自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
お腹の調子が悪ければヨーグルト。善玉菌のカタマリだから。健康診断に行ったら悪玉コレステロールの値が上がっちゃって。…なんて、善玉・悪玉の語源がここにあったのですね、の京伝先生作「心学早染艸(しんがくはやそめくさ)」。ですが、それが京伝先生と蔦重の仲を裂くことになるとは。
大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語を生み出そう。そんな心意気の多読アレゴリアのクラブ「大河ばっか!」を率いるナビゲーターの筆司(ひつじ、と読みます)の宮前鉄也と相部礼子がめぇめぇと今週のみどころをお届けします。
第37回「地獄に京伝」
「遊ぶ」とは
前回、朋誠堂喜三二は、こう言いました。
「遊びってぇのは、誰かを泣かせてまでやるこっちゃないしな」
そして今回、蔦重はこう言いました。
「遊ぶってぇのは生きる楽しみだ」
楽しみを捨てることは欲を捨てるということ。でも、それは簡単には出来ないのだと。
欲を自ら捨てることが容易ではないのだとしたら、その発生源をなくしてしまえばよいのだ、というのが定信の考え方。
「遊ぶところを無くしてしまえばよい」
そう言って田沼意次が隅田川を埋め立てて作らせた中州新地という繁華街を、定信は取り壊してしまいます。その結果、繁華街と言えば、この時代切っても切れない女郎たちが居場所をなくし、吉原に流れ込んできます。過当競争で秩序も何もあったものではない。
歌麿はしみじみとつぶやくのです。
身を売るしか生きるすべのない人たちにとって、遊ぶな、だの、倹約しろだのってのは、やっぱり野垂れ死ねってことになっちまう。
弱い者につけがまわるってぇのは蔦重の言うとおりなんだよな。
蔦重の言っていることは正しい。しかし肝心の蔦重に「遊び」がない。春町が自死し、死を賭けて守ろうとした黄表紙のために、自身が「正義のカタマリ」になろうとします。
政寅(山東京伝)・歌麿に頼んだ仕事に反対するおていに対して、
春町先生は黄表紙の火を消さねぇために腹まで切ったんだ。それをてめぇらの保身ばっかり。恥ずかしいと思わねぇのか。
と声を荒げます。さらにおていが提案した青本企画をも切って捨てます。人の道を説く青本を創るということは、黄表紙を生み出した春町の努力を無にするものだと言うのです。
…でもちょっと待って。
遊びというのは、隙間に目をやる余裕のこと。この場面、企画に反対して蔦重に詰め寄るおていはトレードマークの眼鏡を外して蔦重に詰め寄ります。横でみていた政寅が「まぁ、強い目だねぇ」とつぶやく程に、橋本愛演じるおていの何と強い目力か。それに負けてはならじと、蔦重は目を閉じます。と、歌麿が「目を閉じた」と実況中継。蔦重とおていの、単なる夫婦喧嘩を越え耕書堂の存亡をかけたやりとりという緊迫した雰囲気の中での、これらのコメントこそ、遊び、というものではないでしょうか。
政寅が「荷を背負いすぎじゃね?」とつぶやいたように、おていが「己を高く見積りすぎではないのか」と問うたように、今の蔦重には、自分の「分」というものが見えていないのです。
面白ければそれでいい?
