武邑光裕の新·メディアの理解 ①

2024/08/07(水)08:00
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イシス編集学校のアドバイザリーボード〈ISIS co-mission〉の武邑光裕さん(メディア美学者)による新連載が始まる。メインテーマは「理解」だ。そもそも、理解とは何か? なぜ、理解しなければいけないのか? 理解を理解たらしめているものとは何か? 編集の型「3M(メディア・メッセージ・メソッド)」でおなじみのマーシャル・マクルーハンをはじめ、「編集は理解の本質」と喝破したリチャード・ワーマンなどの思想をヒントに、ソーシャルメディア時代における「《理解》の秘密」に迫る。


 

理解とは何か?

テクノロジーは私たちを取り巻く環境の「形」を変え、その結果、「形」は私たちの実際の姿を変える。フォームは新たなフォームを生み出す。かつてカナダ出身の英文学者、文明批評家のマーシャル・マクルーハン(ハーバート・マーシャル・マクルーハン、Herbert Marshall McLuhan、1911~1980)は、「われわれは道具を形作り、それ以後、道具はわれわれを形作る」という表明を採用した。形(潜在能力)は物質(現実)と統合され、私たちが生きている膨大で複雑な現実を生み出すのだ。

 

現在、科学は大きな問題を抱えている。科学者はそれを知っている。生物進化論、超弦理論、ダークマター理論、ビッグバン理論など、「定説」とされている理論や結論が、新たな証拠によって次々と覆されている。全体として、科学的な「自信」は失われつつある。現代科学は、「人間であるとはどういうことか?」という差し迫った問いに答えることができない。すべてが今、デジタル·パラダイムによって引き起こされた科学革命に直面しているのだ。私たちは今、典型的な因果関係の試みに目を瞑る「意味の危機」に陥っている。

 

マクルーハンが1964年に発表した『メディアを理解する』のタイトルに反映されているように、第1章のタイトルは「メディアがメッセージ」である。メディアの本質を「理解」するまで、私たちはメディアが運ぶコンテンツに留意していた。しかしマクルーハンは、電気メディア(例えばテレビ)そのものが、人間とその環境を変容させる本体だと指摘した。

 

「メディアがメッセージ」、これが理解である。つまり理解とは、アンダー・スタンディング。アンダーとは、見えないところに立っていることである。これは、めったに議論されないし、認識すらされない。理解とは、目に見えない、基礎、根拠に向かい合うこと、つまり「因果性」から「理解」への努力がはじまるのだ。

 

アメリカの建築家でグラフィック・デザイナー、そしてTEDの創設者であるリチャード・ソール・ワーマン(Richard Saul Wurman、1935~)は、「編集は理解の本質」だと松岡正剛さんに伝えている。これは理解のプロセスにおける蒸留と洗練の重要性を強調しており、私たちは理解のために「因果性」と「編集」を必要としているのだ。

 

『理解の秘密』リチャード・ワーマン(NTT出版)

千夜千冊1296夜

 

イシス編集学校 書籍『インタースコア』紹介ページより

 

デジタル・シフト

今日の社会には「社会構成主義」が浸透しており、社会は人間によって 「構築」され、私たちが望むどんな形にもなると考えられている。しかし、そのようなことは明らかに不可能である。私たちは、幼い頃から習慣的に使っているテクノロジーによって「構築」されているのだ。環境を変えれば、神経回路網も変わる。

 

マーシャル・マクルーハンは彼の長男であるエリックとの共著で、遺著となった『メディアの法則:新しい科学』(1988)を私たちに届けた。この著作の副題が「新しい科学」と題されたことに注目しよう。マーシャルとエリックは、フランスのカトリック教会の枢機卿であり神学者アンリ·ドゥ·リュバック(Henri de Lubac, 1896~1991)の『中世の釈義』(Medieval Exegesis)に詳述されている聖典の4つの感覚に部分的に基づいて、「テトラッド」(四分法)という発見を提示した。

 

