お正月の『鬼滅の刃』につづき、またまた番外編の登場です。
編集部から依頼を受けた時は「ええ?また記事が増えるの~」と思わないでもなかったのですが、金宗代副編集長の「吉田戦車がレジェンドに入っていないのはちょっと…」という、こだわりの要望に押し切られてしまいました(笑)
たしかに(ほぼ)完璧なリストとも言えるLEGEND50とはいえ、いろいろ言いはじめると「入っていない重要な作家」は出てくるのですが、やっぱり吉田戦車がいないのはおかしい!
というわけで今回は、吉田戦車の超有名な代表作の中のでも、特に超有名な作品を模写してみようと思います。
吉田戦車「伝染るんです。」模写
(出典:吉田戦車『伝染るんです。』①小学館)
吉田戦車といえば「不条理マンガ」の代名詞的存在ですが、まさにそのお手本のような作品です。この【包帯くん】は、作中でも、とりわけ不条理感の強いネタのときに登場するキーパーソンでした。
哲学者の永井均氏は、この作品を【前期ウィトゲンシュタイン】に匹敵するものとして称賛しています。また、同じ第一巻に収録された「犬ひも」の話(単行本p45)も取り上げ、「こういうマンガを描ける人の哲学的感度は、ほとんど筆舌に尽くしがたいものがある。少なくとも日本の哲学者で、この水準の哲学的感度をもった人を、ひとりも知らない。」と手放しの持ち上げようです(『マンガは哲学する』講談社)。下のプロフィール欄にもあるとおり永井均先生に深く私淑する者としては「吉田戦車ってそんなにスゴイの?」と、あらためて見直すきっかけになりました。
『伝染るんです。』は、わざと四コマの定型をハズしたりすることが多いのですが、この作品に関していうと、話法自体はオーソドックスです。三コマ目で、黒板の文字が一瞬消えて空白の間ができ、質問者の男性の肌に脂汗が現れています。緊張感が高まったところで、最後のコマでカメラがぐっと近寄り、キメのセリフ(?)で落としていますね。
この三コマ目のような、奇妙な間の取り方は、いがらし・相原以降の比較的新しいものですが、それでも一応「起承転結」にはなっています。吉田戦車は単なる破調の人ではなく、押さえるべきところは、きっちり押さえていることが分かります。
ところで文字を読むとき、たとえ黙読であっても、なんとなく頭の中で音読したりしてないでしょうか。私はこれを読むとき、どうも無意識に「み」と発音しているようです。完全にどんな平仮名にも似ていない字を作れば、無意識の発音も避けられるかもしれませんが、それでは面白味も半減してしまいますね。その意味で【なんとなく平仮名っぽく】造形しているところも絶妙です。
■不条理マンガブーム
吉田戦車が四コママンガ、ひいてはギャグマンガの世界に起こした革命の凄まじさについては、あらためて言うまでもないでしょう。
江口寿史が「文藝別冊 総特集 吉田戦車」(河出書房新社)に寄せたトリビュートマンガの中で「あの時、吉田戦車の名が世間に与えた斬新ぶりのインパクトは例えば――「新宝島」で登場した手塚治虫の名にも匹敵するのじゃないかしら」と書いています。ギャグ界隈の人たちにとっては、本当にそれぐらいの激震があったのでしょう。
吉田戦車の登場は、目に見える形で、ギャグマンガの世界を一変させてしまいました。
いまだに吉田の功罪のように言われますが、『伝染るんです。』大ヒットのあと大量発生したエピゴーネンによる「不条理マンガ」ブームの到来がありました。一時は猫も杓子も「不条理」一色となり、とうてい作品としての体をなしていない水準のものまでが「不条理」のひと言でまかり通っていたのです。当時は「吉田戦車がギャグマンガを駄目にしてしまったのではないか」という怨嗟の声さえ聞かれました<1>。
しかし結局、吉田フォロワーと言われていた人たちの大部分は淘汰され、その中でも残るべき人は残り、なおかつ結果的にギャグマンガのステージは確実にステップアップしたのです。
(同じ頃、テレビのお笑いの世界でも、松本人志の登場でドラスティックな革命が起こっていました。松本の創始したギャグも、不条理色の強いものでしたが、これらは同時並行的な現象だったと言えるでしょう<2>。)