おていの提案した青本にヒントを得て、政寅は蔦重とは別の本屋から「心学早染艸」を出版します。ナレーションで説明があったように、善と悪とが一人の人間の中で戦い、善が勝利する、つまりは定信が追求する理想をわかりやすくエンタメ化した本だったのです。
別の本屋から出したということ以上に、定信の改革の後押しをする本、それも面白い本だったことに蔦重は激怒します。しかし政寅は
面白けりゃいいんじゃねえですかね。おもしれぇことこそ、黄表紙にいっち大事なんじゃねえですかねぇ。褌かついでるとか、かついでねぇとかよりも。
面白くなきゃ、どのみち黄表紙は先細りになっちまうよ。それこそ、春町先生に嵐みたいな屁ぇ、ひられるってもんじゃねぇですか。
黄表紙そのものが面白いこと。そして黄表紙が受け入れられる世にすること。どちらも後世に残すためには必要なことなのですが、政寅と蔦重の思いは行き違い、ついに政寅は
「俺はもうかかねえっす。蔦重さんのところでは一切書かねぇっす」
と言い放つのです。
絵描きは絵だけ描いてください
近藤史人『藤田嗣治「異邦人の生涯」』は、特に戦争画を描いたことについて藤田嗣治本人がどう考えていたのか。新しい証言を元に論じた作品です。
従来は、藤田は戦争画を描いたことを戦後すぐに後悔しはじめ、隠蔽しようとしたと言われてきました。しかし藤田は、GHQが企画した「日本の占領」をテーマにした展覧会のための戦争画収集に積極的に協力し、「美術的価値を少しも失うまいと真剣に描いた。それが世界の檜舞台に出るのは、うれしいことです」と堂々と述べていたのでした。
ところが画の収集は日本の画壇から「戦争犯罪者リスト作成のため」と誤解され、やがて藤田一人が戦争協力者、戦争犯罪人として強く批判されることになります。
絵描きは絵だけ描いていてください
とは、日本の画壇に絶望し、日本を永遠に去る日の藤田の痛烈な一言でした。
芸術作品はその完成度が高ければ高い程、世に与える影響も大きくなります。しかし、面白いものを書きたい、価値ある絵を描きたいという創作者魂を止めることもまたできないことなのでしょう。
「書かねばならぬ/描かねばならぬ」は、自身から湧き出る創作欲だけに従うべきだったのかもしれません。
また書き続けるためには、生きていなければならない。おていの「倒れてしまっては志を遂げることもできない」というこの言葉を、いつか蔦重が心の底から理解する日がくるのでしょうか。
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十七
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十一
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その十
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その九
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八(番外編)
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その八
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その六
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その五
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その四
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その三
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その二
べらぼう絢華帳 ~江戸を編む蔦重の夢~ その一
大河ばっか組!
多読で楽しむ「大河ばっか!」は大河ドラマの世界を編集工学の視点で楽しむためのクラブ。物語好きな筆司たちが「組!」になって、大河ドラマの「今」を追いかけます。
もぐもぐタイム。という言葉が頭をよぎったほど、元気を取り戻しつつあるおていさんをはじめとして、みなさんがおいしいものを召し上がっている回でした。というほどに、「食べる」「食べられる」ということが生きていく上では大事なこ […]
語られることを嫌う真実は、沈黙の奥で息をひそめている。名づけや語りで手繰ろうとする瞬間、真実は身を翻し、喉笛に喰らいつく。空白が広がるその先で、言葉に縛られない真実が気まぐれに咆哮するが、男たちはその獣をついに御するこ […]
ついに。ついにあの人が蔦重を見捨てようとしています。が、歌麿の最後の台詞を聞いた時、しかたあるまいと思った視聴者の方が多かったのではないでしょうか。 大河ドラマを遊び尽くそう、歴史が生んだドラマから、さらに新しい物語 […]
「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」も40回を越え、いよいよ終わりに向かうこの時期に、蔦重自身の原点を見つめ直す、大切な節目の回になったように思います。ま、タイトルに「歌麿」と入ってはいるのですが。 大河ドラマを遊び尽くそ […]
蔦重の周りに人が集まる。蔦重が才能のハブだということを感じさせる回でした。新たに加わったものもいれば、昔からのなじみが腕を磨けば、自慢の喉を披露する方も。どうみても蔦重・鶴屋コンビの仕掛けたことなのに。懐かしの朋誠堂喜 […]
コメント
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2025-11-18
自ら編み上げた携帯巣の中で暮らすツマグロフトメイガの幼虫。時おり顔を覗かせてはコナラの葉を齧る。共に学び合う同志もなく、拠り所となる編み図もなく、己の排泄物のみを材料にして小さな虫の一生を紡いでいく。
2025-11-13
夜行列車に乗り込んだ一人のハードボイルド風の男。この男は、今しがた買い込んだ400円の幕の内弁当をどのような順序で食べるべきかで悩んでいる。失敗は許されない!これは持てる知力の全てをかけた総力戦なのだ!!
泉昌之のデビュー短篇「夜行」(初出1981年「ガロ」)は、ふだん私たちが経験している些末なこだわりを拡大して見せて笑いを取った。のちにこれが「グルメマンガ」の一変種である「食通マンガ」という巨大ジャンルを形成することになるとは誰も知らない。
(※大ヒットした「孤独のグルメ」の原作者は「泉昌之」コンビの一人、久住昌之)
2025-11-11
木々が色づきを増すこの季節、日当たりがよくて展望の利く場所で、いつまでも日光浴するバッタをたまに見かける。日々の生き残り競争からしばし解放された彼らのことをこれからは「楽康バッタ」と呼ぶことにしよう。