LEGEND50も、ついに40番の大台にやって参りました。
まあ、たいがい大物は片付けたかな…と、思っていたら、さにあらず、超ビッグな人が残っていたではないですか。
高橋留美子です。
この人がマンガ界に果たした役割がとてつもなく大きいことは誰しも異論のないところでしょう。
しかし、それがいったいなんだったのか、ということになると、これがなかなか一言では言いにくいのですね。前回のさいとう・たかを、前々回の大友克洋ほどにスパッとした言葉では言い表せないのです。しかし、高橋留美子が何かを大きく変えてしまったことは、はっきりしています。
■知られざるニューウェーブ
70年代後半から80年代にかけて、マンガ界には、かなり大掛かりな世代交代が起こっています(以前LEGEND32で取り上げた平田弘史が仕事を失っていくのが、まさにこの時期でした)
その要因の一翼を担っていたのは、間違いなく高橋留美子でしょう。
登場したときには誰も気がついていませんでしたが、高橋留美子はまさに、湖に放たれた一匹のブラックバスだったのです。高橋ミームが、それまでわが世の春を謳歌していた劇画勢力を徐々に侵蝕していき、気がついた時には、生態系が、すっかり様変わりしていました。
70年代の後半期、劇画を脅かす勢力が二つありました。ひとつは辺境の地に勃興し、ひたひたと押し寄せ始めてきた「ニューウェーブ」勢力、そしてもう一つは大手中央に突如降臨した高橋留美子でした。
当時、高橋留美子をニューウェーブと言う人は誰一人いませんでしたが、実はマンガ界最大のニューウェーブは、高橋留美子でした。あまりにもど真ん中のビッグウェーブだったため、単なる「大ヒット作家」の括りになっていたのですが…。
今回は、マンガ史に大きな転換をもたらしつつも、その意義が、いまだ十分に定位されているとは言いがたい、高橋留美子という作家の秘密を探るべく、その最初の大ヒット作である、この作品から模写してみることにします。
高橋留美子「うる星やつら」模写
(出典:高橋留美子『うる星やつら』32小学館)
Gペンの特性を遺憾なく発揮した、入り抜きのしっかり入った美しい線です。Gペンを使う作家の中でも、これはピカイチではないでしょうか。
スタイル画のように、コマをぶち抜いて、人物の全身を大きく出す手法は、少女マンガでよく使われていたものです(水野英子の回の模写参照)。これを高橋は、比較的初期の頃から多用していますね。キャラの魅力で押していく「うる星」の特徴がよく表れています。
主人公の諸星くんは、【80年代ファッション】でばっちり決めてます。肩幅の広い逆三角形で足が長く、スタイルがいいですね。大きなどんぐりまなこに騙されてしまいますが、顔の造作もかなりハンサムです。
ラムは、ギリシア彫刻のように均整の取れたプロポーション。眼に特徴がありますね。【黒目を小さく】描くのがポイントです。さらに右目、すなわちこちら側から見て遠い方の目を、ぎゅっと細く潰すことで【立体感】が出て猫っぽさが際立ちます。
身体表現に関しては、きちんとデッサンを取って、骨格や筋肉のつき方などもしっかりしています。特に腕や肘、足などの微妙なラインの出し方など上手いですよね。服の皺のより方なども、マンガ的省略を効かせつつ、とてもスマートです。
こうした池上遼一譲りともいえる、均整の取れたリアルで美しいラインの取り方は、のちの作家たちに多大な影響を与えました。マンガっぽいのに記号っぽくはないのですね。これがキャラの実在感や、内からにじみ出る何とも言えぬ魅力の源泉となっています。
それにしても、あたるくんは、このマンガの中で何回、真剣白刃取りをしてきたのでしょう。一回でも失敗したら即死です(笑)。
ところで、この回は「タコを呼ぶ笛」というタイトルがついています。タコを招き寄せるタコ笛なるものを紛失した面堂終太郎が大騒ぎするという話です。
「タコ笛」という、このネタ一本だけで、テンポのいい抱腹絶倒のストーリーを作り上げているのですね。
たとえば、このページの後が、どうなっていくかというと、
面堂「こんな笛を見かけなかったか?」
諸星「お前はいちいち刀を抜かんと、人にものを尋ねられんのか!!」
面堂「え~い、今は一刻を争う時なのだっ!!」
と続きます。
こういう絶妙の掛け合いが、全編を通して続くのですね。
こうした高橋の話芸のうまさに関しては、まったく他の追随を許さないものがあります。M-1決勝ネタ並みの純度の高いショートコントを毎週生み出し続けていた高橋の技量には脱帽するほかありません。
