先人の見立て力にひれ伏すしかないと思って来た「墨流し」。戯れに、Chatさんに「蝶のスミナガシを別の見立てで改名するにはどんな名前がいいですか?」と尋ねてみて、瞬時に現れた名答に打ち拉がれております。
日本人で知らない人はいない、伝承物語「浦島太郎」。
ここには日本の物語の方法と謎が眠っている。
〜♫♪〜
本楼スタジオでの明日に迫ったエディットツアースペシャルバージョンのリハーサル中。
「おー、よくやってるね」
松岡校長がふっと舞い降りる。
本楼スタジオはさながら方法の竜宮城だ。

「乙姫様の御馳走」「鯛や比目魚の舞踊」「土産に貰った玉手箱」の三位一体よろしく、3つの問いを手渡す。
日本各地には小さな「物語編集座」のようなセンターや仕組みがある。
そこでは必ず物語編集が起こっていて、説教節になったり、絵とき物語になったりする。
しかし、外からアーカイブした中国の伝承や伝説、説話、漢詩、葉限のシンデレラや浦島のようなものが入ってきて、日本化されているのはどういうことか?
柳田國男や折口信夫も(石田英一郎の千夜千冊でも言及の)関敬吾などたくさんいるが、今、このことを三浦さんのように面白く語れる先生は限られます。
千夜千冊でいえば『日本架空伝承人名事典』。
例えばバーチャルキャラクターがハンドルネームを持っている。それってどういうことか、ということです。
三浦先生ならそういったこともよくご存知でしょう。
浦島にもそうだけど、基層となるOSにあたるモノやルールがある。ルル三条ですね。
三浦先生はそこをよく掴まれておられる方。
例えば、桃太郎やかぐや姫では、どうしてお父さんやお母さんじゃなく、お爺さんととお婆さんなのか?
そうした不思議がたくさんある。
それを作るのが「ナラティブエディティング」にあって、それはいったい何か、ということです。
〜♫♪〜
イシスの竜宮城の「乙姫」こと、鈴木花絵師範代のもてなしやしつらえにも注目のスペシャルバージョン。
日本の物語が舞い、方法が踊る宴まで、残り約16時間。
亀を助ける必要はありません。
どなたでも、こちらから方法の竜宮城へどうぞ^^
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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コメント
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2025-10-20
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2025-10-15
『キャラ者』は、”マンガ家”だった頃の江口寿史の、(まとまった作品としては)ほぼ最後の仕事。恐るべきクオリティの高さで、この才能が封印されてしまったのはもったいない。
「来年こそはマンガ家に戻ります!」と言ったのは、2016年の本の帯(『江口寿史KING OF POP SideB』)。そろそろ「来年」が来てもいいだろう。
2025-10-14
ホオズキカメムシにとってのホオズキは美味しいジュースが吸える楽園であり、ホオズキにとってのホオズキカメムシは血を横取りする敵対者。生きものたちは自他の実体など与り知らず、意味の世界で共鳴し続けている。