じゅんちゃん、ついに、おじさんになる【おしゃべり病理医57】

2021/11/10(水)08:55
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 「おじさんみたいな髪型にしてください」

 

 スタイリストのヤマモトさんは、そのオーダーにたじろいだ。お、おじさんみたいな髪型?ぐるぐるぐるぐる…ヤマモトさんは、一生懸命考える。

 

 「おばあちゃんがさ、おじさんみたいな髪型にしてくださいって言ったんだよ」

 ヤマモトさんは、じゅんちゃんがシャンプー台に寝転んでいる間に、みなみの髪の毛をボブに切り揃えながら、そう呟いた。
 「おじさんって言っても、いろんなおじさんがいるよね…」

 

 美容院までの道中、「わたし、おじさんみたいな髪型にしてもらうわ」とおばあちゃんが言っていたことを思い出し、本当にそのまま言っちゃったんだ、と、みなみは驚いた。

 

 「ヤマモトさん、笑ってたけど、困ってたよ」

 そうだろうそうだろう。ごめんなさい、ヤマモトさん。ヤマモトさん歴が10年以上におよぶ私だって、そんなわけわからんオーダーはしないぞ、じゅんちゃん。

 

 でも、じゅんちゃんは仕上がった髪型にとても満足な様子だった。たしかに、頭にはりつくようなカットは、じゅんちゃんの柔らかくて細い髪の毛と、頭の形の良さを存分に活かしてとてもスタイリッシュだった。家族みんなで、すごく良いよと褒めた。

 

 「ね!ヤマモトさん、センスあるのよ~!」

 

 ヤマモトさん、ありがとうございます。わたしはみなみの報告を受けつつ、望み通りのおじさんヘアに仕上がって満足そうなじゅんちゃんを見つめながら、胸の中で呟いた。


 前回のコラムで、プランニング編集術とアブダクションの話をしたが、まさに、じゅんちゃんのおじさんヘアオーダーは、スタイリスト、ヤマモトさんにとっての難関プランニングお題であり、顧客に対してのアブダクションの力を試されるものである。


■じゅんちゃんの連想をおぐらが推論したら

 

最近、物忘れもひどいし、骨粗鬆症なのか、背も縮んじゃって。
 髪型も決まらないし、お肌も元気ないし、年取るともう、男か女かもわからなくなるわよね。そういえば、夏木マリも、年取ったら髭が濃くなったって言ってったっけ。
 かなこやみなみは、ほんとに、艶々の髪の毛しちゃってうらやましいわ。あのくらい良い髪の毛だったらボブでもなんでも決まるけれど…。
 わたしなんかもう、おばあちゃんだし、女じゃなくなってきているんだから、この際、おじさんみたいな髪型がいいんじゃないかしら。そうよ!なんて良いアイディア!
 今度、ヤマモトさんには、おじさんみたいな髪型にしてもらおう!


■じゅんちゃんのオーダーに対するヤマモトさんの推論をおぐらが推論したら

 

 おじさんみたいな髪型って言われてもなぁ、おじさんも色々あるしなぁ。
 そういえば、じゅんこさんは髪の毛のボリュームを気にして、柔らかくて細い髪の毛なのに、いつもきつくパーマをかけてくださいって言うよな。
 おじさんってことは、きっと女性的な柔らかさよりもさっぱりした感じにしたいんだろうな。
 床屋帰りっぽいイメージなのかな?ボリュームや髪の毛の張りを気にしなくても良い髪型にしてほしいってことだろう。
 よし。ユニセックスなベリーショートヘアにしてみよう。それだったら、じゅんこさんの美しい頭の形も際立つし、スタイリングもしやすいだろうし。


 「演繹」「帰納」「アブダクション」はいずれも推論の方法である。推論(inference)は、与えられたものから与えられていないものに向かって進んでいく思考のプロセスのことをいう。たんなる“おしゃべり”ではないし、たんなる“ものおもい”でもない。多くの推論は先見的で予見的な思考に向かう。
 しかし、ただやみくもに結論に向かうわけではないし、ゴールに向かってパパッと魔術的に飛び移ろうというのでもない。与えられたものから与えられていないものへ進む道筋について言及する。観察する。言葉にしていく。したがって、このような推論のプロセスでの思考は、先行した思考が後続する思考によって解釈されていく。その解釈のプロセスが推論なのである。
───1182夜『パース著作集』

 

 パースの千夜にある推論の説明に当てはめると、先行するじゅんちゃんの思考が後続するヤマモトさんの思考によって解釈されていることがわかる。なるほど~。そのうえで、アブダクションの千夜のここをもう一度おさらいしたい。

 

 相手にアブダクティブになるとは、先方に対して仮説を共有させることがゼツヒツの骨法になるということです。それには「もっともらしさ」「検証可能性」「取り扱い単純性」「思考の経済性」を相手と一緒に共有するのです。
───1566夜『アブダクション』

 

 つまり、ヤマモトさんは、じゅんちゃんにアブダクティブになる必要があり、それは、じゅんちゃんと仮説を共有するということである。ヤマモトさんは、それを見事にやってのけた。「おじさんみたいな髪型とはユニセックスなベリーショートヘアである」という仮説を共有できたのだ。

 

 ヤマモトさんは、これまでのじゅんちゃんのオーダーをリバース・エンジニアリングし、じゅんちゃんのいつものオーダーのクセや好みでフィルターをかけ、たくさんのおじさんたちの中から、じゅんちゃんがいい具合だと感じられるものを選び取ったのである。

 

 実際、ユニセックスなベリーショートヘアという言い替えで方針を決め、スタイリングしたことによって、検証も行われ、じゅんちゃんは「うん、これこれ!」と大満足だったわけで、プランニング編集は大成功だったのである。

 

後日…

 

「それにしてもお母さん、おじさんみたいな髪型っていうのがちゃんとヤマモトさんに伝わって、ほんと良かったね!」

「うん、そうねぇ。要するにね、ハル・ベリーみたいな髪型にしたかったわけ。わたし、ハル・ベリーに似ているって言われたことあるのよ。素敵でしょ?ハル・ベリー」

「?!!」

 

 おじさんみたいな髪型とハル・ベリーみたいな髪型が、どうして「要するに」でつながるのだろう?ならば、ハル・ベリーのようなベリーショートヘアにしてくださいってオーダーすれば良かったんじゃ…

 

 じゅんちゃんからの編集的難題は、これからも続くだろう。いつか、スタイリストのプランニングについて、深谷もと佳師範にも色々伺ってみたい。

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

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コメント

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山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025