【追悼・松岡正剛】圧倒的に例外的

2024/08/29(木)08:00 img
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 「御意写さん」。松岡校長からいただい書だ。仕事部屋に飾っている。病理診断の本質が凝縮されたような書で、診断に悩み、ふと顕微鏡から目を離した私に「おいしゃさん、細胞の形の意味をもっと問いなさい」と語りかけてくれている。

 

 

 私が編集工学に夢中になったターニングポイントは、イシス編集学校の「見立て」の編集稽古だった。

 

見立ては、ごっこ遊びです。

そして、見立てとは、診断、ダイアグノーシスです。

 

 診断とはごっこ遊びだったのか!このダイナミズム。不意を突かれて驚くとともに、病気の最終診断ですといいながら、形態を主観的に判断するという曖昧な病理診断のスタンスに対して、なんとなく居心地の悪さを感じていた私の背中を、それでいいんだと押してくれた。医学とは全く別の文脈で、ふいに診断の核心部について説明され、編集工学とそれを生み出した松岡正剛という人に対する信頼と憧れと興味が一気に深まった。

 

 そのことを松岡校長とじっくり話す機会があった。今から4年ほど前のクリスマスイブ、松岡正剛のYouTube番組「ツッカム正剛」にゲストで呼んでいただいた。拙著『おしゃべりながんの図鑑』を上梓した頃で、肺がんを経験した校長としては、病理医のがんの話、細胞の話に興味関心を寄せてくれていた時期だったのだろう。なんともラッキーなことだった。収録日は、千夜千冊エディション『編集力』が発売された当日で、病理診断と編集工学の話を絡め、2時間近く対談した。

 

 

 対談は予想通り、松岡正剛の超高速ナビゲーションで、アナロジカルにあらゆる方向に向かった。がんのこと、病理医のこと、最初はおだやかにはじまったが、そのテーマからの枝葉はどんどんフクザツに四方八方に広がっていく。ヘルマン・ワイルの類似と相似、マイケル・ポランニーの暗黙知そして共感覚などの編集工学的な視点からみた診断プロセスについて、そして、麻酔をはじめとした医学のテクノロジーと身体知、医療と文学の関係性に至るまで。とにかく“連想暴走運転”から振り落とされないようにと必死だったが、結果的には松岡校長が私の頭の奥にあるもやもやをなんとか言葉にしてみる道筋をつねに照らしてくださっていたことがわかった。

 

自分の言語が何かに追いついていかない。

視覚情報や身体情報の方がどうしても速い。

言語は自分の体験をほとんどトレースしきれない。

僕はそれが癪で編集を始めたんです。

 

 

 見立てが編集工学にのめり込むターニングポイントだったと話す私に、校長は自身が編集をはじめたきっかけをそう話してくださった。その話はますます私を勇気づけた。なぜなら、病理診断においてもそれに類似するジレンマを抱えていたからだ。顕微鏡で覗いた病変には、醸し出される気配のようなものを含めてたくさんの情報が蠢いている。それを病理診断報告書として言葉にしていくときは、多くの情報を捨てざるを得ない。でも、言葉で包んでやれずに捨てたものたちは、校長が常日頃おっしゃる「面影」であり、捨てたものにこそ、病態の本質が、その患者さんの行く末が、含まれていることも感じていた。それは病理診断の限界であり、可能性でもある。そして、松岡正剛の編集工学は、「面影」ひとつとっても日本文化から病理診断まで語れるほどに自由である。

 

 ツッカム正剛の収録の際、校長に宣言した医学や医療を地にした編集工学の実践は、スタートしたばかりである。その決意を語りたくて、「編集工学をわかりやすく世の中に発信したいです」と安易に発言した私を、「いっちばんつまらない」と一刀両断しつつも、同時に「わかりやすさよりわかりにくさに向かいなさい」と励ましてくださった。

 

 そうか、わかりやすく、よりも、わかりたい!という自分の好奇心にしたがえばいい。松岡正剛という存在はあまりに大きすぎて、ないものねだりが得意な私であっても、到底その編集力の奥義には迫り切らなかったが、それはこれから、知っていけばいい。まだまだ未知の校長を探すことができるとわくわくすればいい。

 

例外的であれ。例外はダサくてはいかんのです。

アカデミックな評価や慣習や圧力に負けるな。

 

 この校長の言葉がずっと頭から離れない。外圧にへこたれて、無難な線ですまそうとする私を叱咤激励する言葉である。例外的であることは、アウトサイダーになることではなく、今ここにある場所、立場にとどまりつつ、編集をやめず、世界を自己とつなげる方法をつねに更新することだ。大学において“たくさんの私”を体現し、どう“たくさんの大学”を創発できるか。

