花伝式部抄 ::第6段:: ネガティブ・ケイパビリティのための編集工学的アプローチ

2023/06/20(火)10:06
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花伝式部抄_06

<<花伝式部抄::第5段

 

 先ず断っておかなくてはならないことは、ネガティブ・ケイパビリティとは「頑迷さのススメ」ではないということです。

 

 ぼくは「消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」のことを言ってるのだが、つまり人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、短気に事実や理由を求めて苛々することなくいられる状態のことだ。

 たとえばコールリッジは半解の状態に満足していることができないために、不可解さの最奥部に在って事実や理由から孤立している素晴らしい真実らしきものを見逃すだろう。

ジョン・キーツ『詩人の手紙』より)

 

 詩人キーツの言葉の続きはしばしば忘れられがちですが、1818年12月22日に弟たちへ書いた手紙のなかで上のように記した後、「偉大な詩人にあっては美の感覚が他のすべての考えを征服する」と書いています。すなわち、未知や困難や「わからなさ」や不安は、「美の感覚」があれば克服可能で、そのうえさらにその先で孤立している「素晴らしい真実」にまで届くことができるのだと言っているわけです。

 

 このキーツの言う「美の感覚」を、私は編集感覚」もしくは「編集能力(エディティング・ケイパビリティ)」と読み替えることを提案しようとしています。

 まぁ「美の感覚」ということでも構わないのですが、「美」のメトリックには逃れようのない権威性が伴います。または、たとえば「愛の感覚」などと言い換えて語ることもできそうですが、こちらも宗教や精神論の陥穽に嵌まることを避けたい思いがあります。その点、「編集」はセマンティックな意味論を敬遠しながら方法的なシンタックスに重心を置いた姿勢で困難との遭遇に臨むことができます。(美の権威性については別の機会に触れたいと思っています)

 

 ネガティブ・ケイパビリティを解発するための第一歩は「意味」を手放すところにあるでしょう。何故なら、あらゆるネガティブさにネガティビティを与えているのは「意味づけ」だからです。

 意味を手放すためには、意味に囚われていることに気づく必要があります。そのためには、意味をもたらしている構造や力学について注意を向けることが求められるでしょう。その作業は、決して困難さのなかで頑なに迷う態度ではありません。意味とは、複雑さや不確実さについての開かれた物語ですから、私たちはいくらでも何度でも意味を語り直すことが出来る筈なのです。つまり「意味の自由」とは「方法の自由」に他なりません。

 

 意味の解放と再生について「方法」によって語り切ること。編集工学的アプローチのユニークネスは、「3つのA」に集約できるでしょう。すなわち、関係発見の原動力となる「アナロジー」、思い切った仮説にジャンプする「アブダクション」、世界と自分の関係を柔らかく捉え直す「アフォーダンス」のことです。

 これら「3A」が連鎖し触発しあって、人や場に生き生きと呼吸するための余白を与え、そこに潜在する意味や価値を励起させ、ものごとの可能性を拡張していく力を「ネガティブ・ケイパビリティ」ならぬ「エディティング・ケイパビリティ」と呼びたいと思うのです。

 

■アナロジーとは、本能的アブダクションである。
■アブダクションとは、能動的アフォーダンスである。
■アフォーダンスとは、発見的アナロジーである。

 

 私たちは未知をわかろうとするとき、本能的に既知の領域にある情報から利用できそうなものを検索し、照合し、繋がりを類推することで未知と既知との間に橋を渡します。その過程では、閃きや直感のような創造的飛躍を伴う推論が発動することもあるでしょう。

 

 けれどこの時に、飛躍的な推論が何らかの仮説を導いたとしても、その仮説が必ずしも与えられた問題から抜け出す道を一直線に示すことはありません。そこでは多くの場合、その道へ通じる扉がどこかにあるかも知れないという感覚だけが熾火のように燻ることになるでしょう。燻りつづける火種を我が身の内に抱えることは誰にとっても快適な状況ではありませんから、私たちはついつい出口への扉を探すことを諦めて、既知の領域に安全な居場所を求めようとしてしまいます。こうした態度を、キーツは「美」ではないと告発したのです。

 

 未知からの洞察を受け取ろうとする回路を閉ざすことなく、さりとて既知を役に立たないからと放棄することもなく、試行錯誤を厭わずに既知と未知との間で半開きの状態を保ち続けること。そうした態度は、たしかにネガティビティを受容しようとする態度ではありますが、ネガティビティについての耐性とは異なる能力のように見えます。

 

 突然の閃きや事態を急展開させるアイデア、湧き出る好奇心や壁を突破する探究力。そうしたイマジネーションやクリエイティビティは、限られた人に授かったギフトであるかのように思われがちです。

 そうではないのです。すべてわたしたちの中に潜んでいて、あるいは世界の中にすでに意味として潜在していて、発見されるのを待っているのです。

(『才能をひらく編集工学』より)

 

 キーツの慧眼は、詩人にとって生得的な「美の感覚」をネガティブ・ケイパビリティの源泉として求めたところにあります。同じように編集工学は、人間にとって原始の力ともいうべき「3A」を編集的思考の心臓部に置いています。このことは、エディティング・ケイパビリティが誰にとっても例外なく平等な能力であることを表明しています。

 

 とはいえ、3Aの力を最大化するためには少しばかりのコツが必要です。それに気づき、自覚して、委ねることです。けれど皮肉なことに、3Aの特性である未知や変化との親和性の高さは、3Aの最大化を阻害する要因にもなってしまいます。既知の領域にとどまって不変であろうとする頑なさが、安定や安全を担保するからです。
 かくしてエディティング・ケイパビリティは冒険に身を投ずる者にのみ発露するばかりなのですが、頑なさや怖れによって編集思考が制限されてしまうのは残念なことだと思います。

 

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花伝式部抄(39花篇)

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 ::第1段:: 方法日本の技と能
 ::第2段::「エディティング・モデル」考
 ::第3段:: AI師範代は編集的自由の夢を見るか
 ::第4段:: スコア、スコア、スコア
 ::第5段::「わからない」のグラデーション
 ::第6段:: ネガティブケイパビリティのための編集工学的アプローチ
 ::第7段:: 美意識としての編集的世界観
 ::第8段:: 半開きの「わたし」
 ::第9段::「わたし」をめぐる冒険

スコアリング篇)>>

  • 深谷もと佳

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