アンリ・ド・リュバックによる『中世の釈義』は、元々フランス語で “Exégèse médiévale: les quatre sens de l’Écriture(中世の釈義:聖書の4つの意味) “として1959年から1964年にわたり複数巻に渡って出版された。マクルーハンは、リュバックからの影響とともに、アリストテレスの「四つの原因」(物質的、効率的、形式的、最終的)を補完する方法として、いわゆる「四つの効果(メディアの法則)」を規定した。四つの効果とは、次のように名付けられた。「強化 (Enhances)」、「衰退 (Obsolesces)」、「回復(Retrieves)」、「反転 (Reverses)」である。

 

 

メディアは人間の能力の延長であるという概念(たとえば、視覚の延長としてのテレビ、音声の延長としての電話)は、基礎的なものである。それぞれのメディアは、人間の特定の機能を拡張または増幅し、社会的相互作用や認識を再形成する。

 

複雑な相互作用

『メディアの法則:新しい科学』は、メディア効果の複雑で相互関連的な性質を強調している。新しいメディアが既存のメディアや社会構造にどのような影響を与えるかを示すことで、多層的な相互作用を明らかにする。マクルーハンは、現代のメディアを歴史的文脈の中に位置づけ、新しいテクノロジーがいかに古いメディアを再構成し、新たな装いで以前の形式を復活させるかを示している。

 

テトラッドのコンセプトは、メディアの全体的な理解を提供することを目的としており、読者に対して、目先の実用的な用途にとどまらず、より広い意味でのメディアのあり方を理解するよう促している。

 

『メディアの法則―新しい科学』は、メディアの多面的な影響を理解するための、構造的でありながら探求的な枠組みを提供する。テトラッドは、新しいメディア技術がもたらす複雑な相互作用と変容を明らかにするのに役立つ、分析のためのツールである。副題の “The New Science “は、このアプローチの革新的、学際的、進化的な性質を強調し、社会に対するメディアの深遠な影響を研究するための新しいパラダイムと位置づけている。

 

マーシャル·マクルーハンの「テトラッド」とは、メディアが社会に及ぼす影響を理解するための枠組みで、4つの法則や問いからなる。

 

メディアは何を強化·増幅するのか?

メディアは何を衰退·陳腐化させるのか?

メディアは、それ以前に陳腐化したものを取り戻すのか?

極限まで追い詰められたとき、メディアは何を反転させるのか?

 

マクルーハンはこの「法則」の中で、テレビとコンピュータの両方について四分位点を提示している。技術の最終段階を詳述する「反転」の象限では、テレビは本来の性質から反転し、「内なる旅」と表現されている。重要な「回復」の象限では、あらゆる人間的人工物の心理的地上効果を反映し、コンピュータの項目は「完璧な記憶:統合的かつ正確」とされた。

 

これらは、世界が今経験している変遷である。自己陶酔的な空想(裏返ったテレビ=YouTubeなど)から、私たちが今いる場所にどのようにしてたどり着いたのかを思い起こす意味深いものへと向かう。この四分法をソーシャルメディアに当てはめると、次のようになる。

 

1. ソーシャルメディアは何を強化するのか?

コミュニケーションと接続性: ソーシャルメディアは、世界中で瞬時に他者とコミュニケーションし、つながる能力を高める。ネットワーキング能力を増幅させ、地理的な障壁に関係なくコミュニティを形成し、関係を維持することを可能にする。

ユーザー生成コンテンツ: ソーシャルメディアは、個人によるコンテンツの創造と共有を増幅させ、コンテンツ制作を民主化し、誰もが自分の意見を述べ、才能を披露し、経験を共有できるプラットフォームを提供する。

情報発信: 情報の拡散を加速し、ニュースや最新情報をリアルタイムで入手できるようにする。

パーソナル·ブランディングとインフルエンサー文化: 個人がパーソナルブランドを構築し、インフルエンサーとなる能力を高め、トレンド、行動、消費者の意思決定に影響を与える。

 

2. ソーシャルメディアは何を衰退させるのか?

