イシス編集学校には「六十四編集技法」という一覧がある。ここには認識や思考、記憶や表現のしかたなど、私たちが毎日アタマの中で行っている編集方法が網羅されている。それを一つずつ取り上げて、日々の暮らしに落とし込んで紹介したい。
高知で一番の有名人といえば、何をおいても坂本龍馬だろう。空の玄関・高知龍馬空港の到着ロビーでは龍馬のオブジェが出迎える。陸の玄関・高知駅前にも武市半平太、中岡慎太郎とともに龍馬がデーンと待ち構えている。龍馬郵便局に龍馬マラソン、お土産品はキーホルダーもお菓子もTシャツも龍馬のオンパレード。街のあちこちで大きな龍馬や小さな龍馬がお出迎え。露出量は高知出身の女優・広末涼子をはるかに凌ぐ。
中でも抜群の知名度を誇るのが、よさこい節に月の名所と唄われた桂浜に立つ龍馬である。高台に佇み、白波が押し寄せる太平洋の向こうの世界をじっと見つめている(と高知の人は信じている)。その姿は未知への憧れを喚起する。
余談であるが、以前、某ゼネコン勤務の編集学校師範に「桂浜の龍馬像はうちの会社が造ったんですよ」と言われてショックを受けた。龍馬が故人であることは重々承知しているし、銅像はあくまで銅像に過ぎないことも理解している。なのに「龍馬はつくりものだ」と指摘された気がして夢と浪漫が一瞬、吹き飛んだ。
そのくらいこの地では、人々は隣人のように「龍馬さん」に親しんでいる。
さて、下の写真の龍馬さん。なんとマスク姿である。とあるレストランの前にゴロンと横たわっている。龍馬過密地帯の高知でもマスクをしているのはこの龍馬さんだけだろう。
編集で語るならば、64技法【43補加(append):付け加える、補う、訂正する、添付する】の妙である。龍馬にマスクを付け加えただけで、意外性と諧謔が生まれる。
編集学校では情報を動かすことを徹底して稽古する。一つの情報に別の情報を補加すると、あいだに関係が生まれ、ストーリーが動き始める。これは両者の組み合わせが意表をついているほど面白い。
常識で考えると、マスク姿の龍馬さんは「ありそうでない」取り合わせだ。マスクは生きた人間がつけるものだから、病気にならない像には必要ない。大きさも規格外だ。マスクは明治初期に粉塵よけとして使われ始めたそうなので、幕末を生きた龍馬さんは存在すら知らなかっただろう。
だからこそ、マスク一つで常識を翻した龍馬さんは画期的だ。目下、レストランは自粛要請を受け休業中。何もしなければお客さんのいない庭にただ寝ているだけ龍馬さんだが、マスクをつけると今という時代を映す鏡になる。
鏡越しには、マスクを縫ったであろうお店の人の姿が見える。縫いながら交した楽しいおしゃべりも聞こえる気がする。龍馬さんを見て、足をとめ、写真を撮る人たちの姿も見えてくる。間接的ではあるが、人の温もりが伝わってくる。いつかこれが笑い話になった日に談笑する人たちの姿も映っている。
一つ意外なものが補加されるだけで、想像が四方八方に広がる。止まっていた絵が動画に変わる。一つ情報を加えるという簡単な編集が、塞ぎがちな雰囲気を変え、クスっと笑いをもたらす。疲れた心の潤滑油になる。
松岡校長は、『わたしが情報について語るなら』(2009年ポプラ社)の冒頭で「”in・form” とは、『かたち・に・入る』ということ、何かもやもやしたものがかたちをもって『意味』をあらわすということなんです」と記している。
先の見えない不安の中、1日も早く対面で向かい合い、語らいあえる日が来ることを願わない人はいないだろう。マスク姿の龍馬さんは人々の切なる願いと祈りがかたちになったものだと思えてくる。
かたちは触れた人々によって、多様な意味をまといさらに多くの人へと伝わる。混沌とした時代の転換点を颯爽と生ききった龍馬というメディアに意味を託すことでそれがたくさんの人に届くようにと祈る。
ところで、当の龍馬さんはマスク姿をどう思っているのだろう。いち早くブーツを履き、上半身の写真を名刺がわりに配っていたというから新しい物好きに違いない。案外、初めてのマスクを気に入っているかもしれない。
エヘン、エヘン。どうじゃ、わしのマスク姿は。
存外、似合うちゅうろう。
みんなあ、今はわしと一緒にステイホームぜよ。
状況が落ち着いたら会いに来てよ。
逃げも隠れもせんと待ちゆうき。
毎日毎日、様々な情報があちこちから否応なしに入って来る。補加された情報に振り惑わされるのではなく、そのかたちと意味を吟味する。情報を追加することで新たな意味を編み直す。自らが編集する主体でありたい。土佐湾から世界を想った龍馬さんのように。
(design 穂積晴明)
しみずみなこ
編集的先達:宮尾登美子。さわやかな土佐っぽ、男前なロマンチストの花伝師範。ピラティスでインナーマッスルを鍛えたり、一昼夜歩き続ける大会で40キロを踏破したりする身体派でもある。感門司会もつとめた。
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