【編集稽古015番:マンガのスコア】は「スコアリング」ということを考える入り口の稽古として、すこぶるしなやかでアナロジカルな視点を提示しようとしています。
お題文を掻い摘むと「まず、自分が評価したいと思うことをみつけ」、次いで「そのために何をスコアにして数えたりはかったりするのか」を求め、さらに「そのスコアにピッタリと思う単位呼称を決めてください」とあります。
この稽古のユニークさは、何(What)をはかり、そのスコアを何(What)と名付けるか、とスコアリング作業の始めと終わりに仮留めのピンを打つところにあって、どのようにスコアするか(How)を問うていないことです。
もし、この稽古をより実践的なスコアリング演習に仕立てようとするなら”How”の方法論こそがハイライトされなくてはなりません。その方法論の陶冶を敢えて保留して、「単位呼称を決めてください」とネーミング編集に託すところが015番の妙味でしょう。
つまり、015番は「スコアリング」を借りた「アブダクティブ・アプローチ」の稽古である、と位置づけることができます。スコアリングに際して、具体的な計測項目を設定する前に仮説形成を先行せよ、という訳です。
その点、この連載で紹介してきた「発言スコア」や「式目演習スコア」は実践展開を前提としていたため、”How”(計測方法)の制約を受けながらのアブダクションでした。本当にスコアしたいものは必ずしも容易に「数えたりはかったり」できるものばかりではない、ということです。
試みに015番の回答形式に添って記述してみます。
●選んだ教室: 自分が師範として担当する教室や道場
●どういうことを評価したいか: 学衆や入伝生の稽古の様子や特徴を観察したい
●何をはかるか: 応答速度、発言数、発言量
●スコアに使用する単位: 冗長度、e-馬力、e-トルク、など
ご覧の通り、[守]の教室で見られるような回答に比べると捻りもなく面白みに欠けるように見えることでしょう。
その理由を自分なりに振り返ると、方法の制約の他に、このスコアリングの目的が「評価」ではなく「観察」にあったことも見えてきます。言い換えると、私の遭遇した困難は「計測技術にまつわる工学的な課題」(第11段)と「観察者として求められる客観性」(第12段)にあったのです。
情報によって充たされているこの世界の「すでに編集されている部分」だけでなく、「まだ編集されていない部分」や、なかなか「編集されにくい部分」にも注意のカーソルを向け、両者の間に新たな編集をおこしていくことが大切です。
[守]用法2 講義篇「スコアリングとインタースコア」より
こうした「編集されにくい部分」を超克するために、次のように考えてみました。
「スコアリング」は一般的に、その観察対象と観測方法によって「定量スコア」と「定性スコア」に大別されます。この分類は「数えられる/数えられない」というアクシスに基づく二点分岐と見ることができます。
ですが、はたして「数えられない情報」は「定量スコアできない情報」なのでしょうか? また逆に、「数えられる情報」は「定性スコアすべきでない情報」なのでしょうか?
