べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二十九

2025/08/08(金)22:00 img
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 なんとまぁ、贅沢なひとときだったことか。NHKでは「べらぼうな笑い~黄表紙・江戸の奇想天外物語!」として、原画を用いたアニメで様々な黄表紙の作品を紹介する番組を放映していましたが、こちらは実写でのお届け! あの人がこの役? この人があの役!! とわくわくする時間となりました。
 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。


 

第29回「江戸生蔦屋仇討(えどうまれつたやのあだうち)」

 

それぞれの仇討ち

 

 殿中で刃を抜いた、とあれば思い出されるのが、そう、「忠臣蔵」です。佐野政言と同様に有無を言わさず切腹させられた浅野内匠頭の無念を晴らさんと、大石内蔵助は一年以上もじっと忍従の日々を送り、ついに吉良上野介の首を討ち取りました。歌舞伎でも人気の演目ですが、そういえば、大河ドラマでも十八代中村勘三郎が、中村勘九郎として主演した「元禄繚乱」が記憶に残っています。

 

 では、江戸も中期を過ぎた天明の意知殺害事件ではどんな仇討ちが展開されたのでしょうか。愛息・意知を失った意次は、意知が入手しようと骨折った松前藩の裏帳簿を手に入れ、一気に、蝦夷地の上知を謀ります。これぞ、まさに意知が果たせなかったことを代わって成し遂げようとする、父の執念。


 一方、意知にようやく身請けされて幸せになれる筈だったのに、目の前で幸せを逃した花魁・誰袖こと、かをりは、ただただ一心に、佐野を恨む呪詛を繰り返すことしかできなかったのです。
 思えば、初登場の回からかをりはどこか不思議な女郎でした。無邪気に蔦重にまとわりついては、遣り手の志げにぶたれ、そうかと思うと意知に取り入ろうとして、これまた無邪気に、しかもあっけらかんと抜け荷の方法を探ろうとする。松前藩の家老に近づいて女スパイの真似事をするかと思うと、意知に心底惚れ抜く。いつも軽やかに明るかったかをりが藁人形に向かう様子は、かをりを妹のように気遣っていた蔦重には見るにたえない光景だったに違いありません。

 

 どうすれば、かをりに笑顔を取り戻せるか。それが蔦重の仇討ちへとつながりました。

 

正念場!?

 

 北尾政寅(山東京伝)の描いた手ぬぐいの中の男。それが蔦重ならではの仇討ちの鍵となりました。手ぬぐいの中の男を使って大笑いできる黄表紙を作る。なじみの狂歌師や戯作者、絵師を集めて策を練るところに登場するのが、鶴屋さん。二代目・金々先生にすればよい、との案を授けてくれたのです。自分の店のお抱えの筈の政寅に書かせれば大当たりする。そうなれば政寅の旧作も、いや黄表紙全体も売り上げが伸びる。さすが、抜け目ない。けれど蔦重に肩入れしてくれるとは。
 政寅というと、あの、頭から抜けそうな「つったじゅぅさぁーーーん」での登場が忘れられないのですが、初稿はみなからダメ出しをくらって「もう書かない!」。
 しかし本当は執着があったのでしょう。朋誠堂喜三二と恋川春町が訪れた政寅宅で見つけたのは大量の書き損じと、付箋を貼りまくった先達の本。あの、真面目印の春町が、

 

お前は俺の仲間だ。机にかじりつき、人からみたらどうでもよい瑣末なことにこだわり、迷い、唸り、夜を明かしてしまう手合いであろう。
お前はこちらのものだ。…来い!

 

と両手を大きく広げると、やはり「こちら」の側に落ちていく。もう一度、蔦重、喜三二、春町、歌麿、そして政寅が集まって「笑える」をキーワードにネタを考えます。こうなると、三人どころか五人揃って文殊の知恵。大金持ちの若旦那にどんな苦い汁を飲ませれば面白いかと、蔦重が問えば、政寅が「若旦那がどんな欲を持つかによる」と返す。喜三二が「俺は家名を上げるよりも浮名を流したい」と呟けば、もてない男があがくアイデアが爆発!
 蔦重が「それ、読みてぇ」と言えば、政寅は「書きてぇ」と応じる。こうして、政寅はもう一度筆を執るのです。
 
「仇」気屋艶二郎


 出来上がった本を持ってかをりを訪れた蔦重。本を手に取る気力もないかをりに代わって読み聞かせ始めます。そう、ここからが「べらぼう劇場」の幕開けです。
 手ぬぐいの中の男のように大きな鼻(何と付け鼻!)の仇気屋艶二郎を演じるのは、お手柄の政寅。押しかけ女房の芸者を演じるはおていさん、え? 普段は眼鏡をかけて堅気すぎる蔦重の女房が。
 艶二郎が女郎をあげるという場面を蔦重が読みあげた時、かをりは「女郎…」という言葉にふと反応します。ここがかをりの心に火を灯す転換点になりました。
 黄表紙の中では女郎・浮名と道行きをする艶二郎の姿に、かをりは笑いを取り戻したのです。蔦重は、優しく語りかけました。

俺ができる仇討ちは、佐野が奪ったお前の笑顔を取り戻すことなんだよ。
俺にはこれしかねぇ。


 政寅の代表作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』は、意次が目を通して「粋な仇を討ちやがって」と言ったとおり、粋を集めた一冊となったのでした。


死ねないのでありんすよ

 

 かをりは蔦重に、何度も自分に刃を向けて死のうとしたと告げます。どうしても死を遂げられない、ならば佐野を恨んでその恨み返しで自分が死ぬことができれば…、とそう考えたのでした。

 「どうしてあの人が死ななければ…」と言うかをりを見て思い出すのが、小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』です。河合隼雄亡き後に、小川洋子が書いた長い長いあとがき。この中で、小川洋子は河合隼雄による「物語」の解釈をこう受け止めています。

 

 いくら自然科学が発達して、人間の死について論理的な説明ができるようになったとしても、私の死、私の親しい人の死、については何の解決にもならない。「なぜ死んだのか」と問われ、「出血多量です」と答えても無意味なのである。その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。

 

 かをりがもう一度、笑いを取り戻すために必要だったのは、意知─花魁・誰袖にとっては雲助─の死との折り合いをつけるために必要な物語だったのでしょう。
 死ぬに死ねないと言ったかをりには、相手を呪ってその呪い返しで自分が死ぬという物語はどうにも似合わないものだったのです。そこに蔦重が、新しい生きるための物語をそっと差し出したことによって、かをりは自分を取り戻すことができたに違いありません。

 では、あらためて忠臣蔵との違いを考えてみましょう。元禄の忠臣蔵からおよそ一世紀、刀による仇討ちが正義とされた時代はすでに過ぎ去ろうとしていました。武士が刃をもって名誉を回復する物語は、もはや現実の不正義や喪失には応えきれなくなっていたのです。なぜなら、刀が断ち切れるのは当事者同士の局所的な関係にすぎず、その背後に広がる制度の暴力や、名を持たぬ者たちの痛みには届かない。
 だからこそ、この時代に描かれるのは、刃ではなく語りによって応答する、別様の仇討ちでした。

 そして物語が一人の人を再生させる──生きるための物語を生き始める、その力を感じることができる、べらぼうの中でも屈指の回だったと言わずにはおれません。

 


 

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