発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

一陽来復。
陰が極まって陽にかえること。冬至を指す。また、冬が去り春が来ること。新年が来ること。転じて、悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かうことを言う。
冬至を超えたクリスマスイブの今日。まばらな雲に遮られた朝陽は、春までの道のりが一様ではないことを示しているようだった。
言霊の八十の衢に夕占問ひ占正に告る妹は相寄らむ
ことたまのやそのちまたにゆふけとひうらまさにのるいもはあひよらむ
柿本朝臣人麻呂
「これは松岡正剛の好きな歌だよ」
輪読衆が『古事記燈大旨』を輪読しているところに、バジラ高橋が言葉を差し込んだ。
いつくもの道にわかれた辻で女が夕占(ゆうけ)をしている。そこに言霊が動いている。
バジラは、万葉集で「言霊」の意味がどのように扱われていたのか、『古事記燈大旨』で紹介しているところを取り上げたのだった。
『古事記燈大旨』(藤原成元 著)は国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能。
事(こと)と、言(こと)。本来、「コト」という響きから両方が想起できていたのが、漢字によって分けられたことで、私たち日本人は「言霊」の意味がわからなくなってしまったのだ。
英語が入り込むことでも、こうしたことが盛んに起こっているという。
ハッピーと幸(さち)では概念が異なる。僕らはいま、言霊論に戻る必要がある。
『古事記燈大旨』では、直語と諷語についても触れられている。諷とは、何かに置き換えてほのめかすこと、そらんじることを言う。直接的な言葉をただ叫んでるだけでは伝わらない。「コト」が動かないのだ。
言葉がそのまま事実であるとは限らない。「あなたなんか大嫌い」という言葉がそのままの意味ばかりではないことを私たちは知っている。言霊を読む力が私たちにはあるはずだとバジラは言う。
愛だ平和だと叫んでいるだけでは足りない。それでは人は救われない。時代を諷して言霊を伝えてほしい。
世界を変える歌の出現を待つ。それはみんなが求めている「コト」でもあるはずだ。そう述べて、今年最後の輪読座を終えたバジラは本楼を去っていった。
輪読座第四輪は2024年1月28日(日)。陰極まって陽にかえる新春を祝いたい。
輪読座「富士谷御杖の言霊を読む」申し込みはこちら
https://es.isis.ne.jp/course/rindokuza
輪読座はアーカイブで第一輪からの視聴が可能です。
阿部幸織
編集的先達:細馬宏通。会社ではちゃんとしすぎと評される労働組合のリーダー。ネットワークを活かし組織のためのエディットツアー も師範として初開催。一方、小学校のころから漫画執筆に没頭し、今でもコマのカケアミを眺めたり、感門のメッセージでは鈴を鳴らしてみたり、不思議な一面もある。
■多読アレゴリアという問い 多読アレゴリアは、編集しながら編集を学ぶプロジェクトだ。 豪徳寺本楼で開催された工冊會(こうさつえ)で、金宗代代将はそう切り出した。プランニング編集術でいうところの […]
千夜千冊は別世への「扉」だと、イシス編集学校の田中優子学長は言う。 【ISIS co-mission INTERVIEW01】田中優子学長―イシス編集学校という「別世」で 【ISIS co-mission […]
第84回感門之盟「25周年 番期同門祭」の1日目。世界読書奥義伝 第16季[離]の退院式が行われた。 [離]では指導陣を「火元組」と呼ぶ。「院」と呼ばれる教室におか […]
【84感門】「松丸本舗」を再生させたブックショップエディター
実験的書店空間「松丸本舗」が、第84回感門之盟「25周年 番期同門祭」で再現された。2日間限定の復活だ。 求龍堂『千夜千冊』全集の各巻のタイトルを大見出しにして作られた「本殿」コーナーの再現。 […]
第83回感門之盟「EDIT TIDE」で第十六綴[物語講座]の授賞式が行われました。落語賞・ミステリー賞・幼な心賞・トリガー賞・編伝賞・冠綴賞の結果を速報でお届けします。 ◇◆窯変三譚◆◇ 物 […]
コメント
1~3件/3件
2025-07-01
発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。
2025-06-30
エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。
2025-06-28
ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。