折しも私たちは、テクノロジーの進展によってアタマの中の「思考」すら(人間のそれとは異なるプロセスだとしても)電子的にシミュレートされる時代を生きようとしています。「数えられない情報」は数えるためのツールや技術の開発によって定量スコアに変換されつつあり、そんななか反対に「数えられる情報」を数えずに定性スコアするアプローチ(むしろ私たちは無意識にそうしていることが多いのですが)が見直されたりもしています。
ならば、スコアリングの際に採用する”方法”は、「数えられる/数えられない」といった観測対象の性質に依存するのではなく、スコアラーの側の編集方針によって能動的に「数える/数えない」を選択するべきです。数えられないけれど何とかして数えてみる、あるいは、数えられる情報を敢えて伏せてみる、といったように、仮説形成に伴って生じる困難や負荷を積極的に引き受ける姿勢で臨めばこそ、スコアリングはより高次な編集へ向かうことができる筈です。
そうだとすると「定量/定性」の区分は、編集工学の視点から以下のように拡張再編できるでしょう。ニューワードとして「定型スコア」を加えたスコアリング3態です。(第4段での分類定義を更新しています)
◎定量スコア
情報の質量や価値や動向について、「場」にある既存のメトリックを使いながら、或いは、他者と共有可能なメトリック及びメディアの開発や設定を伴いながら記述するスコアリング。
「数値」は、有力な既存メトリックとして機能する。また、精密に定義づけられた「言語」や「法律」、権威づけられた「規格」や「慣習」なども定量スコアのためのメトリックとなり得る。
定量スコアにおいて最も重要な条件は、メトリックが他者と共有可能な状態で提示されることである。そのとき、メディアはメトリックの共有を補完する機能を持つ。
◎定性スコア
編集的自他の間で「エディティング・モデルの交換」を伴うスコアリング。情報の全体像を「らしさ」で捉えたり、情報構造の階層性や関係性、様子、感じ、などがスコアされる。
定量計測できない情報を扱う場合、または情報を定量計測せずに記録するとき、情報はスコアラーの主観的な感覚やスコアラーに固有の視点や属性に依拠しながら記述されるため、メトリックは必ずしも他者との共有が求められず、むしろメトリックの独自性がスコアリングを支える。
そのぶんメディアは多様なメトリックに対して高い順応性が求められ、多くの場合、情報はメディアの特性に依存しながらスコアされる。
◎定型スコア
情報の表象パターンや推移プロセスなどから「型」を抽出しながら、未知や別様の編集可能性へ向かうスコアリング。
定量スコアから帰納的に定理や公式などを導いたり、定性スコアからモデルやフレーム等を取り出すことで、個々の情報の属性や既存の価値体系に捉われない別様の可能性へ扉を開く。
定型スコアは、メトリックやメディアの創出そのものである。
繰り返し申し添えておくと、「定量/定性/定型」のスコアリング3態は、一般的な「定量/定性」の概念を再定義しようとしています。その意図は、スコアラーが「数えられる/数えられない」といった制約に囚われることなく、自由な編集を構想するための「測度感覚」(メトリック)を得ようとするところにあります。
場にあるメトリックを活用するか(定量スコア)、手持ちのメトリックと交換するか(定性スコア)、未知のメトリックを仮想あるいは構想するか(定型スコア)、といった編集方針による3審級は、第15段で示した「並列的インタースコア/重層的インタースコア/生成的インタースコア」の相似形と捉えることもできるでしょう。
つまり、スコアリングという作業にコミットすればするほど、スコアラーは自身の編集態度を問われ、スコアをめぐるメディアの醸成を求められ、帰するところ、もともとの観察対象に新たな意味や価値を見出して行くのです。
と言っても、もちろんこうした一連の次第は[守]においては伏せられており、[花伝所]に至って「秘された花」が開かされることとなります。
花伝式部抄(スコアリング篇)
::第10段:: 師範生成物語
::第11段::「表れているもの」を記述する
::第12段:: 言語量と思考をめぐる仮説::第13段:: スコアからインタースコアへ
::第14段::「その方向」に歩いていきなさい
::第15段:: 道草を数えるなら
::第16段::[マンガのスコア]は何を超克しようとしているか
::第17段::「まなざし」と「まなざされ」
::第18段:: 情報経済圏としての「問感応答返」
::第19段::「測度感覚」を最大化させる
::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
::第21段:: ジェンダーする編集
::第22段::「インタースコアラー」宣言
深谷もと佳
編集的先達:五十嵐郁雄。自作物語で語り部ライブ、ブラonブラウスの魅せブラ・ブラ。レディー・モトカは破天荒な無頼派にみえて情に厚い。編集工学を体現する世界唯一の美容師。クリパルのヨギーニ。
一度だけ校長の髪をカットしたことがある。たしか、校長が喜寿を迎えた翌日の夕刻だった。 それより随分前に、「こんど僕の髪を切ってよ」と、まるで子どもがおねだりするときのような顔で声を掛けられたとき、私はその言葉を社交辞 […]
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花伝式部抄::第20段:: たくさんのわたし・かたくななわたし・なめらかなわたし
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