三浦友和。この名前を聞いて、「いい男だわ」とか「理想の旦那さんね」とか「いい人でマジメ」とか、そんなイメージしか湧かない方は、黙ってこの3本の映画を観ることを強く勧めます。
『松ヶ根乱射事件』(2007年、山下敦弘監督)
『転々』(2007年、三木聡監督)
『葛城事件』(2016年、赤堀雅秋監督)
上から順に、自分の愛人の娘に手を出す下卑た親父。どこまでも胡散臭くてチャラい借金取り。家族を暴力で抑えつけるモラハラ夫。『伊豆の踊子』の爽やかな三浦友和が好きな人なら、間違いなく卒倒するでしょう。銀幕の中に、三浦友和は微塵もいません。ギラギラと剥き出しの人間がいる。だからこそその姿に、観ていて震えるのです。
三浦友和さんにお会いしたのは、主演映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(2011年、蔵方政俊監督)の公開を控えた夏のことでした。徒手空拳でインタビューはできません。6、7本、まとめてDVDを借りて、観てから挑んだのですが、その中にあったのが、『松ヶ根乱射事件』と『転々』でした。今なら言葉にできます。この映画の中から、“たくさんの「わたし」”を見つけたのです。インタビューの当初は、ややぶっきらぼうな印象だったのですが、この2作の名を出すと、顔つきが一変しました。
《そういう(嫌らしい)役を演じる場合は、自分の中にしまい込んでいたこうした資質を引っ張り出して膨らませます。(中略)演じるということは、自分の中の弱さや欠点、嫌な部分をきちんと認めるということかもしれません》(『相性』小学館文庫)
これがその時のインタビューの台詞です。
三浦さんがこう考えるようになったきかっけは、『台風クラブ』(相米慎二監督、1985年)でした。これもクズ教師役です。三浦さんは最初のオファーを激怒して断っています。オレがやる役じゃない! というわけです。どうして出演に至ったかは端折りますが、この映画の撮影を通して、三浦さんは「青春スター」という、たったひとつの「わたし」に縛られていたことに気づきます。実はそれまで、好青年の殻を破れない自分に苛立っていたのでした。
三浦さんは何をしたか。自分の嫌な部分、弱さをひとつずつ並べていきました。反省するためじゃありません。「小狡いわたし」「弱虫のわたし」「こびへつらうわたし」……。過去から現在にいたる、たくさんの「わたし」を取り出して、冷静に眺めてみたのです。すると「まじめなわたし」も、「好青年のわたし」も並列に並んだ。いうなれば「わたし」を情報化してしまったのです。自分の中の「わたし」にラベルを付けてしまった。こうなれば自由自在です。役柄がかわるたびに、それに相応しい「わたし」を取り出し、膨らませていく。
「あなたの中にだって、いろんな自分がいるでしょ?」
三浦さんはそう言うと、片頬を持ち上げたのでした。
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