既知から未知へ。
イシス編集学校でお題目のように唱えられている言葉です。[守]の「編集稽古の心構え」にもこうあります。
《思考を加速させ、既知から未知へ、「さしかかる」瞬間へ向かっていきましょう》
実はジャイアンは、46[守]開講以来、「既知から未知へ」のフレーズを意図的に使わずに来ました。なぜか。この言葉の重さを、そばで見てきたからです。
日本画家の堀文子さんをご存じでしょうか。2019年2月5日に100歳の生涯を閉じましたが、最後まで絵筆を握り続けました。堀さんは大きな意味で「自然」を描いてきた画家ですが、ひとつのテーマに拘泥したことがありません。
堀さんの代表作は、『幻の花 ブルーポピー』(2001年)です。81歳の時、わざわざこの花を求め、周囲の反対を押し切りヒマラヤ山麓を訪れて描いたものです。発表すると、ブルーポピーを描いて欲しいという注文が殺到しました。画家の世界では普通にあることです。ところが堀さんはそれを断ってしまう。なぜだったのでしょうか。
堀さんは、樹齢300年のホルトの木のたもとに建つ大磯のアトリエに暮らしていました。ジャイアンは縁あって、堀さんの最晩年、一人暮らしの家を何度も訪ねました。毎回、ICレコーダーをセットするより先に、目の前にコップが置かれます。まずは駆けつけのビール一杯。缶ビールを空けると、今度は八海山。飲まされに来たのか、取材に来たのか。おろらく両方なのでしょう。
堀さんは、群れない・慣れない・頼らないの三位一体を自分に課していました。どの団体にも属さず、「一所不住」で引っ越しを繰り返し、甘えると生きる力が鈍るとひとりで生きることを選び取りました。
お酒が進むと、よくこんなふうに諭しました。
「あなた、出世したいなら、群れて、慣れて、人に頼りなさい。つまらない人生になるけど、お金は貯まるわね」
いちばん記憶に残っているのは、「困難な道を選べ」という言葉です。
堀 (人生は)Y字形になっているんですよ。もう朝から晩までY字形だと思うの。だけど、(分岐に来たら)悪いほうを選ぶ。
――悪いほうを選ぶんですか?
堀 困難なほうをね。そのほうがずっと発見がある。うまくいった時はね、いい気になっていてもうそれ以上になれないけど、困難なものにはいろいろ工夫しなきゃならないし、しくじりも多い。しくじった時に次の道が開けるの。
ブルーポピーを求められて描くことは、堀さんにとって、楽な道です。しかし既知の道、安全な道に驚きはない。だから堀さんは、あえて困難な道――「未知の不安」を求めたのです。
《仕事をするときは、常に不安と孤独の中。後ろへ戻ることもできなければ、前にも行けない。しかしもう後ろには帰れないから、前に行くしかないというその繰り返しです》(『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』小学館)
ジャイアンは堀さんの中に、「既知から未知へ」の覚悟をいつも感じていました。
堀 困難が好きなわけじゃないですよ。でも平坦な道で褒められることをやってもビックリしないでしょ?
――平坦な道は予想ができますものね。
堀 困難な道はあれね、宙づりになってるようなものね。手を離したら谷へ落ちて死ぬ。だからよじ登るしかないじゃないですか。だから、宙づりみたいなのを好むんです。自分の足場の安定したところにいたら、感動しないじゃないですか。
取材中、ジャイアンは何度か怒られました。
お為ごかしに笑ったり、いい加減な合いの手を入れると、「思ってもいないのに、安易に同調するな」とピシャッと制するのです。
《自分を突き飛ばしたら、そこから何か生まれて来るのではないか》(同前)
「自分と果たし合いをしている」といって憚らず、未知への冒険を続けるひとりの人間を前に、ジャイアンはいつも、雷に打たれたようになるのでした。
既知から未知へ。
この言葉はジャイアンにとって、崖から飛び降りるような心持ちがするのです。もちろん、足に紐はついていません。だから口にしません。口にすると嘘に聞こえるからです。じゃあどうするかって? その先に何かあるか、考えずに前に進むことにしました。そして今も進んでいます。
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