永井豪といえば希代の多作家として知られています。
あれほど量産していたにもかかわらず、締め切りはきっちり守り、売れっ子マンガ家にありがちな修羅場エピソードなど、ほとんどなかったとか。
永井豪の量産スタイルは、完全に師匠の石森章太郎譲りで、とにかく原稿を描くスピードが異様に早かったのですが、描くもの描くもの大ヒットの連発で、デビュー後、あっという間に各誌から引っ張りだこになりました。
それを片っ端から受けていていくうちに、仕事は雪だるま式に増えていき、1970年頃には月に11作品、締め切りは月に30回以上という、とんでもない状況に。そして1972年には当時の五大少年週刊誌(「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」「チャンピオン」「キング」)全てに、同時に連載を持つという大記録を達成します(さすがに羽生名人の全タイトル制覇と同じく一瞬のことでしたが)。
とにかく週刊連載というのは極めて過酷なもので、作家は、ほとんど非人間的な生活を強いられるわけですが、それを同時に何本も持ちながら、そのあい間に単発の仕事を片付けていたのですから凄まじいものです(日本のマンガの生産システムは、手塚・石森・永井みたいなバケモノを基準に構築されてしまったため、凡人がどれだけ苦労することになったことやら)。
とにかく若き日の永井豪は絶好調で、どれもこれも超絶級の傑作揃い。『デビルマン』(講談社)というマンガ史上屈指の大傑作を執筆しつつあった同じ時期に『マジンガーZ』(集英社)や『あばしり一家』(秋田書店)のような作品を掛け持ちしていたのですから、あっけにとられる他ありません。
また短編ホラーの手腕にも定評があり、「ススムちゃん大ショック」「くずれる」「霧の扉」など、傑作は枚挙にいとまありません。
(永井豪『あばしり一家』②秋田書店/『ススムちゃん大ショック』嶋中書店)
そんな永井豪の何を模写をすればいいのか悩むところですが、今回もまた個人的趣味で『魔王ダンテ』(朝日ソノラマ)を選んでみました。永井豪のシリアス路線の作品としては最初期のもので、単に『デビルマン』のプロトタイプという言葉には収まらない独自の魅力を放っています。
永井豪「魔王ダンテ」模写
(出典:永井豪『魔王ダンテ』①朝日ソノラマ)
いつもは裏から透かしてデッサンをチェックしたりするのですが、今回に限ってそれはなし!【デッサンの狂い】から生れる迫力こそ永井豪の肝なので、ここはできるだけ勢いを殺さないようにしました。
初期の永井豪の絵は、藤子不二雄Aと並ぶ、私の好みのストライクゾーンで、こういう【プリミティブな絵 】のもつ野蛮なパワーは、いつまで見ていても飽きませんね。
ものすごく贅沢なコマの使い方をしていますが、たまたまこのページだけという訳ではなく、全体的にこのマンガは【大ゴマ】使用が続きます。はじめての本格的ストーリーマンガということで、それまでのチマチマしたコマ割りから解放されて、思う存分のびのびと描いていますね。そしてGペンが割れるんじゃないかというほどの【ぶっとい線】。後年になると、どんどん線が細くなりますが、初期の頃のこうした太い線は、永井豪の大きな魅力の一つです。
それにしても、この『魔王ダンテ』という作品、完成度も相当なもので、雑誌の休刊で中絶しなければ、かなりの大傑作になっていたのではないかと思います。物語冒頭で、いきなり主人公が巨大怪獣に喰い殺されてしまった……と思ったら、その巨大怪獣が主人公に身体を乗っ取られてしまう…という展開は、最近大ヒットした”あの”作品に似ていますね。
■いきなりフルパワー
永井豪は初速からフルスロットルの作家でした。
デビュー直後に連載を始めた『ハレンチ学園』(集英社)が大ヒットし、後発の少年誌として部数で苦戦していた「少年ジャンプ」を軌道に乗せることに成功します。当時「ジャンプ」誌上のライバルだった本宮ひろ志によると「『少年ジャンプ』の人気投票は、千票中八百を『ハレンチ学園』が独占、残り二百票をその他のマンガが争っていた。」(本宮ひろ志『天然まんが家』集英社)と言いますから、その人気のすさまじさが窺われます。
少年マンガにエロチシズムを持ち込むことに関しても永井豪は全く躊躇がなく、『ハレンチ学園』では、スカートめくりや、女の子のヌードを出したりしたため、婦人団体を中心に大問題となり、不買運動にまで発展していきました。テレビの討論番組に引っ張り出された永井先生は、ボコボコの総攻撃を浴びたとか。
また、ある日、大御所赤塚不二夫先生に呼びつけられ、こんなドギツいギャグを描いてはいけないと、こんこんと説教されたというエピソードもあります<1>。
