ヤモリと雷鳴と青い鳥◆◇53[守]本楼汁講レポ

2024/08/19(月)07:53
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 キィキィという金属を引っ掻いたような音が聞こえてきて目が覚めた。懐中電灯を手に音の出所を探ると、それは窓に張り付いたヤモリだった。突然、ある雑誌の一節を思い出した。

生きているものらは
周りの気配に反応する繊細なメカニズムを持ち
なるべくしてなる方向を模索するように
息を吸ったり吐いたりしながら
右や左に動いたり
じっと立ち止まったりしている

 

 ヤモリは見えない何かに反応して鳴いたはずで、それは私たちが、好きな子を見て顔を赤らめたり、教室の仲間の回答に驚いたり、あるいは汁講で「師範代ってこんな人だったんだ」と感心したりする反応と変わらないのだ。急に、いろいろなことが腑に落ち、ようやく課題図書『風の旅人 2004 8号』(佐伯剛編集、ユーラシア旅行社、145ページ)を本当に読み終えた気がした。


 件の言葉は、同誌の中のものだ。私はこの雑誌の「感想を書いて提出する」という課題を学衆から与えられていたのだった。同誌は「生物の領域」という特集で、巻頭言は白川静。写真を中心に、星野道夫、中村征夫、今森光彦、川田順三養老孟司中沢新一保坂和志……という面々が並んだ雑誌で語られていたことは、生物が生きるということは「変化していくこと」であるという、そのことだった。

 

 事情を話すと、感想文課題の件は、去る7月6日に豪徳寺・本楼にて開催された、チームたりkey(金継ゲシュタルト教室、勇阿弥あやかる教室)の合同汁講に遡る。ちなみに、リアル汁講の開催は、53[守]の第1号だった。

 今井早智師範代の軽やかで手際のいい仕切りのもと、ランチ会、本楼での自己紹介、八田英子律師による本楼案内、本のワークと進む。余談だが、腹を括ったときの今井師範代は、いつも以上に輝きが増す。

▲本楼での本のワークの様子。初対面とは思えない様子で、楽しい交わし合いが続いた。

 

 この日のメインのひとつは、「たりkeyブック交換会」。石黒弘晃師範代の熱い思いとアイデアで形になった企画だ。プレゼント用の本を持参し、学衆、師範代、師範の10人で本を交換し合ったのだが、キーとなるのは「30字の紹介文」。その本が、どんな人、どんな時にオススメかを事前に紙に書いて並べ、参加者はクジの順に、「紹介文」を選んでいく。私が選んだ紙には、こう書かれていた。
「見えないものの価値を本気で信じるすべての人へ!」

 

 他にも魅力的な紹介文はたくさんあったのだけれど、私は「見えないものの価値」という言葉に吸い寄せられてしまった。

 言うなれば、私たちが学ぶイシス編集学校は、「見えないもの」を取り扱っている。「正解」のような目に見える確かなものはなく、アナロジーやアブダクションで「見えないもの」を掴もうとしている。「変化していくこと」という見えないものを目指している。そうか、私たちは「見えないものの価値」に集っていたのか。

 

 この本をプレゼントしてくれたのは、アラスカ在住の写真家Nさんだ。帰国のスケジュールと汁講の日程が偶然重なったことで、この日、参加が叶った。「見えないもの」に動かされているようだ。そして師範の私が中島さんの本を当ててしまったばっかりに、「師範、感想を書いて提出してください」となったのである。この記事は、その感想文だと思ってもらいたい。

 

 夜勤明けそのままランチ会から駆けつけてくれ、本のワークで活躍したMさん。関西から乗り込み(しかも前泊)汁講を一際輝かせたYさん。仕事でバタバタ×2の中、アフター汁講まで参加してくれたKさん。「なぜか、皆さん、初めて会った気がせず、最初から意気投合(笑)」と感想を漏らしたのはIさん。この日集まった面々はきっと、「見えないもの」で繋がっていたのだ。
 汁講は「見えないもの」に振り回されもした。予報にはなかった雷が鳴り出し、最後は土砂降り。傘を買いに走る羽目に陥った。だが目に見えない雷すら、編集の刺激になったようだ。
「ちゃんと自分で雷を降らすほど燃焼し、ひびを入れて、新たな私に出会わねば」とUさん。
「見えないものの価値」を言葉にしてくれたのは、Hさんだ。
「世の中の”あいだ”に潜む、自分が探し求める青い鳥の正体を探すためのヒントが得られる場所。それが本楼でした」

 

 5月13日に開講し、「見えないものの価値」――「青い鳥」を探し求めてきた53[守]は、8月25日に「卒門」を迎える。門の向こうにたどりついた人には、きっと、青い鳥の正体がおぼろげながら見えてくるに違いない。
 またヤモリが鳴いた。

▲金継ゲシュタルト教室(今井師範代)は、本を使ったワークで自分たちの教室のキャッチフレーズを決めた。「不思議を求めてイナビカれ」。この日の見えないもの――雷鳴を取り込んだのはもちろん、雷の形は、金継ぐヒビのそれに重なる。

▲勇阿弥あやかる教室(石黒師範代)のキャッチフレーズは「かいこう! あやかるためにつどいしもの」。邂逅、開講、開港、開口……カイコウに様々な意図を込めたのが工夫だ。

▲たりkey汁講の面々、手には交換した本。鈴木康代学匠も駆けつけてくれた(撮影は八田律師)。

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

1~3件/3件

川邊透

2025-07-01

発声の先達、赤ん坊や虫や鳥に憑依してボイトレしたくなりました。
写真は、お尻フリフリしながら演奏する全身楽器のミンミンゼミ。思いがけず季節に先を越されたセミの幼虫たちも、そろそろ地表に出てくる頃ですね。

川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。