前にもちょっと申し上げたことがありますが、LEGEND50のリストって私が作ったわけではないのですね。ですから、実を言うと私自身、あんまり得意でない人がいないでもありませんでした。
とはいえ、さすがにレジェンドな人たちだけあって、全然知らんとか、聞いたこともない、という人はいなかった…
…と言いたいところですが、実は一人だけいたんですね。
今を去ること二年前、当連載が始まる前の打合せのときのことです。
「実は私、このLEGEND50のリストの中で、一人だけ知らない人がいるんですけど…」
と白状すると、吉村堅樹、金宗代両編集長から「え!?誰誰誰?」と聞かれ、
「鳩山郁子……、て人なんですが……」
と答えたところ、
「え~~、知らないんですか~~」と驚かれてしまいました。
「そ…、そんなに有名な人なんですか」
「超有名っスよ~」と両氏。
「たとえば、どんな作品が…」と聞いてみると、
たちどころに金さんの口から
「うーん、『スパングル』とか『カストラチュラ』とか、あと『寝台鳩舎』とかですかね」
と、スラスラっとタイトルが出てくるではありませんか(すかさず、メモったのは言うまでもありません)。
まあ、そんなこともあって、この人のことを後回しにしているうちに、今日に至ってしまった次第です。
というわけで、もうやるしかありません(笑)。
なにかの縁で、はからずも自分がふだん手にしないようなものを手にする経験というのはチャンス。こういう時こそ、アクセルを踏み込んでダイブしていくと思わぬ収穫があるものです。
金さんがタイトルを挙げた上記の三作のほか、比較的直近の作品である『ゆきしろ、ばらべに』『羽ばたき』を入手し、取るものも取りあえず読んでみました。今回、ほぼ初めてこの作家を読んだことになります<1>。
今回、読んだのはこれだけ
とっても耽美です。
たしかに、よほどのことがない限り、自ら積極的に手に取るタイプの作品ではありませんでした。
私の手持ちのマップの中に、むりやりこれを位置づけるなら、ニューウェーブ系の後継者ということになるでしょうか。その作品の多くが「二人の少年」というモチーフで描かれており、BL成分が感じられないでもないですが、ジャンルとしてのBL物とは、ちょっと違うようです。
今回は、この中から『寝台鳩舎』のラスト近くの一ページを模写してみましょう。
鳩山郁子「寝台鳩舎」模写
(出典:鳩山郁子『寝台鳩舎』太田出版)
作画にはけっこう時間がかかりました。
密度の高さも原因の一つですが、それよりもペンを走らせる速度が【かなり遅い】のですね。すばやくサッと引いた線ではなく、ガリガリと刻んでいくようなゆっくりした、引っかかりのある線です。
丸ペンだと思いますが、消え入りそうなほど【細い線】ですね。こんな弱々しい線で大丈夫なのか、と不安になりながら、少しずつ線を重ねて行くにつれ、量感のある形が出来上がってくるのには感動を覚えました。
この期に及んで思うのですが、模写って本当に驚きの連続です。毎回、いろんな描き方に出会うのですが、全部正解なんですね。
影のつけ方がちょっと特徴的です。【均等に並んだ細い線】を重ねながら銅版画のようなタッチを再現しています。
陰影がしっかりついているので、描き込みのわりに、すっきりした見やすい絵になっていると思います。
■閉ざされた世界
さて、今回描いたこのページは、いったい何のシーンかと言いますと、一見すると少年が空中を舞っているように見えますが、実はこの少年、擬人化された鳩なんですね。
擬人化犬や擬人化猫ならわかりますが、擬人化バトは、さすがに斬新です。この鳩たちには皆、名前がついていて、なおかつ美少年。なんだかちょっと倒錯的です。
今回手にした本のうち、『カストラチュラ』と『寝台鳩舎』は、発表時期に20年近い開きがあるのですが、ともに、まとまった長編作品ということもあり、著者の嗜好の一面が観察されやすいものです。
(鳩山郁子『カストラチュラ』青林工藝舎『寝台鳩舎』太田出版)
どちらも史実をブリコラージュした架空の歴史を舞台に独自な世界を創っています。
