[週刊花目付#33] 密度ではなく濃度、速度ではなく加速度

2022/06/14(火)13:06
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■2022.6.07(火)

 

 花伝所指導陣の間で話題にあがるテーマのひとつに「与えられることに慣れ過ぎている問題」ということがある。
 時代や社会が求めるのは「分かりやすいこと」「便利なもの」ばかりなのだから当然の事態ではあるが、ともすると私たちは「問い」や「課題」すら与えられることに慣れ過ぎているように見える。多くの者に受容される「問い」や「課題」には必ず「解決策」や「手引き」が万全に用意されており、「正解のない問題」や「コストのかかる課題」は放置されるばかりなのだ。それで万事が恙無く済むのなら、この社会に編集学校など必要がない。
 考える力、考え続ける力、考え抜く力を養うには何を用意すれば良いのだろう。それらは決して与えられるものではない筈だから。

 さて、式目演習の4週目は「マネージメント」がテーマである。
 どうも今週は初動が鈍いと感じていたところ、Gmailの受信障害が起きているとのこと。EditCafeからの配信をGmailで受信する設定にしている者は、ブラウザからログインしてラウンジの動向をキャッチアップしなくてはならない。受講生も指導陣も広く影響を受けているようだ。
 演習課題は既に配信済みなので、今のところ回答は期限内に返信されている。そのことだけを見れば講座運営は正常に機能していると安堵することもできるのだろうが、花伝式目の志す「マネージメント」は、いわゆるリスクマネージメントを指向しない。波風が起こることを避けようとするのではなく、むしろ歓迎し活用すべき編集資源とみなす。
 つまり問題は、現状で波風の立つ「揺らぎ」が見えないことなのだ。講座の進捗は滞りなく見えるものの、「問・感・応・答・返」が加速しない様子が発言スコアにも現れている。おそらくこれは通信環境が全ての理由ではないだろう。

 


■2022.6.08(水)

 

 イシスの師範代や師範がことあるごとに「加速」を促すのは、作業速度のことを言っているのではない。思考の加速を促しているのだ。求めているのは速度ではなく加速度である。
 こと言語空間において、言葉は「濃さ」によって力を得る。加速度が集中を呼び、集中が濃度を誘い、濃度によって言葉が臨界を迎え、言葉の臨界が意味を湧出させるのだ。

 

 私が試験的に集計している発言スコアは、「言語量は思考量に比例する」という仮説を前提に文字量を定量計測している訳なのだが、これは当然ながら言葉に含まれる意味の「濃さ」や「重さ」には届いていない。

 近年はAIによる自然言語解析の研究が進んでいるから、言語密度だけでなく言語濃度までもスコアリング可能になりつつあるが、それによって言葉の価値を測れたとしても、言葉の意味を測るまでには至らないだろう。価値は測度によって計測可能だが、意味は生命によって描出されるものなのだ。

 

 「言葉が濃い」とは意味に溢れている状態のことであり、その意味を解する作業は「エディティング・モデルの交換」に他ならない。

 

 

■2022.6.10(金)

 

 Gmailの問題は、どうやらサーバーの設定に関するちょっとしたコードの不具合が原因だったらしい。1行のコードが全体のモードに影響を及ぼす様は、バタフライ効果と呼ぶには因果関係が濃すぎるだろうか。

 

 道場では、ようやく言葉によるパス交換の手数が増してきている。錬成師範の「問いかけ」が、入伝生の言葉を誘い出しているのだ。
 ただし、その内容がザツダン以上ゾウダン未満に止まっているように見えてもどかしい。「問感応答」から「返」への相転移には何かが足りないのだ。不足しているのは濃度だろうか、加速度だろうか。自信だろうか、時間だろうか。

 

 ゾウダンにあってザツダンにないものは「型」なのだと思う。いや、「型への意識」と言った方が良いかも知れない。

 型を感じていなければ言葉は雑へ開いて散逸するばかりだろう。さりとて型に閉じていては相転移が見込めない。「問・感・応・答・返」は、型について半開きのカマエを求めている。その半開きのホドを心得てこそのシハンダイなのである。

 

 

■2022.6.12(日)

 

 花伝所のチーム指導体制を「多中心ゲームメイク」と花伝師範中村麻人が評した。「まさにバロック的ですね」と錬成師範平野しのぶが応じている。そのやりとりを見て、花目付林朝恵がニヤリと笑った。