 

 圧倒的に例外的であった松岡正剛をお手本に、例外的でむちゃカッコいい御意写さんにならねば、と思っている。

 

イシス編集学校 析匠 小倉加奈子

 

◆YouTube「ツッカム正剛」0016-0020夜【松岡正剛の千夜千雑】
0016夜 「小倉加奈子① “病理学から見たわかりやすいがんの話”」
0017夜 「小倉加奈子② “がんを見てみよう”」
0018夜 「小倉加奈子③ “正剛がんを体験する”」
0019夜 「小倉加奈子④ “細胞と共感覚”」
0020夜 「小倉加奈子⑤ “医療と編集工学”」

  • 小倉加奈子

    編集的先達:ブライアン・グリーン。病理医で、妻で、二児の母で、天然”じゅんちゃん”の娘、そしてイシス編集学校「析匠」。仕事も生活もイシスもすべて重ねて超加速する編集アスリート。『おしゃべり病理医』シリーズ本の執筆から経産省STEAMライブラリー教材「おしゃべり病理医のMEdit Lab」開発し、順天堂大学内に「MEdit Lab 順天堂大学STEAM教育研究会」http://meditlab.jpを発足。野望は、編集工学パンデミック。

コメント

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川邊透

2025-06-30

エディストの検索窓に「イモムシ」と打ってみたら、サムネイルにイモムシが登場しているこちらの記事に行き当たりました。
家庭菜園の野菜に引き寄せられてやって来る「マレビト」害虫たちとの攻防を、確かな観察眼で描いておられます。
せっかくなので登場しているイモムシたちの素性をご紹介しますと、アイキャッチ画像のサトイモにとまる「夜行列車」はセスジスズメ(スズメガ科)中齢幼虫、「少し枯れたナガイモの葉にそっくり」なのは、きっと、キイロスズメ(同科)の褐色型終齢幼虫です。
 
添付写真は、文中で目の敵にされているヨトウムシ(種名ヨトウガ(ヤガ科)の幼虫の俗称)ですが、エンドウ、ネギどころか、有毒のクンシラン(キョウチクトウ科)の分厚い葉をもりもり食べていて驚きました。なんと逞しいことでしょう。そして・・・ 何と可愛らしいことでしょう!
イモムシでもゴキブリでもヌスビトハギでもパンにはえた青カビでも何でもいいのですが、ヴィランなものたちのどれかに、一度、スマホレンズを向けてみてください。「この癪に触る生き物をなるべく魅力的に撮ってやろう」と企みながら。すると、不思議なことに、たちまち心の軸が傾き始めて、スキもキライも混沌としてしまいますよ。
 
エディスト・アーカイブは、未知のお宝が無限に眠る別銀河。ワードさばきひとつでお宝候補をプレゼンしてくれる検索窓は、エディスト界の「どこでもドア」的存在ですね。

堀江純一

2025-06-28

ものづくりにからめて、最近刊行されたマンガ作品を一つご紹介。
山本棗『透鏡の先、きみが笑った』(秋田書店)
この作品の中で語られるのは眼鏡職人と音楽家。ともに制作(ボイエーシス)にかかわる人々だ。制作には技術(テクネ―)が伴う。それは自分との対話であると同時に、外部との対話でもある。
お客様はわがままだ。どんな矢が飛んでくるかわからない。ほんの小さな一言が大きな打撃になることもある。
深く傷ついた人の心を結果的に救ったのは、同じく技術に裏打ちされた信念を持つ者のみが発せられる言葉だった。たとえ分野は違えども、テクネ―に信を置く者だけが通じ合える世界があるのだ。

山田細香

2025-06-22

 小学校に入ってすぐにレゴを買ってもらい、ハマった。手持ちのブロックを色や形ごとに袋分けすることから始まり、形をイメージしながら袋に手を入れ、ガラガラかき回しながらパーツを選んで組み立てる。完成したら夕方4時からNHKで放送される世界各国の風景映像の前にかざし、クルクル方向を変えて眺めてから壊す。バラバラになった部品をまた分ける。この繰り返しが楽しくてたまらなかった。
 ブロックはグリッドが決まっているので繊細な表現をするのは難しい。だからイメージしたモノをまず略図化する必要がある。近くから遠くから眺めてみて、作りたい形のアウトラインを決める。これが上手くいかないと、「らしさ」は浮かび上がってこない。