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海辺の町の編集かあさん vol. 4 2歳のディープラーニング
- 2022/06/19(日)08:15
「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。
絵を描くのが苦手だ。
だから学校を出て以降は絵を描くことも、ましてや描いたものを人に見せることもしなかった。
でもそんな私に20年ぶりの試練が訪れた。
お絵かきボードのペンを片手に「わんちゃんかいて」「ねこちゃんかいて」と迫ってくる娘である。
仕方ないのでリクエストに答えて描いてみる。
その絵を指差して「わんちゃん」と言ってくれる娘に「そうだね、わんちゃんだね」と相槌を打ちつつ思うのだ。
こんな犬はどこにもいないのに、よく犬だとわかるなあ、と。
そもそも娘はいかにして「わんちゃん」という言葉と「犬」を結び付けることができるようになったのだろうか。
おそらく私が外を散歩している犬を見かけたときに繰り返し「わんちゃんだよ」と言うのを聞いて覚えたのだろう。
であれば娘にとってのわんちゃんは、近所にいる柴犬やトイプードルであるべきだ。
でもYouTubeで初めて見たラブラドールレトリバーやシベリアンハスキーも、母が描いた犬のイラストも、娘は「わんちゃん」と呼ぶ。
明らかに娘は彼女にインプットされた情報よりも広く「わんちゃん」を捉えているのだ。
「コンピューターには記号と実世界にある実体が持つ意味とを結びつけるのは困難である」という「シンボルグラウンディング問題」に最初に触れたとき、「そうは言っても人間も、まったく頭のなかにデータがないものは記号と結びつけることは出来ないのでは?」と感じたのを覚えている。
ディープラーニングによって入力情報から特徴量を抽出することでAIはシンボルを認識できるようになりつつある、と知ったときも、「今までみた実体から共通するものを取り出して学習しているのは人間も同じなのだろうな」と考えていた。
でも、きっとAIは娘と同じインプットの量では私の絵を「イヌ」と認識できない。
人間がシンボルを解釈できるようになるのは、経験に基づいた推論が働くのもひとつの理由だろう。
一方で、足りない情報量を埋めるための「AIにはないなにか」もあるようなのだ。
『科学者18人にお尋ねします。宇宙には、だれかいますか?』(監修:佐藤勝彦、編集:縣秀彦/河出書房新社)は、宇宙における生命研究に興味を持つ科学者たちに地球外生命体への考え方についてインタビューする本だ。
その中で、「「生命の定義」について独自の見解を教えてください」という質問に対して、海洋研究開発機構の高井研氏がこう答えている。
「人間の脳には生物を認知する部位があり、直感でそれが生命か否か、その違いがわかるといいます。
(中略)どんな子どもでも家の中にペットとロボットがいたら、その違いは見極められます」
「自分が好きなあれに似ている」「なんとなく知っている」「親しみを感じる」。
どれも目の前のものを要素に分解して一致率を計算して…というような作業をしなくてもなんとなく直感的に感じ取れる。
それは入力されたデータをもとにした学習とは違う、脳にあらかじめインストールされているなにかなのだろう。
人間は成長するとその直感を要素・機能・属性に分解してみたり、例を挙げてみたり、リバースエンジニアリングできる。
でも「なんかそれっぽい」という感覚は学習が進む前の子どももきっと持っているのだ。
ところでこちらは私が描いた有名子ども向けアニメキャラクターだ。
娘には「なんかちがう」とコメントをもらってしまった。
概ね正しい要素を組み合わせても、そこに「らしさ」が宿るとは限らない。
我が子の「それっぽい」という直感の繊細さに関心しつつ、母は今日も頭を捻り、こっそりGoogle画像検索をしながらリクエストに応えるのである。