数寄のない人生などつまらない。その対象が何であれ、数寄を愛でる、語るという行為は、周囲を巻き込んでいく――。
開講直後の52期[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイ。第2弾は、総合診療医でもある遠藤健史師範が語る。遠藤師範が日々、頭の先から爪の先まで探る中で、注目しているものとは。
人体の多くは膜でできている。まず皮膚が膜、生命の境。そして、内部の筋・骨・内臓を包むのも膜である。
左手で、右腕をさすると、皮下に「ずるずる」を感じる。この「ずるずる」は膜のズレ感、昔の人は膠(にかわ)と呼び、触っていくと、どこまでも繋がっている。互いをゆるく滑らせ、中に血管・神経のメッセージを通す。「膜学」は今、医学会で注目されている。
柔らかく繋がるといえば、子どもだ。皮膚がゆるんで溶け込みやすく、大人よりも接触を好む。
▲接触大好き、押しくらまんじゅうの子どもたち
子どもどうしのアイダには、風、光、体温だけ? いやいや見えないだろうか、ヒトやモノから伸びた膜が。著者はキッズサッカーコーチをしている。そこで見るのは、ボールが飛ぶと一斉に追い、ゴールを見るとみなでシュートする子ども達の姿。それはもう、我も忘れて次々と…膜で繋がり動くよう。
▲シュート:全身柔らかく、勢いよく次々と
この繋がりは、パスのときに見えてくる。パスと同時に受け手が走る、阿吽の呼吸・碎啄同時がサッカーの醍醐味。その時、選手はパスコースに、ピンと張った繋がりを見る。観客も、強い綱引きを感じ、そして歓声をあげる。「出し手が偉い」、「いや受け手こそ、うまく引き出した」と主客転倒、主客合一。
繋がりを感じながら子どもたち全体を捉えると、アメーバに見えてくる。「ずるずる」と動いて、ふいにピョンと足を出すアメーバに似て、全体で連動し、時にダッシュやパスで飛び出していく。この飛び出しに活き活きが弾ける。
この元気なアメーバは外へと広がり、非接触性の大人までをも巻き込んでいく。包まれた観客は、肩を寄せ合い試合に釘付け。気づけばコーチも引っ張られ、走ってる。そうか「私が指導しているんじゃない、子どもたちが導いているんだ」とここでも主客転倒、主客合一。
▲コーチ(筆者)と選手が、見えない膜で引き合っている
子どもの成長を引き出すコーチングでは、ぜひこの膜を掴み、たぐり寄せたい。見える生体の「ずるずる」から、キッズサッカーの見えざるアメーバまで、膜学はどんどん広がっていく。
文・写真・アイキャッチイラスト/遠藤健史(52[守]師範)
イシス編集学校 [守]チーム
編集学校の原風景であり稽古の原郷となる[守]。初めてイシス編集学校と出会う学衆と歩みつづける学匠、番匠、師範、ときどき師範代のチーム。鯉は竜になるか。
満月が欠けていき、連続して三晩の闇がくる、そこで月は「死」を迎えたかに見えるのだが、それから細い新月が「再生」し、また偉大な活力を発揮しはじめる。古代人はそこに月が生きているという実相を見たのだった。―――『ルナティッ […]
「旗」は古来、何かを指し示すものとしてあった。日本では旗(幡)は神を招き入れるものであり、古代イスラエルでは人々の集まる中心地に旗が掲げられた。古代ギリシャは都市ごとに旗にしるしを描き、戦国武将も海賊も、おのれの旗をあ […]
数寄のない人生などつまらない。その対象が何であれ、数寄を愛でる、語るという行為は、周囲を巻き込んでいく――。 開講間近の52期[守]師範が、「数寄を好きに語る」エッセイ。「器数寄が昂じて生活道具を扱うギャラリーを運営して […]
◇[守]師範陣のエディットツアー◇発想力も表現力も劇的に変わるとっておきのEdit game!
編集とは何か? 仕事をしている中で、「最近、新しいアイデアが出てこないなぁ」と悩むことはありませんか。 街を歩いていて、刺激的なポスターや、キャッチコピーにはっとして立ち止まり、「私もこんなことを考えつけたら…」と思うこ […]
シビルきびる教室の「いないいないばあ」――【82感門・後日談】
ああ、これは師範からの挑戦状だな。 師範代はすぐにピンと来た。 感門之盟が終わってすぐ、シビルきびる教室(佐土原太志師範代)の勧学会に、角山祥道師範から突然、お題が届けられたのだ。感門之盟のテーマの「Edit de […]