そんなことがあっても永井先生は全くへこたれない。それどころか作風はどんどんエスカレートしていきました。『ハレンチ学園』も、スカートめくりどころにとどまらず、どんどん過激化し、ついには問題の「ハレンチ大戦争の巻」に突入していきます。これは現代の我々の目から見ても鼻白んでしまうような凄まじいストーリーで、教育委員会と学園の生徒たちが、それぞれ武装して戦いあい、イキドマリやアユちゃんをはじめとする主要キャラが次々に斬殺されていくという、とんでもない展開でした。『ハレンチ学園』は連載半ばにして主要キャラのほとんどが全滅し、主人公の山岸くんと十兵衛以外、ほぼ総入れ替えとなったのです。
(永井豪『ハレンチ学園』①集英社)
こんな破天荒なストーリーが次から次へと浮かんでくる永井豪の頭の中ってどうなってるんでしょう。
永井先生は事前に作品の構想を、いっさい練らないといいます。毎週毎週、真っ白な原稿用紙を前にして、そのとき降りてきたものを、ひたすらブチまけるのだとか。
たとえば『デビルマン』の超重要キャラ、飛鳥了は、もともと主人公の不動明がデビルマンになるきっかけ作りのために登場させて、あっさり殺すつもりだったそうです。それが描いていくうちにどんどん変化して、最終的にあんな風になってしまったのですね(どんな風かは是非作品に当たってみてください)。
『手天童子』(講談社)も、冒頭に出てくる「鬼の口の中で泣いている赤ん坊」のビジュアルだけがあって、あとは出たとこ勝負の行き当たりばったりで描いていたとか。その結果、物語は現代から遥かな未来へ、そしてまた平安時代へとめまぐるしく変転し、異次元空間や宇宙が舞台になったかと思えば、淫祠邪教の暗躍する伝奇ロマンになったり、学園アクションものになったり、もうメチャクチャ。ここまで広げてしまった大風呂敷をいったいどうやって畳むのかと思っていたら、最後には目の覚めるようなアクロバティックな畳み方で、みごとに伏線を回収しきってみせました。
この二作は、例外的な成功作でしたが、そのほかは、だいたい途中で物語が空中分解してしまい、放り投げるような形で終わっているものが多いですね。まあ、面白ければなんでもいいんですが。
(永井豪『手天童子』①講談社)
■時代を画する作品群
そして、それが単に鬼面人を驚かすような奇抜なアイディアにとどまらず、以後の創作世界に多大な影響を及ぼすアーキタイプとなるような骨太さを持っているところが永井豪の凄いところです。
巨大ロボット第一号は、横山光輝『鉄人28号』ですが、搭乗型ロボットを発明したのは永井豪です<2>。これが、どれほどとてつもないアイディアだったかは贅言を要しないでしょう。今日のジャパニーズアニメの隆盛は、まさにこの永井豪の大発明に始まるのです。
『マジンガーZ』は、同時期に描かれていた『デビルマン』に比べると、ずいぶん肩の力を抜いて描いているように見えますが、内容のぶっ飛び具合は相変わらずで、冒頭いきなり主人公が乗り込んだロボットが暴走して、徹底的に街を破壊しまくり、東京を火の海にしてしまいます。
ロボットの暴走、機械なのに血が出る(実はガソリン)などのアイディアは、のちの「新世紀エヴァンゲリオン」にも踏襲されていますね。庵野秀明監督によると目の縁の赤い隈取りもマジンガーからの引用で、とにかくマジンガーZとデビルマンからは多大な影響を受けていると公言しています。
『デビルマン』の凄さについては、すでに語り尽くされた感がありますが、やはりあらためて強調しておかなくてはならないでしょう。未読の方は、いっさいの予備知識なく、いきなり読み始められることをお勧めいたします。ススムちゃんではありませんが「大ショック」を受けられることは間違いないでしょう<3>。
(永井豪『マジンガーZ』②講談社/『デビルマン』①講談社)
とにかく永井豪という人は、世の中の常識やタブーなどというものを顧慮するという感覚がいっさいなく、徹底的に行き切るところまで行き切っちゃう人なのですが、この奔流のようなイマジネーションは、いったいどこから来るのでしょう。彼の中には、特段、タブーを破ってマンガ表現を改革してやろうなどという肩肘張ったところはなく、とにかく好きなように描いていたら、こうなっちゃったという天然さにあふれています。まさにマンガの神に愛された無自覚な天才と言っていいでしょう。
■オーバーランで走り抜ける
ところで、芸人には二つのタイプがいます。一つは、年齢を重ねるにつれ芸格が増していくタイプ。もう一つは、持って生まれた才能を蕩尽しつくし、年齢とともにそれが低減していくタイプ。後者の典型がタモリで、この人は密室芸人として活躍していた頃が全盛期で、その後、テレビに出るようになった頃には、すでに盛りを過ぎていました。そして、ご本人の美意識もあったのでしょうが、努力してなんとかしようという姿勢はいっさい見せず、力の抜けた司会ぶりで、かえって人気が出たものです。
永井豪は、どうやらタモリタイプだったようです。
