「編集工学は未完のプロジェクトだ」鈴木健氏と読む『情報の歴史21』【ISIS FESTA SP】

2024/03/22(金)08:00
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世界が分断に向けて暴走を始め、始まった戦争は誰にも止められないままに2023年が過ぎた。国連のグテーレス事務総長は新年に向けて、増大する貧困と飢餓に人々は苦しみ、戦争は激しさを増しているとし、「人類は団結する時に最も強くなる」と、信頼と希望の再構築を呼び掛けた。その頃、12月27日の晩に編集工学研究所では、2023年ラストのイベントが本楼で開催された。『なめらかな社会とその敵』著者でスマートニュース(株)会長の鈴木健さんを招いた「『情報の歴史21』を読む」第九弾だ。これは刺激的な夜になりそうだと、リアルで鈴木健さんに会うために本楼に集まったのは20人。オンライン(ZOOM)を含めて、全国から100名超の参加者が集まった。 

 

『情報の歴史21』を読む 第九弾 鈴木健編」開催決定。『なめらかな社会とその敵』著者・スマートニュース(株)会長がついに本楼に!

 

黒の上下の中に赤いチェックのシャツをのぞかせスタイリッシュな姿で現れた鈴木さんは、本が大好きで、と話しつつ本楼をぐるりと周り、嬉しそうに2階の学林堂へ上がる。本の館であるイシス館への来訪は松岡正剛の還暦パーティ以来とのことで、このイベントを楽しみにしていたそうだ。 

 

「情報の歴史」のページに鈴木健を探す

 

「鈴木健は情報の歴史に2度出てきます」と、鈴木さんは早速、『情報の歴史』を使って自己紹介を始めた。最初は2012年だ。この年の「弱いつながり」の項に、スマホアプリ【スマートニュース】が立ち上がったと示される。鈴木氏が世界中の良質な情報を必要な人に送り届けよう、と立ち上げたこのニュースアプリは今、彼が生活の拠点とするアメリカでも広く使われているという。 翌2013年、「鈴木健」は『なめらかな社会とその敵』の著者として、千葉雅也、ドミニク・チェンと共に登場する。同年、千葉雅也は『働きすぎてはいけない』、ドミニク・チェンは『インターネットを生命化するを著した。生命に焦点を当てたとして並ぶ3人が対談したらおもしろそうだと鈴木さんはいう。 

 

スマートニュースの会長と『なめらかな社会とその敵』の著者としての鈴木健が同一人物であることに気づかない人が多い。理由のひとつは、Wikipediaで検索すると12人も出てくる鈴木健はありふれた名前だから、と笑いながら、鈴木さんは、自身の脳のニューラルネットワークが、この2つをどのようにつなげているのかも明かそう、と本題へと移る。

 

1989年に中学生だった鈴木健さんはベルリンの壁を越えて東ドイツへ入ったことがあるそうだ。このときに芽生えた世界に境界線が引かれることへの違和感が、後に分断となめらかな社会を構想するに至るきっかけとなる。話はその「分断」から始まった。

 

◆分断の加速にツールで抗う

 

2016年、米国ではトランプが大統領選に勝利し、英国ではEU離脱の是非を問う国民投票でブレグジットを決めた。まさに分断の象徴のような出来事だが、鈴木さんは、分断はこのときに始まったわけではないという。既にオバマ政権下で起こっていた分断をうまく利用して選挙に当選したのがトランプだと。分断は、放送の公平性を担保するためのフェアネス・ドクトリンが失われた後のメディアの偏向報道と議会の分断的な言論、および世論の3つの相乗効果でその後も加速した。

 

進む分断に抗うべく、米国に住む鈴木さんがスマートニュースから2019年にリリースしたのが、「News From All Sides」という機能である。この機能を利用すれば、ひとつのトピックについて両サイドの意見を目にし、誰もが複数のメディアを比較することができる。開発のきっかけは二つあった。ひとつは、鈴木さんが現場の声を聴くために車で全米各地を巡る中で、相手サイドを強烈に批判する様子を目撃したこと。もうひとつが、共和党が強いレッドステートと呼ばれる州のなかでも、都市部には民主党支持者が多く、逆に民主党が強いブルーステートでも田舎には共和党支持者が多いという事実に触れたことである。

 

こうした事実を目の当たりにした鈴木さんは、分断の裏側にあるのは経済や環境の格差だと気づく。そこで開発した機能こそ、「News From All Sides」だった。フィルターバブルにより、偏った情報ばかりが流れてますます分断する世界に投下されたサービスは、ネット上に新しい結び目をうみだしたのである。鈴木さんは、リリース後も利用者の生の声に耳を傾け、アップデートをつづける。

  

◆反復する膜と核あるいは網を探る

 

分断、それは社会に膜を張り核を守る活動のひとつでもある。その膜と核の裏側には異なるレイヤーで網が張り巡らされ、社会は複雑に存在する。鈴木さんは、世界を単純化してしまう圧力に抗う中で、そこに生物学的な起源があるということに気づいた。世界は大きな関係性の網の中でできている。

 

鈴木さんの代表的な著作、『なめらかな社会とその敵』は、複雑な社会を複雑なまま生きることはできないか、というテーマに果敢に取り組み13年に渡る研究の末に生まれた論考だ。今すぐに解決することのできない、歴史に反復されてきた社会的な膜と核を終わらせるための提案でもある。鈴木さんは、それができるのは300年後だと、この書に記した。

 

ちなみに、「なめらかな社会」のなめらかは、シグモイド関数の描く曲線をイメージしているという。鈴木さんの視線は常にサイバネティクスに向けられる。『情報の歴史』を脳がどのように情報処理をしてきたかという研究の歴史としてニューラルネットワークを視点の中心に置くと、『情報の歴史21』も新たな読み方ができる。例えば1943年のマカロックとピッツの計算法と1945年にブッシュのメメックスに続けて、OpenAI の共同創業者イリア・スーツキヴァーの2012年のAlexNetや、2017年のトランスフォーマー論文が入ると、2022年以降の生成AIの動きへとなめらかにつながりそうだと。

 

鈴木さんは最後に『情報の歴史』を、人間を含む生命の理解の歴史でもあるとし、異なるレイヤーを跨って繋げ、越境することで、人間の意味の空間を作り化学反応を起こすことができるものだと結んだ。また、編集工学研究所について、人間の持つ編集能力を工学として位置付けて研究するとてつもない作業であると、「編集工学は未完のプロジェクト」と表現し、後方でじっと聞いていた松岡正剛と編集工学研究所社長の安藤昭子を微笑ませた。 

 

 

終了後の本楼は、鈴木さんの著書『なめらかな社会とその敵』のサイン会場となった。鈴木さんは丁寧に最初のページを開いて折り、ゆっくりと筆を下ろす。描いたのはなめらかな線、シグモイド関数だ。その線を跨いで、贈る相手の名前と日付を入れて署名する。冒頭でありふれた名だと言った「鈴木健」の手書きの文字は、道を歩くことを意味する「廴」が読者と社会に繋がるようになめらかにのびていた。

 

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  • 安田晶子

    編集的先達:バージニア・ウルフ。会計コンサルタントでありながら、42.195教室の師範代というマラソンランナー。ワーキングマザーとして2人の男子を育てあげ、10分で弁当、30分でフルコースをつくれる特技を持つ。タイに4年滞在中、途上国支援を通じて辿り着いた「日本のジェンダー課題」は人生のテーマ。