■ライト感覚とリアリズム
さて、冒頭にも触れたように、70年代から80年代にかけてのマンガ界は、何度目かの激動の時代を迎えていました。
この時期、ニューウェーブ勢と高橋留美子という両サイドからの挟撃に遭い、劇画勢力は徐々に追いやられ、気がつくとさいとう・たかを以外ほぼ全滅という惨状となってしまいます。あれほど市場を隅から隅まで席巻していた劇画が、見る影もないほどに追い落とされてしまったのです。
しかし、高橋留美子は、決して外宇宙から飛来した異生物ではありませんでした。デビュー間もない頃の初期の絵柄を見ればわかるとおり、高橋留美子のペンタッチには、あきらかに劇画からの影響の跡が窺われます。
とりわけ十代の頃より高橋が愛読し、その書を求めてクズ屋めぐりまでしていたという池上遼一からの影響は大きいでしょう<1>。
流麗なタッチで、ノワールな世界を生きる魅惑的な男たちを描き、アジアを中心に圧倒的な人気を誇る池上遼一は、もともと、さいとう・たかをなどを愛読し、自身も貸本劇画でデビューしたような人です。初期の頃は「ガロ」を中心に活動していましたが、やがてその圧倒的な画力を武器に、原作付きマンガで一時代を築くことになりました。
(池上遼一『HEAT』④、『strain』②小学館)
その池上とコンビを組んで、数々の名作を生み出したのが、巨匠・小池一夫です。
小池は、さいとう・プロの脚本家出身で、彼が入社してから、さいとう作品は格段に面白くなったと言われたほどの実力者でした。のちに、いろいろ確執があって、さいとう・プロを離れ<2>、白土三平の赤目プロ出身の小島剛夕と組んだ「子連れ狼」で大ヒットを飛ばします。
その小池が1977年に創設した「劇画村塾」<3>は、当時としては大変珍しいマンガの実作を教える学校だったのですが、高橋留美子は、その第一期生でした。
特に、その実力を小池から買われた高橋は、特別研修生として指導を受けるほどになります。小池は、早くから高橋の才能を見抜き、「こいつは絶対にプロとして成功する」と目をかけていたようです。
高橋留美子は、小池一夫メソッドを叩き込まれた、バリバリの劇画者だったのですね。
高橋の出現が劇画にとって脅威だったのは、彼女の作風が劇画と地続きだったからです。
そもそも、劇画全盛期においても、ギャグマンガはいつも元気でした。劇画とは別のジャンルとして、ちゃんと棲み分けができていたのです。
しかし、高橋の持ち込んだライト感覚のギャグコメディーは、ギャグの衣装を被りながらも、その内実は、それまでの劇画の受容層であった青年読者たちの中に眠っていた何かを、みごとに掴むものだったのです。
劇画的な面影も残る等身大の人間たちが、SF的なファンタジー空間の中でドメスティックなドタバタ劇を演じる。これが当時、思春期を迎えつつあった60年前後生まれの若者たちの心を捕らえたのでした。
のちに第一次おたく世代と呼ばれる彼らは、生まれた時からマンガやアニメを見て育ってきた最初の世代です。コミケやSFのムーブメントを引き起こしつつあった彼らにとって、「るーみっくわーるど」は、まさに桃源郷だったのです。
■「少年サンデー」という雑誌
高橋留美子がデビューしたちょうどその頃、ミステリ業界では、赤川次郎がデビューしています。赤川次郎の青春ミステリは、松本清張以来、社会派一辺倒となっていた国産ミステリの世界に新風を吹き込むことになりました。
海の向こうでは「ロッキー」「スター・ウォーズ」の大ヒットにより、アメリカン・ニューシネマの流れに終止符が打たれ、不振続きだったハリウッド映画が息を吹き返していた頃です。
そうした中、少年マンガの世界では、シリアスで陰鬱なムードで物語を進めていくノリが徐々に影を潜めていきます。
そんな時代の空気をいち早く察知していたのが「少年サンデー」でした。
部数的には、『Dr.スランプ』や『キン肉マン』を擁する「少年ジャンプ」に及ばなかったものの、1980年代前半は、ある意味で「少年サンデーの時代」だったと言っていいでしょう。
高橋留美子、あだち充という、今につづく両巨頭を、この時期に迎えた「サンデー」は、80年代ならではの都会的ソフィスティケーションをいち早く確立し、他誌を圧倒する独特のカラーを放っていました。(このへんの空気感は、島本和彦『アオイホノオ』で是非とも味わってほしいところです)