デビュー以来、鬼神に魅入られていたかのように、恐るべき勢いで傑作を乱発していた永井豪は、いつの頃からか憑き物が落ちてしまい、凡庸な作家に変貌してしいきました。70年代初期の神がかった作品群と、80年代以降の作品を読み比べてみると「これは本当に同一人物が描いているのか」と頭がクラクラします。
その後も永井豪先生は、内容はともかく(失礼)、旺盛な執筆意欲はいまだに衰えることなく、古希を過ぎた現在も多忙に活躍されているようです。どうも永井豪という人は、マンガを描くこと自体が好きで好きでたまらないようですね。天才だった頃も、天才でなくなった(?)今も、かわらぬハイペースで作品を執筆し続けています。
◆◇◆永井豪のhoriスコア◆◇◆
【デッサンの狂い】64hori
これでは、まだまだ狂い方が足りません。元の絵は、もっと迫力があった。
【プリミティブな絵 】91hori
初期の太くてシンプルな線は、独特の土俗的な迫力があって、ある面では『デビルマン』を超えていますね。永井豪は、この後どんどん劇画の影響を受けて斜線なども多用するようになります。
【大ゴマ】73hori
『魔王ダンテ』からはじまる永井豪の大ゴマ使用が、マンガ界に与えた影響は大きいと夏目房之介氏は分析しています。「この時代にコマが大型化し、(中略)単行本の巻数がべらぼうに増加した現象の、重要な推進者のひとりは疑いなく永井豪だったと私は思っている。」(夏目房之介『マンガの力』晶文社p231)
【ぶっとい線】82hori
ああいう太い線って、どうやって描けばいいのか、よくわかりません。このコマの二コマ目はコンテみたいなもので描いているように見えますね。今回は筆ペンでやってみましたが、どうも違う気がする。
●◎●ホリエの蛇足●◎●
<1>赤塚不二夫に呼びつけられ
問題になったのはデビュー間もない初期作「じん太郎三度笠」でした。おじいさんを間違えて殺しちゃったり、ヤクザの死体で生け花をしたりといったブラックなギャグが赤塚先生の逆鱗に触れたのです。
ちなみに「赤塚不二夫が一度、会いたいと言ってるよ」と永井豪を誘ったのは、「赤塚不二夫②」でも紹介した壁村耐三氏だったとか。壁村氏もまさか赤塚先生がそんな話をするとは思わず、あとで二人きりになってから打倒赤塚を誓い合ったといいます。
しかし赤塚が内心、永井豪に脅威を覚えていたのは確かで、その後、赤塚マンガの中にも、自身が否定したはずの死体を弄ぶギャグなどが出てくるようになります。
<2>搭乗型ロボット第一号
あるとき交通渋滞に巻き込まれた永井先生は「このクルマの群れを、またぎこせたらいいのにな~」と空想にふけっているうちに、搭乗型ロボットのアイディアを思いついたといいます。
作家の筒井康隆は、フツーの人はくだらないことを考えると「ああ、くだらない」と思って考えるのをやめてしまうが、むしろくだらないことが頭をよぎった時こそ、とことん考え続けるべきだと言っていました。渋滞に巻き込まれたときに「これを、またぎこせたらなあ」と思ったことのある人は他にもいたかもしれません。しかし、そこからあの、とてつもない作品を生み出すことができたのは永井豪ただ一人だったのです。
<3>『デビルマン』
古典的名作であると同時に熱狂的ファンも多いため、これまで何度も刊行され、10数種類を超えるバージョンがあります。永井先生は、どうも自分の才能を理解していないらしく、若い頃の絵は「単に下手」だと思っているらしい。『デビルマン』は版を変えて刊行されるたびに、その時点のタッチで加筆修正されたりして、原作の味わいをズタズタにしてしまっているものも少なくありません。というわけで『デビルマン』は、どの版で読んでもいいという訳にはいかないのが悩ましいところ。
現時点で最も新しい『デビルマン-THE FIRST』(小学館)は雑誌掲載時を再現したオリジナル版を謳っています(細かく見ると雑誌掲載どおりではありませんが)。値段が2,700円(税抜)×全三巻と、ちょっとお高めなのが玉にキズですがフトコロに余裕のある方は是非どうぞ。KCスペシャル版(講談社)は、四六判で全三巻と、読むには手ごろで、いい感じ。私が初めて手にした単行本ですが悪くないと思います。KCDX完全復刻版(講談社)は初単行本版のリバイバルで、これも悪くないでしょう。
2012年の改訂版(講談社)や、2017年の画業50周年版(小学館)はアウトです。一番手を出してはいけないのが1987年の豪華愛蔵版(講談社)と、それを流用した講談社漫画文庫版(1997年版と2009年の新装版)です。絶対やってはいけない改変が施されています。「デビルマン」マニアがコレクターアイテムとして持っておく分にはいいでしょうが、初見でこれを読んだ人は不幸です。
アイキャッチ画像:永井豪『鬼と悪魔のFANTASY』講談社
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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