パンとわたし。隷属ではない関係(前篇)~発酵エトランゼVol.1

2020/05/20(水)09:39
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   水と砂糖を加えたガラス瓶を観察すること3日め。ブツブツとも沸々とも細かな泡が発生している。時々蓋を開けて酸素をゆき渡らせる。手を加えるのは、たったこれだけ。さらに待つこと3日余り。底には濁りのような不透明な澱(オリ)が派生する。これを長らく待っていた。
   家を空けることが多くなり極端に料理をしなくなった頃から、酵母液の底に沈砂地ように現れるはずの澱が、しばらくの間、待てど暮らせど一向に現れなくなった。
  
   瓶の底で何が起こっているのかというと、柚子の皮を媒介にして空気中を浮遊する酵母菌が、表皮の「膜」に付着しながら自ら糖を分解し、アルコールと炭酸ガスを発生させている。これが「発酵」の現象である。
   王道のレーズンはもちろんのこと、バラの蕾やコーヒー豆からも酵母液は抽出できる。あらゆる自然土からの恵みには常在菌=酵母が宿っている。この液種に小麦粉を混ぜた仕込み種が出来上がり、パンづくりのスターターとなる。イースト菌も単一種として広く使用されている酵母のひとつだ。一方の野生酵母は名の如くワイルドで、さまざまな微生物が複雑に混在し、単一種にはない独特の香りやうま味をもたらす。

 

  
   世界中が一斉にコロナ禍で、家籠りが強制されること早二カ月。スーパーマーケットではマスクは無論のこと、小麦粉が棚から一様に姿を消して、売り切れ状態が続く。ステイホームにベイキングタイムが加わった。余白が生まれ、過ごす場所も人も変わる。創作活動にはやはり暇が必要だ。それは食卓やキッチンだけではないだろう。内と外、表と裏、ファストフードからスローフードへ…価値のパラダイムシフトは無意識のうちに、俄に起こっていることは想像に難くない。
  
   10年前の事になる。パン好きが高じて、とあるフランス式パン職人ギルドに月一度、週末のみ弟子入りした。週に3日、一日おきに約1キロの生地を5年間ほど延々三昧し続けた。バケットに換算して約2千本ほど焼いたことになる。これはいくつかの常識を覆されたことによる。

 

 

   まず、発酵には発酵機など必要がない。腱鞘炎を起こすほど捏ねることもない。水は限界まで加える。発酵時間は長くてもよい(最長48時間)。あるべき論はすっかり覆った。
   衝撃の果実は、美味なるパンだけではなかった。ポアンタージュバックという低温長時間発酵の工法によって、もたらされる自由。夕食後に粉を合わせ、そのまま冷蔵庫へ。その後の作業は翌日に持ち越す。パン作りの工程を【分節化】することができるのだ(混ぜる、寝かす、成型する、焼成する)。 
   多忙なビジネスワーカーも、子育てに目まぐるしいママも、これなら時間を自在に融通できる。パン生地の都合に自分を合わせるのではなく、ライフスタイルに応じた時間軸にパン生地を組み込む。主客を逆転させるのだ。パンとわたしの間の【アフォーダンス】は、隷属関係によるものではない。さすが超個人主義のフランス仕込み、中心に据えるのはあくまでも人間だ。早起きなど必要もない。
   メソポタミアから渡ったパンの【原型】は古代エジプトで発酵が進んだ。ナイル川の氾濫によって小麦農耕が発達し文明が栄えたことに起因する。そのたびに社会は混乱を極め生活基盤は崩壊し、リセットを余儀なくされたことは言うまでもない。
   パンを片手に酵母から古代文明の発祥まで遡ること2000年余り。歴史的現在にいる私たち、ずいぶん遠くまで来たものだ。有事にこそ新常態(ニューノーマル)が生まれることも見逃せない。リスクは回避するだけではない。

  • 平野しのぶ

    編集的先達:スーザン・ソンタグ
    今日は石垣、明日はタイ、昨日は香港、お次はシンガポール。日夜、世界の空を飛び回る感ビジネスレディ。いかなるロールに挑んでも、どっしり肝が座っている。断捨離を料理シーンに活かすべくフードロスの転換ビジネスを考案中。