個人的な話になりますが、十代の多感な時期に読みふけった『サンデーまんがカレッジ』のシリーズなど思い出深いものがあります。当時の「サンデー」執筆陣を総動員したマンガ指南書だったのですが、ここに出てくる作家や作品が皆、輝いて見えたものでした。
『サンデーまんがカレッジ』三部作と『めざせ!!まんが家』
また、竹宮惠子の回(ホリエの蛇足<1>)にも書いたことですが、同じサンデー系の『めざせ!!まんが家』(小学館)を読んで、「Gペンを使わなきゃいけないのか!」と思い知らされたのも、この頃です。トキワ荘グループの信奉者だった私は、最初からずっと「ペン先はカブラペンに決まっている」と思い込んでいたのですが(藤子不二雄Aの回で披露したラクガキも多分カブラペン)、あっさりGペンに宗旨替えです。
この『めざせ!!まんが家』という本では、数ページにわたって高橋留美子「うる星やつら」の原稿が、下描きから完成原稿になっていく過程が紹介されているのですが、それはもう穴のあくほど見つめていたものです。
鉛筆のやわらかな下描きの上に、Gペンの滑らかなタッチが入ったラムのカットなんて、この上ない艶めかしさで、これを見てGペン派にあっさり転んでしまうのも無理からぬところでした。
しかし、高橋の、この天才的タッチは、最初から確立していたものではありません。
デビュー当時の高橋留美子の絵は、お世辞にも上手いとは言えませんでした。
最近のマンガ家さんて、みんな最初から絵がうまいですよね。特に少年マンガの分野では、絵のクオリティの足切りラインがかなり厳しくなっている気がします。
しかし、一昔前にはよくあったことですが、画力的に未熟なままデビューして、連載のあいだに上手くなっていくマンガ家なんて珍しくありませんでした。読者もいっしょになって成長を見守るような楽しさがありましたね。高橋留美子も連載しながら上手くなっていったタイプです。
『うる星やつら』の表紙を見るだけでもわかりますが、1、2巻の頃なんて、なんともヨレヨレな絵で味がありますね(笑)。
それが10巻を超えるころには、もう完全にプロの絵になっています。
下の画像をちょっと拡大してみてください。こちらに上げた2巻と11巻の間には二年弱の開きしかないのですが、めきめき画力が向上しているのがわかります。
やっぱり週刊連載ってスゴイですね。
(高橋留美子『うる星やつら』②⑪小学館)
■世界定めとキャラクター
高橋留美子の魅力は、絵の魅力にとどまるものではありません。
「うる星やつら」の世界観は、まるでお茶の間に座るメトロン星人のように、SF的なガジェットと、ドメスティックな日常が融合する面白さがありました。それが、得も言われぬ独特の「るーみっくわーるど」を形作っているのですね。
高橋留美子作品の持つ「世界」の魅力って何なのでしょう。
マンガはキャラで動いていく、という法則は、日本の連載マンガを強く特徴づける一点ですが、それをより前景化し、徹底化させたのが高橋留美子でした。
高橋キャラの稀有なところは、性格も行動も極度に誇張されたコメディリリーフでありながら、生身の人間のリアリティを強く感じさせる点にあります。一人一人に確実に魂が入っているのですね。それが、高橋作品に独特の味わい、この世の法則とは別種のリアリティを持った一つの「世界」を形作って見せているのでしょう。
バーチャル世界に、読者が身体ごと持っていかれてしまうような強い吸引力をもった「るーみっくわーるど」。これをメタ的に批評し解釈し直したのが押井守の「ビューティフル・ドリーマー」でした。押井は、これを中井久夫のいうアンテ・フェストゥム的狂騒ととらえて見せたのです。
(「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」東宝)
■そういえば女性作家
そんなキャラの魅力にあふれた「友引」ワールドの中でも、突出した存在感を示していたのが、男装女子の藤波竜之介でした。最近開設された高橋先生の公式ブログでも吐露されていましたが、実はこのキャラ、ネタ切れの極みの時期に、苦し紛れに登場させたキャラだったとか。(ネタ切れと言われても読者の側からは絶頂期のようにしか見えないのですが…)
1982年というこの時期、単行本でいうと15巻目で初登場する藤波竜之介は、その特異なキャラ設定によって読者をすっかり魅了してしまいます。
高橋先生も、このキャラをよほど気に入っていたようで、この第15巻などほぼ全編、藤波竜之介巻なのですが、その後も、ときどきマイブームが来るのか、何度か竜之介シーズンが訪れます。全編を通して一番多く使われたキャラじゃないでしょうか。