『カストラチュラ』では、中国の纏足の風習、宦官、ヨーロッパのカストラート(去勢歌手)などのエッセンスをごた混ぜにして「架空の中国に似た国で、かつて革命前の王朝に纏足をした去勢歌手たちがいて、そしてその生き残りが今も生きている」といった世界。
『寝台鳩舎』では、軍事通信に伝書鳩を利用する”軍用鳩”の話をもとに、「近代の塹壕戦において、移動する前線に伴って通信拠点も移動する”移動鳩”なるものが存在した」という設定の話です(”移動鳩”はさすがに創作だろうと思いつつ、念のため検索してみたら、なんと旧日本軍で実際に研究されていたそうです。)。
そして、こうした異常な世界設計のもとで、過酷な試練に巻き込まれる少年たちの物語が始まるのです。
これらの作品において、運命に対する少年たちの態度は、非常に受動的で、痛々しいほどに従順です。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』のテイストをちょっと連想させられました。
作中の彼ら(そして読者である我々にも)にとって、全体像のよく見えない不条理な状況があり、そこから逃れるすべはない。意味不明な状況に放り込まれ、まるで家畜のように、従容としてそれを受け入れるしかない(『カストラチュラ』では、どうやらカニバリズムのようなことが起こっているようなのですが、その全体像は最後までよくわかりません)。
そして彼らには皆、なんらかの名状しがたいオブセッションがあり、つねに何かに急き立てられるように生きています。
一方、『スパングル』に納められている短篇群に眼を転じてみると、長編作に見られるような切迫感は希薄で、耽美で美しい世界が展開されています。
「アックス」94号(特集鳩山郁子)の対談記事によると、
「私の中で両極端なものが好きで、例えば美しい透明感のあるものをずっと描いていたら、その反動で凄くグロテスクで醜いものを描きたくなる。前の2冊(『月にひらく襟』『スパングル』)で涼やかなものをずっと描いていたから自分の中のバッドテイストな澱がどんどん溜まっていって、三作目の『カストラチュラ』でバランスを一気に取ったんだと思います。」
と、ありますので、こうした違いは、意識的に行われているのでしょう。
しかし、そこに流れるテイストは一貫しています。そこはかとなく漂う閉塞感。籠の中の鳥のようなはかなさ。そして本人たちにも、その意味するところが全くわからない、やむにやまれぬ衝動。
欲望とも使命感とも判然としない不思議なモメントに突き動かされ、むやみと必死になって生きている彼らの姿には、妙なリアリティがあります。
■デビューの頃
鳩山郁子は、松本大洋の一つ下の1968年生まれ。LEGEND50の中では最年少です。
近作『ゆきしろ、ばらべに』の巻末に載っている作品リストを見る限り、作品のほとんどが「ガロ」及び、その後継誌の「アックス」に限られているので、あまり世間的に知られていないのも無理もありません。
Wikipediaによると「1987年、「もようのある卵」(ガロ10月号)でデビュー」とのことですが、『ゆきしろ、ばらべに』巻末に収録されている「少年ロンド」というのが「COMIC BOX」1987年8月号初出であり、こちらの方がちょっと早いようです<2>。『スパングル』にも「ガロ」デビュー以前の「COMIC BOX」収録作が二本ほど載っています。
この時点ですでに少年二人の物語であるところが興味深いのですが、イラスト的に簡略化されたタッチであるせいか、軽みが感じられます。
以後は、ほとんど「ガロ」を発表の舞台として作品を描き続けていたようです。デビュー翌年の1988年は、ほぼ毎月のように「ガロ」に作品が載っています。最初の単行本『月にひらく襟』が刊行されたのが1991年。以後、数年おきに作品集が刊行されています。
鳩山郁子には、ある種の人間が持つ原初的な情動というものに自覚的に向き合っている様子が窺えます。
上述の「アックス」の対談記事によると、彼女は稲垣足穂からの影響を自認しているようです。
しかし彼女自身、なぜ足穂なのか、ということがわからなかったそうです。マンガの世界では、すでに足穂的世界を作品に昇華した先人たちがすでにいました。「そこに女性の自分が足穂を手掛かりに作品を描いて発表するなんて」と、ひるむ気持ちがあったようです。
