「やり損ねた稽古がある」
50[守]の特別講義の最中、田中優子氏の口調に悔しさが滲む。守稽古の最初のお題は001番【コップの使い道】。他学衆への「主語を変えよ」という指南にハッとした。主語を変える、つまり、他者の視点を導入することの効用に気づいたのだ。草間彌生なら?歌麿なら?と問うだけで軽々と自分の視点を拡大できる。
「稽古を起点にしたい」
回答だけで終わらずに、振り返りとして稽古の回答プロセスを記すのがイシスならではだ。田中氏は、振り返りで「ここから何かが始まりそうな気配をもつ回答」を選ばせ、「それがあなたの日々に何を加えそうか」を書かせるべきと述べた。次の行動を呼び込むまでが稽古なのだ。
「お題001番の彩回答です!」
厳選タングル教室の学衆青井隼人が、特別講義の休憩時間の終了間際に教室に差し込んだ。夜には「田中優子先生のヒントをもとに、彩回答します」と別の学衆も続く。数日後に細井あやが「往来回答」と題した再回答を届け始めた。038番までの回答をひと通り終えて卒門を決めたものの、自主ターゲットの2周目の回答を終えるべく、三人は今も走る。
――青井さんは、特別講義当日に、一番に彩回答を始めました。なぜ始めたのですか?
青井:単純な理由です。田中優子先生が特別講義のなかで、001番に再回答したかったと話されていたからです。当初は先生が話したお題だけと思っていたのですが、師範が「001番だけでいいの?」とそそのかすので、思い切って全部取り組んでみることになりました。実際に取り組んでいくと、意外と楽しくて…。
――細井さんは、残念ながら、優子先生のレクチャーは欠席されました。が、青井さんたちに続いて、再回答をスタートしました。どのようなことを思ったのでしょうか?
細井:私は校長室方庵を愛読していまして、松岡校長が「往来」ということに何度か言及しているのを見ました。あるとき、ビビッとくるフレーズがありました。
われわれは来し方をつねに後方へ走って、そして現在に戻ってくる
というピストン力をもったほうがいいんです。仏教ではこれを「往
還」といいます。往と還、往って還ってくる。還ったら、往く。
「往来」というのも、これです。往って、来る。来て、往く。すな
わち、フィードバックをしてすぐにまたフィードフォワードしてく
る。これが肝要。いわばバック・トゥ・ザ・フューチャーなんだけ
ど、これを自分ですばやくやってのける。
[27] 025「校長校話・別院大つごもり篇」(2000/12/29)
青井さんたちを見て、私は「往来回答」と名付けて取り組もうと考えました。つい間違えることを恐く思ってしまうので、「正解を求めず、今後ずっと行ったり来たりする」という想いを込めました。
――お二人とも、取り組んでいて、とても楽しそうです。あっという間にスピードにのりました。2回目の回答に取り組んで、どのような発見がありましたか?
青井:いざ始めてみると最初の頃に取り組んだ型をすっかり忘れていることに気づきました。とにかく新しいお題をこなすことに精一杯でひたすら走ってきていたので…。
細井:お題とお題の繋がりが見えてきます。後から出題されるお題が前のものと繋がっているとアタマではわかっていたつもりですが、再回答することで、その繋がりが身体に入ってきます。再回答してよかったと思っています。
――再回答だからこそ、あえて意識していることはありますか?
青井:優子先生が話していた「主語を変えること」と「何かが始まりそうな気配」を意識して取り組んでいます。9歳の娘がいるので、娘になったつもりで回答すると、初回とは全く異なる回答が出てきます。
細井:毎回取り組むときに、方針を決めて回答しています。例えば、「型を徹底的に意識する」、「リラックスして回答する」、「講義篇を読み込んでから回答する」などです。最初の回答では、そんな余裕はなく回答することに必死でしたが、2回目は、自分なりの編集をかけられるのがとても楽しいです。
――ご自身でお題を設定して回答しているわけですね。特に、印象に残っているお題はありますか?
細井:編集思考素です。苦手意識があります。なので、011番の【ジャンケン三段跳び】から往来回答を始めました。普段全く意識したことがないものだったので、2回目もやはり苦労し、何度か回答を繰り返しています。使えるようになりたいと思っています。
青井:たくさんの「わたし」が印象に残っています。初回は、娘にとって「わたし」はどういう存在か(=主語は自分のまま)を考えました。今回は、娘の視点になって「わたし」を見る(=主語を娘に変える)ことをしました。両者は明確に違い、新しい自分が見つかり、とても驚いています。
――守を終えた後、お二人はどうされる予定ですか?
青井:花伝所にとても興味を持っています。学生に教える仕事をしているので、どうすれば相手が受け取れるように教えられるだろうかと考えています。イシスにはそれがあるような気がしています。田中優子先生も「現代の教育現場ができないことを実現している」と話していました。
細井:ここまできたら、破に進みます!
田中優子氏は、特別講義で『外は、良寛。』の言葉を用いて、イシスの編集稽古を言い換えた。
反復や弛緩を重視し、同じことを繰り返す「不断の禅林生活」とい
うものがある。
他方で、すばやい問答によって意識を加速し、「覚悟」や「禅機」
をつかむ「しくみ」がある。
自ら覚悟を決めて、再び問答の渦中に身を投じ、変化の機を掴まんとする構えは、まさに「不断の禅林生活」と言える。新たな視野が出現する「契機」は、稽古への向き合い方次第で何度でもつくることができる。50[守]を遊び尽くした学衆達に、どのような春がおとづれるのだろうか。守来たりなば破遠からじ。
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阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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