“時空を超えた冒険”、“種族を超えた愛”など、高橋留美子作品には、「越境」というモチーフがしばしば登場することが指摘されていますが、とりわけ「性差の越境」に対するこだわりが、高橋留美子の面白いところです。
こういったところは、『どろろ』『リボンの騎士』『MW』などで、このモチーフにこだわり続けた手塚治虫の正当な嫡子という感じがします。この側面は、のちに「らんま1/2」で、より深く展開されることになりました。
これは、今ならジェンダー問題を先取りした、といった評価の仕方もできるでしょうが、高橋留美子の創作スタイルには「女性ならでは」といった肩肘張ったところがなく、ただ描きたいことを描きたいように描いているだけ、といったナチュラルさがあります。高校時代に「少年マガジン」に投稿したこともあるという高橋留美子は、最初から一貫して少年マンガ志向でした。
高橋がデビューした70年代当時は、少年マンガ誌に女性作家が執筆することなど、きわめて異例なことで、萩尾望都、竹宮惠子、里中満智子といった、すでに実績を積んだ作家が鳴り物入りで登場する、といったケースが、まれにある程度でした。
そんな中、高橋留美子の「少年サンデー」への登場は、極めてナチュラルなものでした。ことさら女性性を顕彰されることもなく、ごく自然に読者たちは、それを受け入れたのです。
今日でも、女性作家が少年誌でデビューする際には、男性名をペンネームにするなど、女性性を隠そうとする傾向があることを思えば、高橋留美子の異例さは際立っています。
■上手すぎるのが難
二十歳そこそこでデビューし、いきなり『うる星やつら』『めぞん一刻』の同時連載。そして、その両方がメガヒットという離れ業を成し遂げた高橋留美子ですが、この両作品が、ほぼ同時期に完結したとき、彼女は、まだ三十になるかならぬかの若さでした。
気力体力ともに充実し、技術的なレベルの進歩とも相まって、この時期の高橋留美子は、まさに「この頃の能、盛りの極めなり」(世阿弥『花伝書』)という絶頂期を迎えています。
つづく『らんま1/2』の頃の、コマ運びのテンポなんて、もうホントに素晴らしく、脂の乗り切った名人の落語を聞いているような感覚を覚えます。
しかし、ここからが読者のわがままなところなんですが、あまりにも出来がいいと、ちょっと物足りなくなってしまうのですね。
私自身、『らんま1/2』については、『うる星やつら』ほど、のめり込むこともなく、たしか20巻目あたりで、なんとなく離れてしまったように記憶します。その後、『犬夜叉』が始まってからも、だいぶ長い間読んでいませんでした。
高橋作品では『らんま1/2』が一番好き、という人や、やっぱり『犬夜叉』が一番、という人の声もよく聞きますので、これは多分に、世代的なものもあるかもしれません。
しかし、私には、『うる星やつら』にだけ感じられる特別なオーラ、みたいなものがあるんですね。あれはいったい何だったんでしょう。
『うる星やつら』は、連載が終わって何年か経った頃に、一度、新装版が出ています。そのとき描き下ろされた表紙を見ると、ラムの顔が、すっかり乱馬みたいになっちゃってるんですね。高橋留美子の中から、友引ワールドが、すでに遠いところに去っていったのかと思うと、一抹の寂しさを覚えたものです。
(高橋留美子『うる星やつら』⑰『うる星やつらワイド版』①小学館)
現役時代のラムと、のちに描かれたラム
しかし高橋留美子にしてみれば、そんなオールドファンの嘆きなど、はた迷惑な話でしかなかったでしょう。彼女の前進は決して止まることはありませんでした。
■高橋留美子、いまだ驀進中
『うる星』『めぞん』終了後、彼女はすぐさま、次の連載に取り掛かります。『らんま1/2』『1ポンドの福音』でした。
第二の『めぞん一刻』となりそうな予感をはらんでいた『1ポンドの福音』は、意外なことに2巻ほど出たところで中断してしまいます(その後、長い時間をかけて全4巻で完結)。内容的には全く申し分ないもので、なぜ中絶してしまったのかはよくわかりません。
いずれにせよ、以後、「スピリッツ」連載のラインはなくなってしまい、彼女の連載は、もっぱら「サンデー」一本となりました。爾来、高橋留美子は、ひたすら少年マンガ街道を驀進していくことになります。
その後は、『犬夜叉』『境界のRINNE』と、だいたい一作につき10年前後、巻数にして40~50巻といったペースで作品を発表していくことになります。