■サードインパクトは誰なのか
ところで、当連載の「いがらしみきお」の回の時に触れたことをもう一度繰り返しておきますと、戦後の四コママンガ史において最初に大きな革命を起こした人物は、いしいひさいちであり、それに続くセカンドインパクトは、いがらしみきおでした。
ではサードインパクトは誰なのか。
これがちょっと難しいのですね。要するに相原コージをどうするかということです。相原コージの出現は、同時代の者にとって、確かに、いがらしにつぐ次のインパクトが来た、という実感がありました。しかし、今の時点で振り返ってみると、あれはサードインパクトではなかったようにも見えてしまいます(ニアサードインパクト?)。
四コママンガにおいて相原の果たした役割も大きいには違いないのですが、彼にとって不運なことは、その直後に吉田戦車というバケモノが登場してしまったことです。吉田戦車の登場によって「不条理マンガ」というジャンルが確立され、その後多くのフォロワーを生み出すことになりました。結局、いがらしと吉田の間に挟まれた相原コージの位置づけが曖昧なまま今に至っています。彼の評価については、とりあえず後世史家(?)の判断に任せることにいたしましょう。
(相原コージ『コージ苑』①小学館)
いずれにせよ、いしいひさいちに始まる四コママンガのイノベーションは、吉田戦車の登場によって一応の完結を見たと言っていいでしょう。すなわち「吉田戦車=ファイナルインパクト」という図式です。
もちろん、これから先も四コママンガの革命が起こらないとは断言できませんが、それはまた別のフェイズの話となるでしょう。
それにしても、マンガにおけるギャグの革命が「四コマ」という、最もミニマルなジャンルの中で発展したのは興味深い現象です。ある意味で、短詩系文学に独自の発展を見た日本ならではの現象とも言えるでしょう。
■伝説の単行本
吉田戦車のデビュー作が何であったのかは、実はよくわかっていません。編集プロダクションで働いている友人に誘われて、エロ系雑誌にマンガやカットを描いたりするようになって、なんとなくデビュー。
そのうち徐々にメジャー系の雑誌からも、ポツポツと埋め草マンガの依頼が来るようになり、その独特の作風から、一部で注目を集め始めます。
初期の頃の作風は、やはり同じ頃、エロ系雑誌に描いていた森山塔こと山本直樹と、ちょっと似た雰囲気がありますね。どこか投げやりでヤケクソな描きっぷりで、なおかつ有無を言わせぬ面白さがありました。情のこもっていない無茶な話の展開のさせ方など、かなり似た資質を感じさせます。しかし、いつしか全く別の方向に進んでいき、それぞれ独自の世界の「教祖」となりました。
「戦え!軍人くん」などの諸作で、徐々に注目を浴び始めていた吉田戦車は、やがて小学館の名編集者・江上英樹氏の眼鏡にかない、相原コージ「コージ苑」終了後の「スピリッツ」巻末枠という重圧あるポジションで「伝染るんです。」連載をスタートします(ちなみに当時、同じようにマイナー誌で注目され始めていた新進ギャグマンガ家・田中圭一も、連載の最終候補に挙がっていたそうです)。
連載開始当初は、さすがに訳が分からなくて人気もイマイチだったそうですが、かわうそなどのキャラが出始めた頃から急激に人気が沸騰。そして、その勢いを決定づけたのが1990年の単行本第一巻の刊行でした。
いまや伝説となっている装丁家・祖父江慎による意図的乱丁のてんこ盛り。わざと裁断の歪んだ帯に「’75年は吉田のものだ!!」という謎のコピー、ページの重複、空白ページの挿入、傾いて印刷されてるページの混入、中表紙の欠落、奥付の後にまたマンガ、前と後ろで不揃いなカバー折り返し、途中で切れてるあとがきの文章、短すぎて下まで届かないしおり、などなどの、あまりにハメを外し過ぎた無茶苦茶な装丁は、返本の問い合わせが殺到し、書店や流通を大混乱に巻き込んだといいます。
(吉田戦車『伝染るんです。』①小学館)
伝説の第一巻表紙。打合せの席上で、吉田先生が
「たとえばこんな感じで」とか言ってテキトーに
走り描きした紙を素早くひったくった祖父江氏は、
