発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

蔵から出すから蔵出し隊。何を蔵出しするかと言えば、イシス編集学校に大量に眠る松岡正剛校長の講演だ。
隊の結成を呼び掛けた福田恵美師範代は、足を運んだ講演でメモをとり、まとめて共有するのを習慣としていた。何度か繰り返すうちに、校長の話は、名詞をメモにとっても、あとで意味が通じないことに気がついた。動詞がなければ文章にできない。さりとて、講演を聞きながら、リアルタイムで文章を編集するには限界がある。そこで、吉村林頭に校長の講演音源を借りて、文字起ししたいと志願した。こうして蔵出し隊の活動がはじまった。
校長講演の文字起こし、やりたい人はたくさんいるはず。福田は、蔵出し隊が編集学校を突破した人のその後のニューロールになりうると考えた。[離]や師範代への道はハードルが高く、編集学校に関わり続けられない人のために、蔵出しはちょうどいい負荷で、極上の編集知に触れ続けることができる。
[守]や[破]の修了後、生活の中でじわりじわり学んだ編集術の意義に気づき始めていく。その場にいて、一度聞いたはずの校長校話の文字起しを蔵出ししてみて、あらためて肚落ちし、編集学校を再受講した人もいた。福田師範代の行動原理は、目の前にあるものをつかまえること。自分を媒介にして隣同士のものをくっつけること。いいなと思うものは何かがつながっているということが、本業とNPO活動を並走してきた福田の実感だ。
フライング気味とも言えるほどの行動力が真骨頂と林頭も評価する福田恵美の身軽さの秘密。それは、自分ですべてやらなきゃいけないとは思っていないということだ。「種蒔きはするけれど、わたし自身も育っていった先が楽しみなんです」。蔵出し隊の果実は近々、遊刊エディストでお披露目される予定だ。福田は林頭に聞いた5秒後にはさっそく隊員たちに報告している。
福田恵美は「やりたい!」という好奇心の種を撒いた苗代に、周りをどんどん巻き込んでいく。今、東京と長野の飯綱で二拠点生活を送り、りんごをつかったブランドの開発と販路開拓に取り組んでいる。
福田師範代の最新の活動はこちらから。
「ハネダシりんごを美味しいお菓子に! りんご農家とパティシエの交流会を開催」
林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
透き通っているのに底の見えない碧い湖みたいだ―30[守]の感門之盟ではじめて会った松岡正剛の瞳は、ユングの元型にいう「オールド・ワイズ・マン」そのものだった。幼いころに見た印象のままに「ポム爺さんみたい」と矢萩師範代と […]
スペインにも苗代がある。日本という方法がどんな航路を辿ってそこで息づいているのかー三陸の港から物語をはじめたい。 わたしが住んでいる町は、縄文時代の遺跡からもマグロの骨が出土する、日本一マグロ漁師の多い […]
東京を離れるまで、桜と言えばソメイヨシノだと思っていた。山桜に江戸彼岸桜、枝垂桜に八重桜、それぞれのうつくしさがあることは地方に住むようになって知った。小ぶりでかわいらしい熊谷桜もそのなかのひとつ。早咲きであることから […]
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はじめてみちのくの夫の実家に行った帰り道、「どこか行きたいところある?」と聞かれてリクエストしたのは、遠野の近くにある続石だった。「よし、東北を探究するぞ!」と思って、そのころ何度もページをめくったのは、『荒俣宏・高橋 […]
コメント
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2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。