 

 まず第一に、師範代は教室を一人で背負うのではないこと。第二に、編集稽古は多焦点の動向を好むこと。第三に、多軸ゆえに情報の動く余地が生じること。
 このマネージメント・モデルを、是非とも入伝生は肖って欲しいと願う。

 

 24時をもってM4の回答締め切り。これにて道場での演習は一区切りを迎え、入伝生は錬成演習の準備へと向かう。

 

アイキャッチ:阿久津健
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  • 深谷もと佳

    編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。

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コメント

1~3件/3件

堀江純一

2025-06-20

石川淳といえば、同姓同名のマンガ家に、いしかわじゅん、という人がいますが、彼にはちょっとした笑い話があります。
ある時、いしかわ氏の口座に心当たりのない振り込みがあった。しばらくして出版社から連絡が…。
「文学者の石川淳先生の原稿料を、間違えて、いしかわ先生のところに振り込んでしまいました!!」
振り込み返してくれと言われてその通りにしたそうですが、「間違えた先がオレだったからよかったけど、反対だったらどうしてたんだろうね」と笑い話にされてました。(マンガ家いしかわじゅんについては「マンガのスコア」吾妻ひでお回、安彦良和回などをご参照のこと)

ところで石川淳と聞くと、本格的な大文豪といった感じで、なんとなく近寄りがたい気がしませんか。しかし意外に洒脱な文体はリーダビリティが高く、物語の運びもエンタメ心にあふれています。「山桜」は幕切れも鮮やかな幻想譚。「鷹」は愛煙家必読のマジックリアリズム。「前身」は石川淳に意外なギャグセンスがあることを知らしめる抱腹絶倒の爆笑譚。是非ご一読を。

川邊透

2025-06-17

私たちを取り巻く世界、私たちが感じる世界を相対化し、ふんわふわな気持ちにさせてくれるエピソード、楽しく拝聴しました。

虫に因むお話がたくさん出てきましたね。
イモムシが蛹~蝶に変態する瀬戸際の心象とはどういうものなのか、確かに、気になってしようがありません。
チョウや蚊のように、指先で味を感じられるようになったとしたら、私たちのグルメ生活はいったいどんな衣替えをするのでしょう。

虫たちの「カラダセンサー」のあれこれが少しでも気になった方には、ロンドン大学教授(感覚・行動生態学)ラース・チットカ著『ハチは心をもっている』がオススメです。
(カモノハシが圧力場、電場のようなものを感じているというお話がありましたが、)身近なハチたちが、あのコンパクトな体の中に隠し持っている、電場、地場、偏光等々を感じ取るしくみについて、科学的検証の苦労話などにもニンマリしつつ、遠く深く知ることができます。
で、タイトルが示すように、読み進むうちに、ハチにまつわるトンデモ話は感覚ワールド界隈に留まらず、私たちの「心」を相対化し、「意識」を優しく包み込んで無重力宇宙に置き去りにしてしまいます。
ぜひ、めくるめく昆虫沼の一端を覗き見してみてください。

おかわり旬感本
(6)『ハチは心をもっている』ラース・チットカ(著)今西康子(訳)みすず書房 2025

大沼友紀

2025-06-17

●記事の最後にコメントをすることは、尾学かもしれない。
●尻尾を持ったボードゲームコンポーネント(用具)といえば「表か裏か(ヘッズ・アンド・テイルズ:Heads And Tails)」を賭けるコイン投げ。
●自然に落ちている木の葉や実など放って、表裏2面の出方を決める。コイン投げのルーツてあり、サイコロのルーツでもある。
●古代ローマ時代、表がポンペイウス大王の横顔、裏が船のコインを用いていたことから「船か頭か(navia aut caput)」と呼ばれていた。……これ、Heads And Sailsでもいい?
●サイコロと船の関係は日本にもある。江戸時代に海運のお守りとして、造成した船の帆柱の下に船玉――サイコロを納めていた。
●すこしでも顕冥になるよう、尾学まがいのコメント初公開(航海)とまいります。お見知りおきを。
写真引用:
https://en.wikipedia.org/wiki/Coin_flipping#/media/File:Pompey_by_Nasidius.jpg