それをそのまま表紙に使ってしまった
こうした一連の騒動が伝説に拍車をかけ『伝染するんです。』は、一躍大ブームを起こすことになります。原宿にはキャラショップ「かわうそ屋」ができるほどの人気を呼びました。
しかし凄かったのは初速だけではありませんでした。連載は89年から94年まで五年の長きに及びましたが、作品のクオリティとテンションは最後まで、いっさい落ちることがなかったのです(それどころか同時期に『いじめてくん』(スコラ)や『火星田マチ子』(スコラ)のような傑作群も他誌で連載していたのですから驚きです)。
さらに『伝染るんです。』の次の連載作『ぷりぷり県』(小学館)では、前作から一転して連作形式のショートギャグに挑戦。あれほどの大ヒット作の後にもかかわらず、肩の力の抜けた面白さは、さすがの貫禄でした。
■まっとうな人
それにしても、あのような不思議な作品を生み出し続ける吉田戦車って、どういう人なのでしょう。
かつては作中に本人キャラを出すことを封印していた(『マンガ家のひみつ』(とり・みき 徳間書店)での発言)吉田先生ですが、いつしかポツリポツリと本人らしいキャラも現れはじめ、子育てマンガ『まんが親』(小学館)で本格解禁。奥さん(伊藤理佐)の描く『おかあさんの扉』(オレンジページ)にもキャラで登場しますが、それらから窺える吉田戦車先生の姿は、とてもまっとうな人、という印象です。
(吉田戦車『マンガ親』②小学館/伊藤理佐『お母さんの扉』⑥オレンジページ)
同じ一人娘を、それぞれの視点から描いていて興味深い
やっぱりこういう人じゃないと、ああいうヘンテコなマンガは描けないんだなと妙に納得します。決して奇をてらってヘンなことをしているんじゃないんですね。いわゆる「不条理マンガ」と言われるものに、えてして見受けられるような、これ見よがしの衒いみたいなのが、吉田戦車には感じられません。わざとらしく作り込んでいる感じがせず、自分のリアルな皮膚感覚を大事にしているという印象があります<3>。
マンガ家は、喫茶店やファミレスでネームを練る人が多いのですが、吉田戦車は、徒歩や自転車などで移動しながらでないとダメなタイプだそうです。散歩しながら、ふと目についた公園の滑り台とか、看板の文字のような、ごく普通のところからネタをもらってくるのですね。頭で考えるより、日常の生活の中からインスピレーションをもらっているわけです。
『伝染るんです。』で登場してきた頃には「こういうタイプの作家は長続きしないだろう」などとも言われていた吉田戦車ですが、その後もコンスタントに活動を続け、様々な作風の作品を繰り出しては注目を集め続けてきました。最初の爆発的ヒットと、「不条理マンガ」の代名詞となったことで、一時的な流行で消費されてしまう危険もあったわけですが、みごとにそれを乗り切ったのです。これだけの持続性を支えているのは、まっとうな感性を軸にした皮膚感覚の豊かさによるものでしょう。
まさに日常の行住坐臥、ひたすら吟じ続ける歌人の趣です。
◆◇◆吉田戦車のhoriスコア◆◇◆
【包帯くん】70hori
単純な顔ですが、目鼻口のバランスが難しいですね。眼の高さは中心線よりやや上ですが、両目の間は離れています。一般的に、両目は適度に離れていた方がカワイクなり、反対に目の位置が高くなるとカワイサは削がれる、という法則があります。包帯くんは、あんまりカワイクもなくブサイクでもない絶妙なラインですね。包帯の面積も絶妙ですし、鼻の横のホクロも絶妙です。
ところで、包帯くんと同系統の陰キャラとしては、こけし頭くんとか、毎回吹き矢で射られる、たけひろくんとかもいましたね。『伝染るんです。』連載当時は作者が顔出ししていなかったため「吉田戦車の実物って、きっと、こけし頭や、たけひろっぽいやつに違いない」などと憶測されていました。
【前期ウィトゲンシュタイン】88hori
そう思って深読みすれば、最後のコマは、言葉とそれが指し示すものの関係が奇妙なかたちで現れていて「示されうるものは語られえない」(『論理哲学論考』4・1212)状態を表しているとも言えます。(「カタルトシメス」(千夜千冊833夜)ですね)