従来のゲートキーパー: 誰もがコンテンツを公開·配信できるため、情報の流れをコントロールする従来のゲートキーパー(出版社、放送局)の役割は低下する。

コミュニケーションの遅延: インスタントメッセージ、ライブストリーミング、リアルタイムの更新によって、従来のコミュニケーション方法(郵便サービス、テレビ番組の予定など)に内在していた遅延が廃れる。

マスメディアの独占: 世論形成における従来のマスメディア(新聞、テレビチャンネル)の優位性は、ソーシャルメディア上で利用可能な多様な声や視点によって脅かされる。

交流のための物理的プレゼンス: ソーシャルメディアは遠隔地や非同期での交流を容易にするため、人間関係を維持したり議論に参加したりするために物理的に存在する必要性は減少する。

 

3. ソーシャル·メディアは、それ以前は時代遅れであった何を取り戻すのか?

公的言説とタウンホール·ミーティング: ソーシャル·メディアは、個人が率直に議論し、討論し、意見を分かち合う、公の言論や地域社会の会合という古くからの慣習を取り戻す。

民俗文化と口承伝統: ソーシャルメディアは、様々な形式(ビデオ、ミーム、スレッド)を通して物語を語ることを可能にし、しばしば共同的で参加型の性質を持つことで、民俗文化や口承伝統の要素を呼び戻す。

草の根運動: ソーシャルメディアは、草の根の政治運動や社会運動の初期の形態と同じように、大義名分の迅速な組織化と普及を可能にし、草の根の活動主義と動員を復活させる。

 

4. ソーシャルメディアは極限まで追い詰められると、何に反転するのか?

エコーチェンバーと分極化: 極端に押し進められると、ソーシャルメディアは、ユーザーが自分の信念を補強する意見に主にさらされるエコーチェンバーに反転する可能性があり、社会の分極化と分断の増大につながる。

情報過多: 膨大な情報やコンテンツは情報過多を招き、ユーザーは信頼できる情報源を見極め、重要な情報に優先順位をつけることが難しくなる。

監視とプライバシーへの懸念: ソーシャル·メディアのつながりや共有の能力は、プライバシー、データ·セキュリティ、個人情報の悪用に対する懸念が蔓延することで、監視のためのツールに転化する可能性がある。

精神衛生上の問題: ソーシャルメディアへの絶え間ない比較、ネットいじめ、依存症は、精神衛生に悪影響を及ぼし、つながりやサポートという意図された利益を逆転させる可能性がある。

 

マクルーハンのテトラッドをソーシャルメディアに当てはめることで、ソーシャルメディアが社会に与える多面的な影響を包括的に理解することができる。ソーシャルメディアはつながりを強化し、コンテンツ制作を民主化するが、従来のゲートキーパーやコミュニケーションの遅れを陳腐化させる。公共的な言説や草の根運動の実践を取り戻す一方で、極端に突き進むと、エコーチェンバー、情報過多、監視の問題、精神衛生上の問題へと反転する。この分析は、現代世界におけるソーシャルメディアの複雑で進化する性質を強調しているのである。

 

つづく

 

▼遊刊エディスト 武邑光裕さんインタビュー記事

 【AIDA】DOMMUNE版「私の個人主義」!!!!! by武邑光裕

 【AIDA】「新中世」時代に考えるメタヴァースの将来(武邑光裕ロングインタビュー)

 

アイキャッチデザイン:穂積晴明

 

  • 武邑光裕

    編集的先達:ウンベルト・エーコ。メディア美学者。1980年代よりメディア論を講じ、インターネットやVRの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまで、デジタル社会環境を研究。2013年より武邑塾を主宰。2017年よりCenter for the Study of Digital Life(NYC)フェローに就任。『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』(東京大学出版会)で、第19回電気通信普及財団テレコム社会科学賞を受賞。基本コース[守]の特別講義「武邑光裕の編集宣言」に登壇。2024年からISIS co-missionに就任。