そんなときに茂田真理子の『タルホ/未来派』(河出書房新社)という本を手にし、なにか胸のつかえが取れて「読みながら泣けてきてしまった」といいます。
閉鎖的な純粋培養空間の中で、独自の発酵をとげていく少年たち。
彼らは必死になって生きているのですが、その目指す先は空虚です。カストラートたちの集う庭はもはや幻影の中に消え去ってしまい、軍用鳩の運ぶメッセージは誰がどこへ向かって発信しているのかわかりません。そもそも戦闘が行われているのかどうかすら定かでない。
彼らを取り囲むおぞましいシステムは、実は、もはや制度としての黄昏を迎えており、しだいに「無意味」の方に溶暗していきつつある。
そんな不安定な場所に、意味の体系に組み込むことのできない、内容空疎な衝動だけが蠢いている。まさに虚無への供物ともいうべき何ものにも還元できない得体のしれない欲動。
それが、作家自身の創作に向かう姿勢とダイレクトに呼応しているようにも見えます。
自分はなぜ常に創作し続けるのか。何に向かって何をしようとしているのか。
その答えは、その渦中にいるものにとっては決して手に入れることのできないものです。世界の意味は世界の内部からは指し示すことはできない。ただ、そこに顕現しているだけなのです。
最新作『羽ばたき』(原作:堀辰雄)では、世界の紐帯から切り離された少年が、たった一人、塔の中に閉じこもり、孤独な戦いを繰り広げます。かつて怪盗ジゴマごっこをして遊んでいた友人たちは離れていき、最後の理解者だったはずの親友も、彼のことを理解することはできません。
もはや彼のゲームを共有する者は誰一人いない。それでも進み続けることをやめるわけにはいきません。
自分はいったいどこに向かいつつあるのだろう。
問の答えは、どこまでも合わせ鏡の向こう側に逃げていくのです……。
(鳩山郁子『羽ばたき』KADOKAWA)
※※※※※※※※※※※※※※※※
さて、今回をもちまして、「マンガのスコア」はLEGEND50まで到達いたしました。
ということは最終回?
…ではないのですね。
実は、当連載の元となっている近畿大学ビブリオシアターのLEGEND50は、藤子不二雄を一人とカウントしているのです。
当連載では「さすがに藤子不二雄を一回というわけにはイカンだろう」というわけで二回に分けたので、その結果「LEGEND50は、実はLEGEND51であった!」という事実が、いまや明らかとなったのであります。
というわけで次回こそが、ほんとの最終回です!
はたして、そこで取り上げられる人物とは?
乞うご期待!
◆◇◆鳩山郁子のhoriスコア◆◇◆
【速度がかなり遅い】90hori
せっかちなもので、ついつい滑らかな線を引いてしまい、「ちょっと違った」といった箇所があちこちあります。
【細い線】73hori
切れ切れで引っかかりのある線。真似するのが難しかったです。
【均等に並んだ細い線】68hori
これもちょっとせっかちに描いてしまい、上手く再現できていません。
<1>初めて読んだ
昔、ときどき買っていた「ガロ」をパラパラめくってみると、鳩山さんの作品が載っている号がいくつか見つかりました。読んでみると、たしかに見覚えがあります。知らずに読んでいたみたいです。
<2>「COMIC BOX」掲載作
マンガ誌ではないのでデビュー作にカウントしていなかったのでしょう。「COMIC BOX」は駕籠真太郎のデビュー誌でもあります。お二人とも「とりあえず載せてくれそうな雑誌なので投稿した」というところが同じです。
<3>「ガロ」に不採用
あのいがらしみきおも、デビュー前に「ガロ」に投稿して落ちてます。その落選作は文藝別冊『総特集いがらしみきお』で読むことができるのですが、今のいがらしのタッチからは想像もできない写実的な絵です。
アイキャッチ画像:「アックス」vol.94青林工藝舎
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
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