ちなみに永井均は、同じ『伝染るんです。』の「とりかえしのつかないことをするぞ」(同巻51頁)と「ウカウカするぞ」(4巻137頁)のネタを「後期ウィトゲンシュタイン」に分類しています。
【なんとなく平仮名っぽい】64hori
仮にこの作品を外国語に翻訳するなら、それぞれの言語の文字らしさを使って、あらためて作り直さなくてはならないでしょうね。
<1>「一時期量産された四コマものも今では下火だ。主な原因は、いわゆる不条理ものの亜流の亜流のさらに末流が慢性病のようにマンガ界を侵蝕しているからである。不条理ものは、常識を覆す笑いという謳い文句とは裏腹に、安易な思いつきの内輪ネタを自己満足で描いただけのものがほとんどである。これでは力を失ってゆくのは無理もない。編集側も危機感は持っているようで、大人の笑えるマンガ、出でよ、としばしば言われる。」(呉智英「マンガ狂につける薬」(「ダ・ヴィンチ」2000年10月号)より)
<2>松本人志は、最もリスペクトするマンガ家として、いがらしみきおの名を挙げています。松本と吉田の影響関係は、どちらからどちらへ、というより、むしろ同じルーツを持つ兄弟関係と見た方がよさそうですね(ちなみに、どちらも同じ1963年生まれです)。
<3>ご本人もインタビューなどで“常識が大事”という発言を繰り返ししています。
「“不条理”って言われた時もちょっと頭に来たんです。こんなにもわかりやすく描いているのにどこが不条理なんだと。」「表現にしてもあんまり暴れ過ぎるものって続けらんないですよね。普通さとか常識とかノーマルな部分をひとつの武器にしないとダメなのかなって。」(『ふむふむのヒトトキ』一青窈・メディアファクトリー)
「キチガイのフリして大暴れすればいいのかっていうと、違いますしね。バランス感覚ないとマンガ家なんてやっていけませんって。だって、商売ですから。一般社会人と同じですもん。あんまりアナーキーな人は、マンガ家になれないんじゃないでしょうか(笑)。」(『マンガの道』ロッキング・オン)
アイキャッチ画像:吉田戦車『伝染るんです。』①(文庫)小学館
堀江純一
編集的先達:永井均。十離で典離を受賞。近大DONDENでは、徹底した網羅力を活かし、Legendトピアを担当した。かつてマンガ家を目指していたこともある経歴の持主。画力を活かした輪読座の図象では周囲を瞠目させている。
山田風太郎『人間臨終図巻』をふと手に取ってみる。 「八十歳で死んだ人々」のところを覗いてみると、釈迦、プラトン、世阿弥にカント・・・と、なかなかに強力なラインナップである。 ついに、この並びの末尾にあの人が列聖される […]
文章が書けなかった私◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:堀江純一
デジタルネイティブの対義語をネットで検索してみると、「デジタルイミグラント」とか言うらしい。なるほど現地人(ネイティブ)に対する、移民(イミグラント)というわけか。 私は、学生時代から就職してしばらくするまで、ネット […]
桜――あまりにもベタな美しさ◢◤[遊姿綴箋] リレーコラム:堀江純一
今回のお題は「桜」である。 そこで、まず考えたのは、例によって「マンガに出てくる桜って、なんかなかったっけ」だった。(毎回、ネタには苦労しているのだ) しかし、真っ先に浮かんでくるのは、マンガよりも、むしろ映画やア […]
【追悼】鳥山明先生「マンガのスコア」増補版・画力スカウター無限大!
突然の訃報に驚きを禁じ得ません。 この方がマンガ界に及ぼした影響の大きさについては、どれだけ強調してもしすぎることはないでしょう。 七十年代末に突如として、これまでの日本マンガには全く見られなかった超絶的な画力とセンスで […]
今月のお題は「彼岸」である。 うっ…「彼岸」なのか…。 ハッキリ言って苦手分野である。そもそも彼岸なんてあるのだろうか。 「死ねば死にきり。自然は水際立っている。」(高村光太郎) という感覚の方が私にはしっくりく […]