■2022.6.21(火)
世阿弥に『至花道』なる稽古習道のための伝書がある。老境に差し掛かる手前で著された。かいつまむと以下のようなことが書かれている。
◇二曲三体事:
習道は基本の型から入って素地を築くのが良い。そのうえで各人の天分と工夫を重ね、積年の修練で花を開くに至る。枝葉末節の物真似をしても物にはならない。(「二曲」は舞と歌、「三体」は老体・女体・軍体のことで、能芸の基礎となる)
◇無主風事:
型を習うだけでは「無主風」の芸である。演者の生命が宿った「有主風」との違いを承知しておきたい。師の芸をよく見て、自分の心身に覚え込んでこそ有主風の芸となる。
◇闌位事:
芸に闌(た)けた者が「非風」を演じても「是風」になるのは、非風を是風に混ぜる程を心得て工夫しているからである。初心の者は徒に非風を真似るのではなく、師に着いて程を問い、自分の芸位を自覚すべきである。
◇皮肉骨事:
技芸には「皮」(≒表現)、「肉」(≒技術)、「骨」(≒素質)があって、たとえこの三つを備えた為手(演者,パフォーマー)がいたとしても、それは三つを持っているというだけで揃っている訳ではない。己の芸が見所(観客,オーディエンス)の心に届いてこそ、皮肉骨の揃った為手となる。
◇体用事:
「体」が無いときに「用」だけが有ることはない。花の匂いをどれほど似せても、花そのものには成れない。
(世阿弥『至花道』より超訳)
優れた演者は、優れた学習者である。けれど、優れた学習者は必ずしも優れた演者ではないだろう。世阿弥が『花伝書』を相対の秘伝としたのは、芸道の伝授は学習者の器量次第だからなのだ。
翻って、編集稽古は相対ではあるが秘伝ではない。秘伝ではないから、学習者にも指導者にも自らの器量を問う力が求められている。この器量のことを、世阿弥は「分力」と呼んでいる。分ける力、分かる力、分際を測る力、即ち「メトリック」のことである。
■2022.6.22(水)
講座のロールを長く務めていると、編集道を歩むことの難しさに足が竦むような場面にいくらでも出くわす。「道」というメタファーに擬えれば「道を見失う」という状況なのだろうが、進むべき方向を失わない限り「道に迷う」ことはない。
私は仕事柄「迷い人」の応接をすることが多いからそう思うのかも知れないが、多くの場合、人が道に迷うのは道が人を迷わせているのではなく、自分が自分を失って迷っているように見える。そこでコチラは解決策を示そうとするのだが、人にはそれぞれ「迷い方」があるから、たんに迷路の出口を示すだけでは迷い人の要望には応えられない。迷い人が案内人に求めているのは、出口ではなく受容なのだ。出口は事態を打開するけれど、「迷い方」の処方箋にはならない。人は「迷い方」を自ら学ぶ必要がある。
■2022.6.23(木)
入伝生たちが錬成演習でルール編集のお題に取り組んでいる。
ルールは物事のふるまいを制限するけれど、制限によって創意工夫が創発されもする。同じように、編集稽古も題意によって制約を受けながら想像力の自由へ開かれている、と言いたいところだが、まだまだ入伝生たちにとって制約の重さの方が編集的自由に勝っているように見える。
ところで、設定されたルールに適合しているか不適合なのかの判断能力を競うとしたら、人間よりもコンピューターに軍配が上がるだろう。AIは人間のように疲れることも飽きることもせず、ルールに忠実な「照合の評価」を遂行できる。
さらに、深層学習を施したAIはビッグデータから当該情報のルイジやソージを拾い集める能力を鍛えているから、ルールの周辺にある「連想の評価」までをも守備範囲に置くことが可能だ。しかも、データベースの規模と計算力でAIは人間のそれを圧倒的に凌駕する。
さて、辛うじて人間がAIに勝る仕事があるとすれば、ルールからの逸脱具合を競う「冒険の評価」というところになるだろうか。想定内の可能性に留まっていては物事の意味や価値を拡張することが出来ないが、さりとて飛躍の度が過ぎればその選択肢は不適合として排除される。編集的自由とは、メトリックの冒険によってこそ獲得されるのだ。
■2022.6.26(日)
早朝、錬成指導渦中の指導陣を招集してzoomで作戦会議。講座の締め括りとなる「指南トレーニングキャンプ」「敢談儀」へ向けての展望を交わす。ここからは入伝生の編集的個性が発露する設営を目論みたい。
錬成場では、49[守]に先駆けて「番選ボードレール:ミメロギア」の模擬演習が始まった。師範代候補生に求められているは、指南を書くことのみならずゲームメイキングの実践である。編集稽古の現在地を測り、方向を示し、勇躍邁進を促すこと。そのためには、道に迷うことを知る者だけが届けることのできる言葉があるはずだ。
アイキャッチ:阿久津健
>>次号
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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