【田中優子の学長通信】No.07 問→感→応→答→返・その2

2025/07/01(火)08:00 img
img MASTedit

 前回は、「問→感→応→答→返」について私が実際に学衆に伝えたことを、書きました。しかしそれだけでは、このことを伝えきれていません。松岡正剛校長は、さらに大事なことを言ったからです。それは次のことです。
 

 イシス編集学校は「感」に溺れない。溺れさせない。なぜなら「感」はともすると、言葉を狭くするから。狭くなると、実に世間的なつまらない表現にとどまるか、あるいは、熱狂的信仰に向かってしまう。
 おおまかに言えば、そういうことです。

 

 そこで既存のものに当てはまらない、「学衆が感に応じる場」を、学校の中に作ったのです。それが約十人の学衆と一人の師範代で作る教室という「場」です。それが、それぞれどこにもない奇妙な名前をつけている理由なのです。

 

 応じ方にも、いくつもの選択肢があります。その多様な選択肢から学衆は、自分の編集が向かいたい方向を定め、そこに向かい、さしかかることで「答」を作ってみます。

 

 終わりのない「問」→「感」→「応」→「答」→「返」の過程にこそ、編集があります。問いに正解はないこと、「応」や「答」や「返」を通して相互編集していくことが人間関係そのものであること、その関係の中にしか「自分」は存在しないことを、ひとつひとつの稽古の中で実感する、まさに身体的にも理解することが、稽古なのです。

 

 では学衆の「答」に師範代が「返」を返すと、それで終わりなのかといえば、そうではありません。松岡正剛校長は、そのあとを重要視していました。「世の中に返す、世界に返す」ということです。

 

 「問答の間に感応が入った問感応答全体が、返を持ちながら変じていく」こと。それが「地球とか生命に対する返済」であり、「そこにコンティンジェンシー(偶発的な出来事)というものを最終的には込めたいと思っています」と語っていました。それこそが「理解の秘密を秘めている」とも、語っています。

 

 「普遍的合理性、あるいはロジカル・シンキング」は、確かに「問」と「答」にある。しかし、そこに「感」と「応」をもう一度持ち込むと、「問」と「答」が変わります。「感」は、そこに形を与えることができれば、アートやロックや自由なポップスにもなる可能性を秘めてはいるけれど、外の何かに依存すれば、宗教的熱狂になったり自己発見になったりスピリチュアルになる、と、その危険性も指摘していました。

 

 「世界に返す」には感を土台にしながら、そこを抜け出してそれを外から眺め、自己を超えることです。私はそこにこそ「編集的自由」がある、と考えています。

 

イシス編集学校

学長 田中優子

 

 

田中優子の学長通信

 No.07 問→感→応→答→返・その2(2025/07/01)

 No.06 問→感→応→答→返・その1(2025/06/01)

 No.05 「編集」をもっと外へ(2025/05/01)

 No.04 相互編集の必要性(2025/04/01)

 No.03 イシス編集学校の活気(2025/03/01)

 No.02 花伝敢談儀と新たな出発(2025/02/01)

 No.01 新年のご挨拶(2025/01/01)

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

写真:後藤由加里

  • 田中優子

    イシス編集学校学長
    法政大学社会学部教授、学部長、法政大学総長を歴任。『江戸の想像力』(ちくま文庫)、『江戸百夢』(朝日新聞社、ちくま文庫)、松岡正剛との共著『日本問答』『江戸問答』など著書多数。2024年秋『昭和問答』が刊行予定。松岡正剛と35年来の交流があり、自らイシス編集学校の[守][破][離][ISIS花伝所]を修了。 [AIDA]ボードメンバー。2024年からISIS co-missionに就任。

  • 【田中優子の学長通信】No.06 問→感→応→答→返・その1

    イシス編集学校では、「お題」と「回答」つまり「問」と「答」のあいだに、極めて重要なプロセスがあります。それが「問」→「感」→「応」→「答」→「返」というプロセス・メソッドです。    指南中の学衆からある問い […]

  • 【田中優子の学長通信】No.05 「編集」をもっと外へ

    今年2025年3月30日(日)、私は日本女子大で「平和有志の会」主催の講演をおこないました。法政大学総長時代に面識のあった篠原聡子学長からのお声がけでした。ついでに言えば、篠原学長は建築家で、松岡校長と深い縁のあった隈 […]

  • 【田中優子の学長通信】No.04 相互編集の必要性

    イシス編集学校についての本の執筆を続けています。学衆、師範代、師範経験者の言葉に助けていただきながらの執筆ですが、その途中で、出版元になる予定の編集者から、熱意ある檄が飛ばされました。次のようなものです。 インターネッ […]

  • 【田中優子の学長通信】No.03 イシス編集学校の活気

    師範代開始が迫っている私に、「2日に1題、8-10名の学衆さんに指南!」という檄(げき=ふれぶみ)が入ってきました。決して脅しでも励ましでもなく、これは「守」の師範代の「現実」です。  イシス編集学校はこの極めて高い集 […]

  • 【田中優子の学長通信】No.02 花伝敢談儀と新たな出発

    1月25日、今年も花伝敢談儀の日がやってきました。  「今年も」なんて書きましたが、実は私は初めて出席したのです。今まで諸コースを巡り、最後に残っていた「花伝所」をようやく受講し、終えました。    敢談とは […]

コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。