一作一作が長大なものになり、その分、作品数が少なくなってしまうのが玉にキズですが、それも人気ゆえのことなのでしょう。
連載を始めるたびに、それまでの作風にはなかった新しい傾向にチャレンジしていくことにも感心しますが、それが確実にヒットしてしまうのも凄いところです。
2018年に完結した『境界のRINNE』を受けて、2019年より新しく始まった『MAO』は、現在も連載中ですが、これまでにないダークな作風に挑んでおり、高橋留美子の新境地を切り開きそうな予感がします。
昔からインタビューなどで「嫌いなものは地震」と答えていた高橋先生ですが、この作品は大正時代を舞台にしており、関東大震災を真正面から捉えたものとなりました。
かつて当サイトのコラムで金宗代代将が指摘されていたように、意外にマンガで触れられることの少なかった関東大震災のテーマに、また新たな一ページが加わることになりそうです。
◆◇◆高橋留美子のhoriスコア◆◇◆
【80年代ファッション】72hori
小脇に抱えた「CITY BOY」という雑誌もいいですね。
【黒目が小さい】76hori
初期の高橋キャラは総じて黒目が小さい。のちに、だんだん大きくなっていきます。
【立体感】80hori
球面の原理で奥側の眼を細くして立体感を出す描き方は、手塚~石森~吾妻系をベースに、さらに高橋が独自にカスタマイズしたものです。
<1>池上遼一
LEGEND04近藤ようこと、高橋留美子は、実は高校の同級生でした。ともに池上遼一好きということで意気投合し、二人で漫画研究会を設立したそうです。
近藤先生に「ガロ」を教えたのが高橋先生で、高橋先生に筒井康隆を教えたのが近藤先生だったとか。
のちに「ガロ」で活躍する近藤ようこ、そして筒井風スラップスティックSFでデビューした高橋留美子、ということを考えると、何か運命的なものを感じます。
<2>さいとう・プロを離れ
さいとう・たかをは、自身のプロダクションが、それぞれのチーフごとに核分裂を起こし、自己増殖していくことを夢見ていたが、結局それは果たせなかった、という話は前回書いたとおりです。しかし実際、さいとう・プロは、数多くの有能な作家を輩出しているのですね。やはり、才能のある人は、さっさと親方のもとを飛び出してしまうのが実情のようです。
<3>劇画村塾
LEGEND06山本直樹も劇画村塾の出身です。山本先生は第三期生でした。ちなみに三期生の入塾試験は七倍ぐらいあったそうです。
アイキャッチ画像:高橋留美子『うる星やつら』⑭小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
山田風太郎『人間臨終図巻』をふと手に取ってみる。 「八十歳で死んだ人々」のところを覗いてみると、釈迦、プラトン、世阿弥にカント・・・と、なかなかに強力なラインナップである。 ついに、この並びの末尾にあの人が列聖される […]
文章が書けなかった私◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:堀江純一
デジタルネイティブの対義語をネットで検索してみると、「デジタルイミグラント」とか言うらしい。なるほど現地人(ネイティブ)に対する、移民(イミグラント)というわけか。 私は、学生時代から就職してしばらくするまで、ネット […]
桜――あまりにもベタな美しさ◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:堀江純一
今回のお題は「桜」である。 そこで、まず考えたのは、例によって「マンガに出てくる桜って、なんかなかったっけ」だった。(毎回、ネタには苦労しているのだ) しかし、真っ先に浮かんでくるのは、マンガよりも、むしろ映画やア […]
【追悼】鳥山明先生「マンガのスコア」増補版・画力スカウター無限大!
突然の訃報に驚きを禁じ得ません。 この方がマンガ界に及ぼした影響の大きさについては、どれだけ強調してもしすぎることはないでしょう。 七十年代末に突如として、これまでの日本マンガには全く見られなかった超絶的な画力とセンスで […]
今月のお題は「彼岸」である。 うっ…「彼岸」なのか…。 ハッキリ言って苦手分野である。そもそも彼岸なんてあるのだろうか。 「死ねば死にきり。自然は水際立っている。」(高村光太郎) という感覚の方が私にはしっくりく […]