【物語編集力シリーズ】「関係の自由」に物語で向かう

2020/08/31(月)10:07
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物語は自由になる方法だ。といっても、物語を書いてスッキリする、というものではもちろんない。

イシス編集学校では物語編集技法を学ぶ機会がある。ひとつは応用コース[破]。物語母型にそって映画を翻案し、新たな物語を創出する。[破]で学んだ物語編集技法をさらに深めるのが[遊]物語講座だ。4ヶ月で短編・中編5本の物語を創作する。

 

物語編集は関係性を動かす強力な方法だと語るのは、物語講座第二綴を受講し、現在、作家活動を行っている服部奈々子さんだ。

 

服部さんは2018年に芳納珪の名で書いた『天ノ狗(アメノキツネ)』(光文社文庫)でデビュー。Webで多数の作品を発表しつつ、版画作家としても活動されるマルチプレイヤーでもある。

 

 

―――服部さんのデビュー作『天ノ狗』を拝読しました。ストーリーは和風ファンタジーで、キャラクターはライトノベルなのに、日本書紀引用から物語がはじまるんですよね。

 

ありがとうございます。私、伝奇が好きなんですよ。すべてが創作より、何かしら歴史的に存在したものを入れると物語に厚みが出るので、今回は日本書紀を使いました。

 

―――伝奇好きなんですか。そして、つくられる版画はファンタジーですね。

 

ははは。そうですね。

 

―――小説家と版画家という組み合わせは珍しいと思うのですが。

 

そうかもしれませんね。私は、武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科で、商業空間のデザインを学んでたんです。でもアート作品をつくりたいと思いまして、版画サークルで木版画を始めたのが版画のはじまりです。

 

―――そうすると、物語を書き始めたのは編集学校以降でしょうか。

 

実は小学校のころから書いていたんです。友達と交換日記ならぬ交換小説ですね。相手が書いた物語の続きを書いていくというものです。その後は中学、高校でもマンガを書いていました。

 

―――小学生から書いていたのですか。では、物語を書くことはお手のものですね。

 

いやー、小学生の頃などは好きなアニメの真似でした。[破]で物語の構造を理解して書いてみて、方法で書けるのだと思いました。その流れで『天ノ狗』の原型を書いていましたが、出版した内容とはだいぶ違います。出版のきっかけはWebで作品を公開したからだったのですが、公開までにかなりの推敲をしました。

 

―――どのような推敲をしたのですか。

 

はじめて書いたときは物語の型のひとつの「往還構造」だけで書いていました。主人公が行って帰ってくるだけです。大きなドラマがなかったので、対立構造を加えたり、ナレーターを変えたりしました。

今、ハッキリ言えるのは、型を使わないと物語にならないんです。だから型を身体の中に取り入れておくことが大事になります。そういう意味では物語講座で型に則って書く訓練ができました。

 

―――物語講座は、[破]とは違うアプローチで物語を書きますよね。新聞記事から落語、ミステリー、幼な心の物語を書き分けたり、イメージ写真から物語を描いたり、歴史をもとに物語を仕上げたりします。

 

そうですね。トリガーショット(イメージ写真から物語を創作)はアイデアを出すのに役立っています。今、Webで公開している『赤ワシ探偵シリーズ』は、写真ではなく私がつくった版画をもとに物語を書きました。版画の場面は物語のどこにしようかな、と書いていったんです。物語講座を経験したからこそ、できる方法かもしれません。

『赤ワシ探偵シリーズ』はじまりの版画

 

 

―――物語講座での経験が今の執筆にもつながるんですね! 私も物語講座を受講して、こんなに楽しい講座があったのか、と思ったのですが、服部さんはどうでしたか?

 

確かに楽しかったです。まあ、型を使わなくてはいけないとか、決められた文字数で物語を完成させないといけない大変さはありましたね。こんな文字数でミステリーを書かないといけないの? って思いました(笑)。

 

―――中編も短編も書きますものね。

 

そうですね。次々に物語を書くのは大変ですが、本当に面白かったです。最後までちゃんと書ききったという達成感もありますし、書ききったからこそ物語の書き方もわかりました。

それに世界をつくれるのが特に楽しいです。頭の中にあるモヤモヤしたものが現実として存在し、キャラクターの人生をつくれるのは他にはない喜びです。

私はキャラクターの行動原理を考えて書くのですが、そうするとキャラクターが生きて話し出してきて、自ずと物語が動くんです。

 

―――キャラクターも服部さんがつくり出した情報の一つですよね。どうやったらキャラクターが自発的に動き出すのでしょう。

 

キャラクターが動くようにするのは最初は難しかったです。この場面でこう盛り上がりたいと考えると、キャラクターがその通りに動いてくれないんです。彼らが発する会話もうまくいかない。強引になるんです。

 

―――どうやって乗り越えたのですか。

 

キャラクターの物語における役割、例えば主人公なのか悪役なのか師なのかを考えたり、生きてきた背景を考えたり、時おり私がやりたかったことをプラスしましたね。変身したかったので、それをこのキャラクターに付けようって。

それをもとに、このキャラクターはこの場面ならこう言うな、と考えるとうまくいきました。

 

―――なるほど。ストーリーだけでなく、ストーリーとキャラクターの両方が連動しているんですね。

 

それに、物語をつくるのはお弁当づくりとも言えます。

 

―――お弁当ですか!?

 

版画ならこの紙の中に世界をつくります。お弁当みたいに色とかバランスをみていくんです。物語もそうですね。字数や物語構造の中で、キャラクターやシーンを配置します。そうすると、それぞれのキャラクターが個性的に動き出すんです。その配置がとても難しくもありましたが、磨いていきたいですね。

 

―――今後のお弁当づくりは、どうされるんでしょうか。

 

はい。これからも版画もつくるし、物語も書いていきます。絵を描く人の文章は、その人の絵が思い浮かぶんです。この後は、作家であり画家である仲間と本を出す予定です。
ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンなどといった、小説と挿絵の両方を手がけているたくさんの先達に背中を押してもらいながら創作活動を続けていきます。

 

デビュー作の『天ノ狗』と服部さん

 

 

服部さんは物語を紡ぐとき、ワールドモデル(世界)とキャラクターをつくりこみ、シーンにのせると物語が動き出すと語った。キャラクターが自律的に関係を変えていったのだ。

 

自分と誰か、自分と会社、自分と世界……。自分と「何か」のアイダには何らかの関係性がある。そういった自分と世界の関係性を動かすことのできる方法が「物語編集」にはある。

物語講座第十三綴は2020年10月に開講する。詳しくはこちらから

 

  • 衣笠純子

    編集的先達:モーリス・ラヴェル。劇団四季元団員で何を歌ってもミュージカルになる特技の持ち主。折れない編集メンタルと無尽蔵の編集体力、編集工学への使命感の三位一体を備える。オリエンタルな魅力で、なぜかイタリア人に愛される、らしい。

コメント

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川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。