)‥‥ 単純と複雑、一筆書き可/不可

 【 ○  丸 】

 異なる階層において互いを説明しあっているが、相似点を見つけなければ対比構造が成立しない。

似ている点(地)‥‥
似てない点(図)‥‥ 記号と文字、 一筆書き可/不可

 

 「対比」という関係性は、客観的に見れば「秩序」や「調和」の対極にあって、環境や相手との「同調」「同化」を拒むものどうしが同席することによって生じます。

 と、そこで説明を終えれば「うん、そうだよね」というだけの話なのですが、ここで問いたいのは、「わたし」が対比構造の当事者になったとき「わたし」はどう振る舞えば良いのか? ということです。

 

 人は、はじめから好んで自らを不調和の環境に置いたりはしません。意を決して出向くか、予期せずに投げ出されるか、のいずれかでしょう。どちらの場合も難題ですが、とりわけ当事者として問題を拗らせがちなのは後者の場合だろうと思います。一般的には「自我」や「自意識」の相剋として扱われるテーマです。

 

 この問題について、編集学校は「編集的自己」という在り方を示して、そこへ向かうプロセスとして「たくさんのわたし」という方法を実践することを促しています。

 とはいえ常に「編集的なわたし」を保つことは簡単ではありません。私たちは日常のなかで、外からは同調圧力に曝され、内からは自我の免疫反応に衝き上げられていますから、協調しようとすれば「わたし」を失い、抗おうとすれば頑なにならざるを得ないのです。


 呼吸することを24時間意識し続けることができないように、「わたし」の輪郭が閉じたり開いたりする様を観察し続ける必要はないのですが、閉じ具合や開き具合に関心を持つことは、閉じきらずに開き、開ききらずに閉じるホドを掴むためには欠かせない意識づけだと思います。

 

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花伝式部抄(39花篇)

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 ::第5段::「わからない」のグラデーション
 ::第6段:: ネガティブケイパビリティのための編集工学的アプローチ
 ::第7段:: 美意識としての編集的世界観
 ::第8段:: 半開きの「わたし」
 ::第9段::「わたし」をめぐる冒険

スコアリング篇)>>

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